こがねの魚と銀の月

47 （ビルセゼルト）

　ビルセゼルトが目覚めたのは南の魔女の居城、魔女の寝室だった。

　あいつ、思いっきり失神術をぶつけやがった。でも、そうしなければあの時の私は止められなかったか。重い頭でぼんやりと考える。

　森はジゼルの行方を知らないと言った。

（この森にいる限り守ると言った、約束した。だが、森を出てしまえば私の力は及ばない）

「それが判っていて、なぜ出した？」

　ビルセゼルトはジゼルが森にいないことを知ると、更に憤り森を怒鳴りつけた。それを森は笑うばかりだ。

（漸（ようや）く答えを見つけ出し、息子を取り戻したと思ったら、今度は娘を見失う。ビルセゼルト、おまえも難儀な男だな）

　その言葉に糸が切れ、ビルセゼルトは森に雷をいくつも落とす。燃え始めた森が

（我は王家の森、当主が焼き払うというならば見事燃え尽きて見せよう）

と更に笑う。

　ビルセゼルトの周囲に逃げ惑う鳥や小動物が溢れかえり、叫び、助けを求める。そこでビルセゼルトが我に返り、火を消し、再現術を使う。苦悩に自責の念が追加され、ビルセゼルトは頽（くずお）れる。

　そんなビルセゼルトに森は慈愛の目を向けた。

（ジゼルが姿を消してから、ジゼルの気配を感じたのは二か所だ）

森の言葉にビルセゼルトは顔をあげる。

（おまえの別荘の近く『ペガサスの住処』に、まず現れた。そして程なく気配は消えた。その次は『霧降る白鷲（しろわし）の森』だ。そこではときどき気配を感じる。その近くにいるのかもしれない）

　霧降る白鷲の森はアウトレネルの領地だ。大至急で来いとアウトレネルを呼び出し、どうなっていると怒鳴りつける。何も知らないとアウトレネルが言い、だいたいおまえはジゼルの事となると、と言い出し口論になった。

　気が付いたら取り乱し、教授たちが怪我を負ったアウトレネルを庇（かば）っていて、誰が呼んだのかジョゼシラが失神術を投げてきた。

「ビリー、いい加減にしろ！　癇癪（かんしゃく）は私だけでいい！」

　ジョゼシラの言葉に返す言葉が見つけられないほど呆（あき）れ、つい対抗術を出すのを忘れて失神術をまともに食らった。あるいは、怒りに任せて力を思い切り使っていたビルセゼルトには、ジョゼシラに対抗できるほどの体力が残っていなかったのかもしれない。

　ビルセゼルトの髪はグリンバゼルトの時と比べようもないほど色変わりし、瞳の色すら変わっていた。髪は黄金色、瞳は琥珀（こはく）色 ――

　天蓋（てんがい）をまくり、誰かがビルセゼルトを覗（のぞ）きこむ。南の魔女ジョゼシラ、ビルセゼルトの妻だ。

「目が覚めたか？」

まるで別人だ、と口の中で言うと、ジョゼシラは薄ら笑いを浮かべる。

　どれほど寝ていたのだろう、と問えば、あれは昨日の出来事、そして今は夜が明けたばかり、とジョゼシラが答える。

「馬鹿者が……せっかく積み上げたキャリアを棒に振りたいか？　アウトレネルが幼馴染の痴話（ちわ）喧嘩と収めたから良かったものの、私が一足（ひとあし）遅れていたら、どうなったか。ギルドから警護魔導士まで呼ばれていた」

「キャリアね。魔導士学校の校長も、ギルド長も、なりたくてなったわけじゃない。おまえの夫である限り、魔導界追放はない。南の城で隠遁生活を送るさ」

「おや、隠遁生活に移るのは、私が力を暴走させて封じると言われた時ではなかったか？」

ジョゼシラがクスリと笑う。

　そうだ、そんな話をしたこともあった。あれはあの戦争が気配を見せ始めた頃だった。ビルセゼルトが思い出を呼び覚まそうとする。と、目の前にジョゼシラが湯気を立てたカップを差し出してくる。

「ホットミルクだ。ハチミツを溶かしてある。飲め」

「……どうせ飲むなら紅茶か酒か。せめてハチミツはないほうがいい」

「贅沢なヤツだ……いいから飲め。甘く温かい飲み物は心と体を休める。あなたは少し休んだ方がいい」

ゆっくりとビルセゼルトがジョゼシラを見る。

「なぜその言葉を？　なぜ知っている？」

＝ 甘く温かい飲み物は心と体を休める ＝

　リリミゾハギがビルセゼルトに言った言葉だ。その言葉に縋（すが）り、自分に甘え、リリミゾハギに助けを求めてしまった。

　それをなぜ、ジョゼシラが口にする？　そんな事を言ってくれるのはリリムだけと信じたのは思い違いだったのか？

「何かおかしなことを言ったか？」

不思議そうにジョゼシラはビルセゼルトを見返すばかりだ。

「ほら、さっさとカップを取れ。カップも持てないほど疲れているのか？　まったく、相変わらず情けないヤツだ」

　ジョゼシラがビルセゼルトの手を取り、カップを持たせようとする。ビルセゼルトはジョゼシラの手を軽くいなし、自分の手を自分の目元に持っていく。

「ビリー？　泣いているのか？」

「うん……俺はそんなに情けないか？」

「いや……」

ビルセゼルトが泣くのを見るのは双子の弟が世を去って以来のジョゼシラが、どう答えたらよいものかと戸惑う。

「うん、俺は情けない、どうしようもない。それをお前に知られたくなくて ――」

嗚咽（おえつ）がビルセゼルトの言葉を止める。

　あぁ、とジョゼシラは思い当たる。この男、やっとそれに気が付いたのか。自分の欠点を見せたら私が離れていくと思いこんだ馬鹿な男。離れられないのは私も同じなのに。

「ビリー、何があっても私はビリーが好きだ。愛している。あなたが情けないことなんか、知り合った時から知っている。それでもあなたを好きになった。あなたのダメなところもひっくるめて好きなんだ」

　双子の弟を見捨てた両親の、期待と愛情を一身に受けて大事に育てられた。弟の分もそれに応え、両親が見捨てた弟を守り、それがビルセゼルトの生きる指標になっていた。

　だから、誰にも欠点など見せられないと、妻の前ですら肩から力を抜けずにいるビルセゼルトに、言葉で言っても判らない、己で気が付くしかないと、ずっと待っていたジョゼシラだ。

「だから安心していい。どんなにあなたが愚かでも、情けなくても、頼りにならなくても、他に何かあったかな、何しろ、私はビリーから離れない」

途中でビルセゼルトが泣きながらも吹き出す。

「愛しているよ、ジョゼ。約束だからな、何があっても俺を嫌うな」

ニッコリとジョゼシラが笑う。そしてビルセゼルトの顔に残る火傷の痕（あと）に触れる。

「そう、約束だ。ビリーは一生私の傍にいろ」

　ビルセゼルトの顔から火傷の痕が消える。そして僅かに瞳の色が赤みを帯び、レンガ色に近づいていく。ジョゼシラが何度も回復呪文を投げる。少しずつビルセゼルトの髪も赤く燃え始める。

「さて、私たちの娘を取り返さなくてはならないな」

　ジョゼシラが呟く。そのころにはビルセゼルトの髪は燃えるような赤い髪に戻り、レンガ色の瞳は鋭い光を放つようになった。

　ビルセゼルトが頷いた。

「今日は夏至の日。なにか起こる前に見つけ出し、連れ戻そう」