35 (グリン)

 朝からいい天気だった。夕食を食べなかった胃はさすがに空腹を訴えていて、僕は談話室が静まるを待って部屋を出た。皆、食堂に行った後のはずだ。


「おはよう、グリン。酷い顔だな」

待ち伏せしていたのはアランとカトリス、談話室が空になれば出てくると読まれていたらしい。


「あー、腹ペコだ。さっさと食堂に行こう」

僕の顔を見た途端、アランは談話室から出ていき、カトリスは僕の肩を叩いた。


「アランは一晩中、談話室にいて、おまえの部屋の様子をうかがっていた」

ポソっとカトリスが言った。


「まぁ、アランが友達で良かったな」

うなずくしか僕には出来なかった。


 食堂ではアランとカトリスに挟まれて座らされ、他の学生が僕に話しかけるのを二人が防いでくれていた。


 アランとカトリスは何を知っているのだろう? いや、何も知らず、だが、何かがあったと察して、元気のない僕から人を遠ざけてくれているのだろう。それとも?

それともアランがシャーンから何か聞いた、とか。シャーンはアランに話すだろうか。


 アランが幼馴染だと、すっかりシャーンは忘れていてアランを嘆かせた。そのシャーンがアランに話すだろうか。


 強い視線を感じて顔を上げる。誰か今、僕の心を覗こうとした。僕が気付いたから、それをやめた。視線を感じた方向を見る。


 一段高い教授たちが並んだ中にビルセゼルトがいる。隣のペリカパキラ教授と何か話し込んでいる。僕の思い過ごし? ううん、確かにビルセゼルトは僕を見ていた。


「しっかり食べろよ」

アランが僕の皿が空かない事を気にして小声で言ってくる。


「料理じゃなくて、ケーキなら食べやすいかも。マフィンでもどうだ、とろうか?」

そう言うと、テーブルの大皿からマフィンを取って、小皿に乗せて僕に寄越す。糖蜜のかかったマフィン、シャーンが好きそうだ。


 そう言えばシャーンはどうしただろう。白金寮の連中が集まる方を見ようとしたら、やっぱりアランがつぶやくように


「シャーンは心配ないよ。僕たちと入れ違いに、食事を済ませて同じ寮の子たちと部屋に帰った」

と、教えてくれる。


「そうか……ありがとう」

「おや、ありがとうとは珍しい。マフィンが気に入ったかい? 今日はほかにカスタードクリームにフルーツを混ぜてゼラチンで固めたのもある。食うか?」


 僕がありがとう、と言った意味を知っていながらアランは別の話に変えた。僕が黙って頷くと、ボウルにゼリーを装ってくれた。


 空腹だったはずなのに、いざ食べ物を目にすると気が重く、結局僕が食べたのはそのゼリーだけだ。


 食堂を出るとき、アランがいくつかのパンとマフィンを宙に消すのに気が付いた。


「今日は講義をさぼるから、グリン、付き合えよ」

 寮に戻るとアランは強引に僕の部屋に陣取った。勝手にクッションを出して床に座った。そしてバスケットを出すと、くすねてきたパンとマフィンを入れて机に置いた。ふわりと布巾ふきんをそれに被せる。


「腹減ったら勝手に食え。はい、お口を開けて、あーん、なんてしないからな」

 アランはどうやら眠いらしい。ローブを脱ぐと毛布のように被り、クッションを抱いて横になった。よく見るとクッションだけでなく、ラグがしっかり敷かれている。


「なぁ」

と眠そうな声でアランが言う。

「トカゲってさ、身の危険を感じると、尻尾しっぽ切って逃げるよな」

「そうだね」


「僕たち人間は、何を切って逃げればいいんだろう?」

「アラン?」


「昔さ、おまえが捕まえたトカゲが尻尾切って逃げたのを見て、シャーンが大泣きしたことがあるよね」

「あぁ、あったね」


「それをなんだか思い出した。で、思った。僕たち人間にも、トカゲみたいな尻尾があれば良かったのに、って」

「……」


「あ、でも、尻尾がないと逃げだした事が一目瞭然だ。恥ずかしくって外に出られないや」

クスクスと可笑しそうにアランが笑う。


 アランは何が言いたいのだろう。切り捨てるべきはさっさと切り捨てろ、とでも言いたのだろうか?


