47.夢に攫われるは花の束

「メアっ……!」


 撫花なでかの髪飾りが外れ、代わりに暗色の炎が顔を包み込んでいく。

 炎はにたにた笑う猫の仮面を形作り、淡く着飾れたドレスは夜のように濃い黒へと変色してく。


 さながらもう一人の藍花あいか

 腰まで伸びた赤みのある黒髪に、藍色ではなく真紅と漆黒のエプロンドレス。

 ひび割れた赤いハートのイヤリングに、苛烈かれつに燃え盛る炎の尻尾。


 髪飾りから元のぬいぐるみの姿に戻るメアは、おそるおそる距離を取っていく。


「ナイトメア、ナデカに何をしたメア」

『見たままだよ、ぬいぐるみ。一時的にナデカを私のオネロスにしただけさ。ナデカの表面意識は無くさせて貰ったけどね』

「ふざけんじゃないわよ、ナイトメア!」


 姿の変わった撫花なでかを、黄色の鎖が拘束する。

 しかし苦も無く赤い炎に溶かされる鎖に、優月ゆづきは動揺を隠し切れない。


「久しぶりだね、ナイトメア。鞍替えにしては相性悪そうだけど」

『今は黙ってろよエンプーサ。お前の相手は後でしてやるからさ。私の獲物は――おいネームレス。どうせ見てるんだろう?』


 真紅の花びらが舞い、世界全体に赤いノイズが走り抜ける。

 何もない場所から歩いて現れるネームレスは、はるか上空で立ったまま全員を見下ろす。


「何だい、ナイトメア。初めからいたのなら素直に出てくれば良いじゃないか。そうは言っても君の目的からすると、これが最良・・か」

『そう、これが最良なんだよ。ナデカたちは絶望して、エンプーサは消化不良。そして、ああそして――』


 喉を鳴らすナイトメアは、高らかに空へ向けて歓喜を叫ぶ。


 優月ゆづきにウート、メアは事態が飲み込めず見ているしかない。

 藍花あいかは大剣へ戻った大鎌を握りしめようとするも、撫花なでかの姿を瞳に映した途端に力を無くす。

 エンプーサは不快感を顔に出し、ネームレスだけが悠々と言葉を待っている。


『アンタを殺せることが最高だ。誰も彼も幸せじゃない、この状況こそが。悪夢の本懐だろ? なぁ名無し野郎!』


 赤い粒子を集めた撫花なでかが屋根を蹴る。

 容易に音を超え、握られた右拳は真っ赤に染まりネームレスの胴体へ叩き込まれる。

 周囲に漂う雲は散り、引き起こされた閃光と衝撃波は優月ゆづきたちの下にまで到達する。


 右腕を失っていたエンプーサは一目散に世界から姿を消し、残された優月ゆづきたちは撫花なでかの姿以上の驚きを目の当たりにする。


 撫花なでかの一撃は確実にネームレスには届いていた。

 その威力は一瞬だけでも世界を赤色のみに変えたほど。

 なのに彼は傷一つ付かず、ダンスを指そうかのように左手で撫花なでかの右腕を取り、右腕を腰に回していた。


「他人の不幸は蜜の味。それが君だったねナイトメア。だからこそ、しっかりやらないと駄目だよ。誰もが不幸であるのなら、君も不幸にならなくちゃ」

『だったら死んでくれない? ネームレス。お前が死ねば、夢も悪夢も全て無くなる。どんなことが起こるか面白そうだろう』

「それについては昔から言っているだろう。殺せるのなら是非殺してくれって。まぁその為に撫花なでかの体を使ったと言うのなら……」


 ネームレスが薄く微笑むと、迸ったノイズがナイトメアの仮面へ真っ二つに引き裂く。

 変身を解除された撫花なでかは彼に抱えられ、猫の姿になったナイトメアだけが壊れた街へと落ちていく。


「君と撫花なでかじゃ私に届かないよ。才能パンタスモルフェスも。撫花なでかとメアならまだしも、君たち二人じゃ遠く及ばない」


 落ちていくナイトメアは、歯ぎしりをして彼を睨み付ける。


 霞んでいく二人の姿。

