14  (グリン)

 バイバイ、と手を振って少女は木立の中に消えた。また明日ここにいる、と告げたけれど、来てくれるだろうか。


 きっと来てくれる、グリンバゼルトは信じていた。あの子はあんなに楽しそうに、笑っていたじゃないか。きっと来てくれる。けれど今日も僕に声を聞かせてくれなかった。歌声を聞いたし、笑い声もたくさん聞いたけれど語ることはなかった。なぜだろう。


 僕を嫌っているとは思えない。僕を見つけてニッコリ笑った。頬に触れても嫌がらなかった。それに、ダンスに誘ってくれた。そりゃあ、誰かと踊りたいと思って、あの場に僕しかいなかったからかもしれないけれど、嫌いなヤツとは踊らないはずだ。


 それに…… 


 グリンバゼルトは机に置いた花瓶を見る。赤いデイジーが十二本、活けてある。さっきあの子に貰った花だ。

「キミはいくつなの?」

尋ねると、少女は指を一本立てた。一歳ってことはない、十一歳? それとも?


「それは、キミはこの世に一人しかいない、って意味?」

思った通り、少女はうなずく。


「僕が聞きたかったのは、キミの年齢だよ」

 思わず笑ってしまったがそう言い直すと、少女はグリンバゼルトを置いて何処かへ行こうとする。聞いちゃいけないことだったか、とグリンバゼルトが見ていると、少女は陽だまりで花摘みを始めた。

(気紛れなんだなぁ……)


 赤いデイジーばかりを摘んでいる。好きな花なのだろう。黄色と赤のコントラストが美しい。何本か摘むと納得したのか飽きたのか、グリンバゼルトのところに来て、花束を差し出してきた。


「僕にくれるの?」

少女が頷く。受け取ろうと手を出すと、なぜか花束を引っ込める。そして花束を持っていない方の手を上に向ける。


「こうしろってこと?」

 グリンバゼルトが掌を上に向けると、少女はそこに花を一本一本置き始めた。何とはなしにグリンバゼルトは花を数える。


「十二本。キミは十二歳?」

少女が嬉しそうに笑い、頷いた。そしてグリンバゼルトの顔に人差し指を向ける。


「僕? 僕は来月十六になる」

 すると少女はまた陽だまりへと走ってゆく。今度はカタカゴの花を摘んできた。数えるまでもない、きっと十六本だ。


 カタカゴもデイジーの隣に花瓶に生けておいてある。恥じらうように俯いて、少し寂し気だが、そこがまた美しい。


 グリンバゼルトはスケッチブックを取り出して、少女の顔を思い出そうとした。カンバスに描く前に彼女をどう描くか考えようと思った。


 最初に思い浮かんだ顔は、ダンスの時のダメ出しの顔、唇を尖らせて、真面目な顔でグリンバゼルトを見ていた。


(あの唇、ひょっとしてくちばしのつもり?)

そう思うとおかしくなって、つい声を出して笑ってしまった。


 と、誰かがドアをノックする。寮長のカトリスマシコだった。


「あのさ、グリン。おまえ、このところ、談話室に顔、見せないよね」

判っているくせに、と思いながら、わざわざ喧嘩を売ることはない。グリンバゼルトは曖昧に頷いて見せるだけにした。


 カトリスマシコはグリンバゼルトを盗み見ていたが、やがて

「何かあったのか?」

と言った。


 何かあったも何も、僕が飛び級させられたって知っているじゃないか。それでみんな気まずくなっている、そんなこと、判っているだろう? そんなグリンバゼルトの心も知らず、

「みんな、心配しているぞ」

と、カトリスマシコが続ける。


「まぁ、中にはやっかむヤツもいるかもしれないが、そんなヤツは爪弾きにしてやる。もっとも我が黄金寮にそんなヤツはいないけどな」

 え? とグリンバゼルトがカトリスマシコを見る。


「他の寮のヤツは知らないが、少なくとも我が寮の結束は学校始まって以来揺るぎない」


グリン、おまえもその黄金寮の一員だ。飛び級しようが黄金寮生であることに変わりない。むしろ同じ寮に、飛び級を許される優秀な学生がいることを寮生たちは皆、誇りに思っている。


「うん、まぁ、グリンの気持ちも判らないではないよ」

 ただでさえ『偉大な魔導士』って言われる父親がよりにもよって校長だ。それがどれほど負担を感じるものか。その上、卒業年度に飛び級だ。七光りだと思われはしないかと、さらに負担を感じるだろう。


「だけどな、おまえの実力は学生全員が知っている。そしてあの校長が依怙えこ贔屓ひいきなんかしないことも、みんな知っている」

だから、おまえを悪く言うヤツが間違っている。


「ま、おまえが感じるプレッシャー、口ではわかると言っても、実は全く判らない。そんなもの、俺は感じたことないからね」

 カトリスマシコが愉快そうに笑う。それに、これを言うと余計にお前にプレッシャーを与えるかもしれないが、とカトリスマシコが申し訳なさそうに言う。


「我が黄金寮は伝説の魔導士サリオネルト様を輩出している」

 そのサリオネルト様の甥のおまえは、存在自体が寮の誉れだ。ましてサリオネルト様と同じ黄金の髪に琥珀の瞳。


「女の子たちは密かにおまえのファンクラブを結成した」

愉快そうに笑うカトリスマシコにグリンバゼルトは目をぱちぱちさせた。


「だからさ、引き籠ってないで談話室にも顔を出せよ。みんなお前を待っている。おまえ、どれだけみんなに好かれているか、判ってないよな」


 おまえは口数が少ないが、いつも穏やかで、そのくせ言うことは的を射ている。その上ときどき口にする冗談は、周囲を笑わせた上に優しい風を吹かせてくれる。


「談話室にいるとき、おまえは不快になった事があるか? ないはずだ。それはおまえを不快に思っているヤツが、談話室にはいないからだ」

 黄金寮の寮生は、おまえの味方だ。それは学校を卒業しても変わらない。我ら魔導士の結束をくびってはいけない。


「で、俺が寮代表として、おまえに話に来た。グリン、これは我が寮の総意だ。みんなおまえを待っている」


 今すぐ来い、とは言わないよ。できれば明日は顔を出せ。気まずかったらすぐ部屋に帰ればいい。だけど、元通りになるように、みんな願っていると忘れないでくれ。


 とうとうグリンバゼルトから一言も答えを聞かず、カトリスマシコは部屋を出る。答えなど必要なかった。それはグリンの顔を見れば判る。もし、思いが届いていなくても、そのうち無理にでも談話室に連れて行ってやる。グリンは必ず戻ってくる。カトリスマシコはそう思っていた。


「花を飾るなんておしゃれだね」

 カトリスマシコは部屋を出るとき、机の上の花瓶に目を止め言った。


「赤いデイジーは『無意識』で、カタカゴは『初恋』って花言葉だ。知っていたか? それじゃあ、オヤスミ、また明日な」

 グリンバゼルトは黙ってカトリスマシコを見送った。

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