24.刹那の黒曜
涼しい風がやんわりと吹き付けて来たのを感じる。
眠ったはずなのに感じる風は、わたしが夢の世界に来れたことの証明。
慌てずに、重かったはずのまぶたを開く。
広がる景色は、灰色の快晴。
雲に覆われている訳ではなく、文字通りに本来は青である空が、灰色になっている。
わずかに漂っている雲は、雷雲と間違えるほど黒一色。
「誰の夢に来たんだろう」
「そう思うのなら、早く起き上がりなさい」
「
「貴女が寝ている間に移動を試したけれど、無理だったわ」
言われた通りに起き上がると、それでも世界の色は変わらなかった。
荒れ果てた地面に、枯れた植物。
なだらかな丘も見えるけど、全てが生きている感じがしなくて、とても寂しい。
「この世界、かなり不味いわよ。変にうろつ……ああもう、気を付けなさい!」
「ご、ごめん。まさかこんな格好になってるとは思ってなくて」
歩き出そうとしたらバランスを崩してしまい、背中から転びそうになったところ支えてもらう。
世界の方に気をとられたせいで、わたしたちの衣装が妙だということに気がつかなかった。
ほとんど肌を出さないロングスカートのドレスに、ハイヒール。
頭には背中に届くほどのベールが付けられている。
それら全てが黒に統一されていて、ドレスだというのに飾り気はあまりない。
「何か、嫌な世界だね」
「ええ。こんな世界を作る奴とは会いたくないわ」
この灰色の世界は、まだまだ奇妙な点があった。
まず植物がおかしい。
一生を早送りされているのか、すぐに枯れ果てて地面に還るのだが、同じところから枯れた状態でまた生えてくる。
数分で、何度も何度も終わりかけの命が芽生えては散っていく。
それに時々見かける動物が、黒い毛をこしらえた羊だけ。
それも足取りは不安定でよく転び、目線は両目ともバラバラ。
口は開きっぱなしで舌も垂れていることが多く、体が変な方向に向いている羊もいる。
色とかを気にしなければ、ここは放牧地ということで納得できるのだが、それならば馬とか牛とかもいるはず。
「あの羊、かわいくない」
「こんな世界に可愛い物が有る訳無いでしょう」
それもそうなのだが、あの羊がデフォルメのぬいぐるみになったら、そこそこかわいいと思う。
「……
難しい顔をする
どういう事なのかと首をかしげると、ため息をつきながら答えを教えてくれる。
「鍵が無いのよ。たぶん、この服に変えられた時に没収されたみたい」
「言われてみれば、わたしもアレがない」
体のどこを触れても、ザント=アルターに渡されたリングが見つからない。
あの時に落としたのかもしれないけど、本当のことは分からない。
「――探し物、これ?」
眠たげで子供っぽい声が、
つられて視線を移すと、右手に金色の鍵を持った女性が立っていた。
「ひゃぁっ……!」
「つーかまーえたー」
「つめっ……えっ、何!?」
かわいらしい高い声をあげて、女性に抱きしめられる
そのまま足をとられて二人とも地面へ転がり、
驚いてるのもあるけど、足を絡め取られて動けなくなっている。
「抱き心地いいねー、きみー」
「うわっ、冷たいけど何かムカつく位に大きくて柔らかい感覚が襲ってくる!」
「えーと、この世界を作ったドッペル。でいいのかな?」
ボサボサの黒い長髪に、胸もお尻も大きい女性。
服は正面に"すいみん"と書かれたTシャツ一枚で、下着すら着けていなかった。
ここまではまだ人間と言えるけど、決定的なのは頭に生えた黒い羊の角。
渦巻かれた角には宝石みたく光沢があり、生き物の部位ではなく芸術品に近い。
そして細目から見える
黒い羊が人になった。
そう表現するしかないし、それ以上彼女を表せる言葉は無いと思う。
(黒い羊。どこかで聞いたような……)
「どっぺるー? あー、アタシたちの事か。そうだねー。アタシは羊の悪夢だよー」
「ちょっと! このまま話を進めるの!?」
「見たままだ……ですね? うん? どっちが良いんだろう」
変身後の
「話し方なんてどうでもいいよ。あー、アタシを呼ぶ時はプーケで良いよ。プロヴァト=ケールで、プーケ」
不機嫌な顔で収まっている
頭を撫でているときもあるけど、片手で押さえているので相当な力を持っているみたいだ。
「一応"
空気が重くなる。
何があっても、
「んーよく勘違いされるけど、アタシはオネロスとは敵になるつもりは無いんだよねー。アタシから襲ったこと一度もないし。それに、ほら」
襲わない証拠とばかりに、
しかも鍵とリングを持たせた上に、そのまま起き上がらない。
「二人がここに来たのは、二人のせいだし。鍵とか無くしたのもそのせい。それに貴女に手を出したらめんどくさそうだもん」
「信用できないわよ。こんな世界を作る奴なんか」
仰向けに大の字になるプーケさん自体には、やる気が欠片も無いことは伝わってくる。
でも