「トカゲが尻尾を切ったのを見て、シャーンはトカゲが死んでしまったと泣いたんだったなぁ」

笑うのをやめたアランが再び語り始める。


「トカゲは死んでいないから泣くな、と言ってもなかなか泣き止まなくて。僕は逃げたトカゲを探した。見ればシャーンが納得すると思った。でも、トカゲは見つけられなかった。あの時、トカゲを見つけられていたら、シャーンは僕を忘れずにいてくれただろうか?」


 思わずアランを見ると、アランは寝ころんだまま、うーーんと背伸びした。

「ダメだ、グリン、僕は眠る。眠るが監視しているからな、部屋から抜け出そうと思うなよ。おまえも少し眠れ」

と、言うなりクッションを抱いて寝息を立てた。


 黄金寮に入寮したとき、一番歓迎してくれたのがアランだった。

「僕は頼りにならない男だが、幾らでも頼りにしてくれ」

と、笑った。そして訳の判らないまま、お喋りオウムに連れて行かれ、そこで友情を教えてくれた。


 アランの母親は体が弱く、療養させたい思いもあって父のアウトレネルは街の魔導士になった。僕たちが住む街の近くだった。


 アウトレネルは僕たちの街屋敷に頻繁に顔を出していた。よくアランを連れてきて、僕たちを庭で遊ばせた。アウトレネルと母は、庭の四阿あずまやでお茶を飲みながら僕たちを眺めていた。


 今、思えばビルセゼルトの用事で来たのだろうけれど、『遊びに来たよ』と言うアランに騙されていた。もちろん、アランは遊びに来たのだろう。


 アランが八歳になるころ、アランの母親が他界し、アウトレネルは街の魔導士をやめ、ビルセゼルトの直属の配下になった。それに伴い街から出、ギルドの直轄地に居を移した。


 そしてアランが僕たちの屋敷に遊びに来ることもなくなった。僕が七歳、シャーンが五歳の頃の話だ。シャーンがアランを覚えていなくても無理はない。僕だってアランに言われなければ、思い出さなかったかもしれない。


 監視していると言ったけど、アランはすっかり寝入ったようだ。カトリスが言っていたように、夜の間、ずっと僕を見守っていたのだろう。もし僕が部屋を抜け出して森に行こうとしたら止めるつもりだったのだ。


 僕はクローゼットからケットを取り出して、ローブの上からアランに掛けた。エメラルドに輝く髪がサラサラと流れる。魔導士でも珍しい髪の色だ。


「僕の容姿は母そっくりで、さらに僕は母から体質を譲り受けた。髪は……これはなんだ、突然変異だろうな」

いつかアランが言っていた。


「母は決して無理をしなかった。だから僕も無理しない。頼りにならない男なのだよ」

冗談めかして笑っていたけど、決して冗談ではなかったのだろう。


 その証拠に、アランは鍛錬を怠らない。そして体調管理が徹底している。自分の弱点をどうにかして克服したいのだ。そのアランが徹夜で談話室にいた。僕のために。僕を心配するあまりに。


 申し訳なさと感謝で胸が詰まる。アランと同じ黄金寮で良かったとしみじみ思う。知の白金寮、友愛の黄金寮、団結の赤金寮。どの寮になるかは、学生の資質で決まると聞いていた。


 資質にあう者、寮の資質を受け継ぐ者、あるいはその資質が必要な者をそれぞれに配置する。僕はきっと白金寮だと思っていた。


 だが、配置されたのは黄金寮だ。知識に自信を持っていた僕は、自分が否定されたように感じていた。でも違った。僕に足りないものを学ばせるために僕は黄金寮だったのだ。


 おぼろな意識の中、デリスの声が聞こえた。いつの間にか僕も眠っていたらしい。デリスがアランを起こす声が聞こえる。

「必修科目だ、欠席はまずい」

デリスがそう言っている。

「グリンはよく眠っているよ、夕食の時、起こせばいい。アラン、講義に行こう」

「うん……」

眠そうなアランの声がする。


「よくここが判ったね」

「カトリスが談話室にいる。教えてくれた」

「そうか……カトリスも心配しているんじゃないか?」

「もう講義に行ったよ。早くしなきゃ、僕たち、遅刻だ」

アランが立ち上がってローブを羽織る気配がする。そっとドアが開き、閉まった。二人の気配が遠ざかる。


 ごめん、アラン。僕はもう一度森に行く。


 もう一度あの森のあの沼に行き、僕が見ていたものを確かめてくる。そしてもう二度と行かない。僕のトカゲの尻尾はあの森と沼だ。沼の絵を描こうとは、もう二度と思わない。

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