 黒い風も青緑の青銅も月下の世界から消え去り、少しずつ元の街へと戻っていく。

 残ったのは、撫花なでかを除いた五人だけ。


 重力を無視して華麗に着地をするナイトメアは、舌打ちをしながら言葉が見つからない優月ゆづきたちに声をかける。


「クソが、藍花あいか以上のモルフェスでも駄目か。……おいお前ら。エンプーサを追うぞ」

「次から次へと。アンタに従う訳無いでしょう、撫花なでかを助けるのが先よ。アンタのせいで連れていかれたんだから!」

「そうメア! 行くなら一人で勝手に行くメア!」

「誠に残念ながら、ナイトメア様の指示には私もお受けする事は出来ません」


 変身を解除した優月ゆづきは、メアと並んでナイトメアに抗議を始める。

 ウートも申し訳なさそうに顔を伏せてはいるものの、語気は強まっている。


 変身を解いた藍花あいかをため息交じりに一べつするナイトメアは、青ざめて泣きそうになっている顔にさらに深いため息を吐く。


「アイツと一緒なら当分死にはしないさ、残念だけどね。でもでもエンプーサはどうだろう。ネームレスは悪夢を生物にしたがってるけど、エンプーサはその逆。生き物を悪夢にしたがってる」


 尻尾を振るナイトメアの体が空間へと溶けていく。

 宙に残るのは、笑う真っ赤な三日月が三つだけ。


「私は藍花あいかの願い通りに動いてはいるよ? でもでも本当はね。エンプーサの願いは私にとって愉快で面白いのさ。だから誰も来ないのなら別に良いよ。アイツの手伝いをするだけさ。にゃはは」


 最後に笑いだけを残してナイトメアは完全に姿を消す。

 静まり返る場を、ウートは咳ばらいをして無理に微笑んで見せる。


「ひとまず作戦を練りましょう。私はメア様と部屋にてお待ちしておりますので。お嬢様、藍花あいか様をよろしくお願いします」

「……仕方ないわね」

「ウート、ナデカはきっと無事メアよね」

「その筈です。彼――ネームレス様からは敵意は一切ありませんでした。あの状況もナイトメア様から解放したとも言えなくは無いです」


 ウートはメアを抱えて全身の黄色の炎を纏うと、姿を消す。

 残されたのは苦しそうに胸を抑える藍花あいかと、気まずそうに顔をそらす優月ゆづきだけ。


「……泣きたいのならこっちに来なさい。今回だけは特別よ、藍花あいか

「大丈夫、大丈夫だから。ちょっと頭に血が上ってエンプーサの能力を忘れてたの。それが辛いだけだから」

「アイツの能力が何かは知らないけど、下手な嘘は吐かなくて良いわ」


 優月ゆづき藍花あいかの傍に座り、背中からそっと抱きしめる。

 荒く息をあげる藍花あいかの顔は青ざめているものの、頬が赤く染まり視線が定まっていない。


「嘘、にしたかったよ……」

「――……んっ!」


 後ろを振り向いた藍花あいかの異変に驚いた優月ゆづきの口に、熱を帯びた唇が重なる。


 そのまま優月ゆづきを下敷きに倒れ込む二人。

 ゆっくりと唇を離す藍花あいかは、倒れ込んだまま優月ゆづきを抱きしめる。


「エンプーサは毒を使うの。神経毒とか溶解液とか。その中でアイツがよく使うのが"興奮剤"」


 身をすり寄せる藍花あいかに抵抗しようとする優月ゆづきは、口を開くたびに塞がれる。

 涙を流しながらも、次第に優月ゆづき藍花あいかの動きに合わせて受け入れていく。


「アイツはそれを自分の体液にしてるの。だから、ごめん優月ゆづき

「ここまでして、謝るのが遅いわよ。やるなら、その……前みたいに痛いのは嫌だから」

「……優しすぎるよ、優月ゆづき


 今もなお積まれていく罪悪感を、藍花あいかは涙と共に吐き出していく。

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