こんな嫌な世界を作るプーケさんは、オネロスの敵にされる理由があると思う。
「ここねー、死が近い人が堕ちてくるの。肉体でも心でも。鬱々と、寿命が無くなっていく人が」
「心が……」
「最悪……」
わたしたちは思い当たってしまう。
今は違うかもしれない。
でも確かに、そう言われて納得してしまう部分はあった。
「だからアタシは、ここに来る人たち全員好き。そのまま光を閉ざす人も、まだやれるって立ち上がる人も。皆好き」
違和感を覚える。
「でも、一番好きなのは――」
体を起こして座り込むプーケさんの頬は赤く染まり、艶のある瞳がこちらを向く。
心臓が跳ねて、顔が熱くなるけど背筋も寒くなる。
この時だけ、わたしは好きという感情が分からなくなった。
「永久の眠りについた人。冷めた体に閉じた瞳。もう二度と話せない愛しい人との思い出が、いつか色褪せて消えていく」
わたしの腕を抱きしめ、服の裾を握る
早鐘を打つ心臓でも、わたしたちの予感を遮ることはできない。
「そんな
一見すれば恋人に想いを馳せる、一人の女性。
でも、分かりたくない。
好きだからいなくなって欲しい、いなくなったらもっと好きになる。
好きな人をもっと好きになるために、
「だからアタシはね。二人をもっと好きになりたいの」
「プーケ。貴女がオネロスの敵の理由、よく分かったわ」
「……え?」
首を傾げるプーケさんは、自分の言ったことが分かっていないみたいだった。
「貴女は人を不幸にする。貴女自身はそのつもりが無いみたいだけれど、その考えは私たちの敵として十分な理由だわ」
「なら、教えてよ」
焦点の合わない目には、いつまでも灰色の世界が映る。
思いではすでに色褪せて、ここにあるのは全て過去。
だからわたしたちを迎え入れてくれる。
黒でも白でもない、彩りを。
「何でもするよ? 死んでもいいし、ザントと戦ってもいい。何なら今ザントに邪魔をされて、作戦を練り直してるエンプも倒そうか?」
好意は伝わってくる。
根本的に他人が好きで、好かれる努力を惜しまないのは嫌でも分かる。
けれども人と人との関わり方が、距離が分かっていない。
お使いの感覚で死のうとするし、命も奪う。
好意を抱いた人の言うことなら、好きになって貰うためにためらわない。
「プーケさん。わたしたちと仲良くなろうというのは、分かりました。でも死ぬのも殺すのもダメです。もっと別のやり方を教えますから、それだけはダメです」
「
「死なない、殺さない。あと、夜会を抜ければいいの? なんだ、簡単だね」
はにかむプーケさんに、わたしたちは笑えない。
大人の体なのに中身は子供な印象は、彼女の暗い部分をより際立たせる。
「……
小声で話しかけてきた
プーケさんの好意を使った、わたしたちの安全策。
「その前に少しいいかな」
「ちょっと、下手に近付かない方が良いわよ」
慣れないハイヒールとロングスカートで中々進まないけれど、プーケさんの下へ歩み寄る。
足が痛くなってくるし、気を抜いたら転んでしまう。
変身しているときの
「――……きゃぁっ!」
「おっと、歩きにくいなら脱げばいいのに」
たどり着く直前で転んだわたしを、その柔らかくも大きい胸で受け止められる。
心臓の音が聞こえず、冷たい。
でも、顔を見上げると暖かい笑顔を浮かべている。
「ありがとう。ねぇ、プーケさんはわたしたちを手伝ってくれるんだよね」
「そうだよ。アタシはこの世界にきた人、全員好きだから」
「なら、メアとスカイを。わたしの大切な友達を救う手伝い、してくれる?」
「それって、ザントと戦えってこと?」
頷きかける。
そうすれば彼女は二つ返事でやってくれるだろうけれど、何かが違う気がする。
これだと
自分は何もせずに、嬉しい結果だけを待つ。
それは、違う。
「ううん。彼の所へ連れていってくれるだけで良いよ」
「
「奪われたから、取り戻す。それはわたしのするべきことだから」
他人に頼る前に、まずは自分から向かい合おう。
それでもダメなときに、お願いって頼みたい。
最初から自分がやらないのは、わたしが納得できない。
「エンプの言ってた通り似てるね。良いよ。それが君の頼みなら」
「
「……はぁ。復帰を目指して最初の仲間が、敵幹部とかどうなの」
頭を撫でるプーケさんに身を任せて、そのままわたしは腕の中に収まる。
少し痛めた足の調子が戻るまでこうしていよう。
「じゃあザントのそれ、使い方教えるよ。ナデカのポベトルから作った力の結晶みたいだから、基本は同じだろうけど」
今は
わたしはその使い方を教えてもらった後、二人で
目をつぶってプーケさんが許可を出せば移動できたらしく、事が終わると
最後に見たプーケさんは、期待のこもった目でわたしたちを見送ってくれた。
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