宝石は語らない

5

「今のところはここまで」

と、ジゼルの言葉を書きあげていたロファーが最後にそう書き加える。それを見てジゼルがフンと鼻で笑った。

「それで、どうなんだい？　何かわかったか」

ロファーがジゼルに問う。

「それに二十五年くらい前の話はどうなったんだ？　全く出てきてないじゃないか」

　ジゼルの言葉を書き写し、長老に出す報告書を仕上げたロファーだ。

「あぁ、昼まで外に出るな、という根拠はない、と書き加えておいて ―― 行方不明も引き籠（こも）りもいないって話じゃ考える必要もない」

ふてくされ顔のジゼルが言う。

「今のところ犯行がいつも早朝だから、って以外、理由はない」

「そんなこと書いていいのか｣

「この報告書はね、ロファー。気が付いてないようだけど、長老の依頼を取り下げさせるためのものだよ」

　おぃおぃ、とあきれるロファーに

「だから、いい加減な報告書がいい ―― この犯人、常人じゃないよ。かといって魔虫とか魔獣とかでもない。もちろん普通の獣など論外。理性を持っている」

「理性があるなら人間かと思うがね。理性のある鼠とかがいると嫌だな。犯人が何者か、っていうより、この報告書、間違えればジゼルが犯人だって根拠になりそうだ。

なんだか『私は魔導術が使えます』ってアピールしているように見えるよ。特に今、書き加えるように言った一文、それでまた犠牲者が出て、それが昼過ぎの犯行なら、ジゼルだ、って間違いなく騒ぎ出しそうだ」

「理性がある鼠がいてもいいかと私は思うがね。理性のあるウサギになりそこなったロファーもいることだし。街人たちが騒ぎ出したら、その時はあなたも街の人たちと一緒になって『犯人はジゼルだ』って言うんだよ。でないと何されるか判らない」

「俺におまえを裏切れ、と？　情けないこと言うな」

　怒気をはらんだロファーの声に、ごめん、とジゼルが呟いた。

「……ったく、仕方ないヤツだな。いいよ、もう一杯だけ珈琲を淹れるよ。休憩しよう」

パッとジゼルの顔が明るくなった。

「でもこれで終わりだ、また明日にしておけ。こないだみたいに眠れなくなると厄介だからな」

　初めて珈琲を飲んだとき、美味い美味いと立て続けに五杯飲み、眠れなくなったジゼルは、自宅で眠るロファーに『眠れない』と、一晩中しくしく泣く声だけ送ってよこした。安眠を妨げられたロファーはたまらず、夜明けを待たずジゼルの家に押しかけ、もう絶交だ、と怒鳴り込んだが、ごめんなさい、と涙ぐむジゼルにやっぱり騙されて許してしまった。あの時、珈琲豆を持ってきたのもロファーだった。

　二度と珈琲は持って行かない、と決めたはずなのに、市場で珈琲豆を見たとき、ジゼルの喜ぶ顔が思い出されてつい購入してしまった。

　珈琲を挽くロファーに

「そう言えばロファーの親御さんってどんな人？」

とジゼルが聞いてきた。

「俺の身の上を聞くなんて珍しいね。初めてだな」

「こないだ母の話をしたから。ロファーはどうだろうと思って」

「おっかない魔導士の母上だったっけ」

ロファーが笑う。

「俺の親父は代書屋で、おふくろはその女房さ。ふたりとも死んじまったけどね」

「あぁ。だからあの広い家で一人暮らしだ」

「広くはないよ―――もっとも、産んでくれた親は別にいるらしい」

　ジゼルが身動（みじろ）ぐ。

「産んでくれた親？」

「うん……二十二年前、ほら、おまえがドラゴンを退治した湖があるだろう、あの畔で俺は両親に拾われたんだと」

　旅の途中だった両親はまだ臍（へそ）の緒のついたロファーを見つけた。その時、たいそうな額の入った金袋と、『次の街で商売を始めてこの子を育てろ』と言った手紙が添えてあったと言う。

「この子を育てろ、だよ、命令だ。で、俺の親は逆らうのも恐ろしく、言われたとおりにこの街に代書屋の店を出した。二十二年前の話だ」

　いつも明るいロファーがこの時ばかりは少し陰りを見せた。

「でもさ、そんな経緯があっても両親は俺をちゃんと愛して育ててくれた。子を授からなかったってのもあるかも知れない。二人が死ぬまで俺はその事を知らなくて、本当の親だと思っていたもんさ」

　ほら、三杯目だからね、もう今夜はだめだよ……ジゼルの前に湯気を立てる珈琲カップが置かれた。

「ねぇ……こんなこと聞いちゃだめかもしれないんだけど」

ジゼルが遠慮がちに問う。

「ご両親は同時に亡くなったの？」

ロファーが遠くを見つめた。

「九年前だった。俺は使いを頼まれて伝令屋に行ったが、そこの親爺に話し相手をさせられて帰りが遅くなった」

　帰ったとき、店の前には人だかりができていて、店の中は何をどうしたかというぐらい荒らされ破壊されていた。

　二人はとっくに死んだ後で、俺の顔を見るなり隣のおばさんが駆け寄ってきてさ、強盗の仕業だよって泣きじゃくって。

　金（かね）も、金目のものも、何もなかったんだけどね……伝令屋の親爺に引き留められていなければ、今頃俺はここにはいなかったかもしれない。

「俺の命の恩人でもある伝令屋は、両親がこの街で商売を始めた時から商売の相方だったから事情もよく知っていたんだろう、育ての親だってことを教えてくれたのも伝令屋の親爺だ ―― 九年前の夏至の日、そして、犯人はまだわからない」

「夏至の日……」

「俺の十三の誕生日でもある。両親が俺を見付けたのは夏至の日だった。もっとも本当にその日が誕生日か怪しいがね」

　さぁさ、こんな話はやめにして、早く珈琲をお飲みよ。冷めてしまうよ ―― いつの間にかロファーの傍らに立ち、その背中を撫でているジゼルに、ロファーが笑みを向ける。

「やはりロファーは強いね。いつでも笑っている」

そんなロファーが好きだよ、と真顔でジゼルが言う。どう受け止めたものか、いつも通り迷うロファーだった。

「あ……ということはロファー、もうすぐ二十二になるんだね」

と、急に明るい声でジゼルがその場の空気を変える。

「ん……まぁ、そういうことだな。プレゼントでもくれる気か」

「いいよ、何が欲しい。二十二ならば結婚も許される。なんだったら私にするか」

ニヤニヤと笑っている。こいつ、また俺を揶揄（からか）う気だ。それならば……

「結婚が許されるのは十八だぞ。でも、まぁ、うん、ジゼルを貰おう」

ロファーもニヤリと笑う。

「あなたは二十二まで許されないよ」

謎なことを言い、更にジゼルはにっこりする。

「ではこれで契約成立だ」

「契約なのか、婚約じゃないのか。で、どっちが夫でどっちが妻だ？」

これを聞くとき、ロファーは少しドキドキした。

「ロファーはどっちがいい？　私は男にも女にもなれる。どっちも選べる。ロファーはどっちが好き？」

　大爆笑のロファーになぜ笑う、とジゼルが剥（むく）れる。

「ちなみに私も夏至の日に生まれた。あなたが二十二になる日、私は十七になる」

おーーーい、と笑い転げるロファーだった。