恋は酔わないうちに

水野 文

恋は酔わないうちに(1)

 街灯がちらつく大通り。真夜中ともなるとそれなりに車の流れも少ない。一匹の黒猫が口に子猫を咥えて大通りを渡っている。子猫は大人しくぶら下がっていた。遠くから甲高い排気音が響きわたる。一瞬の出来事だった。猫は車にはね飛ばされてしまった。子猫がニーニー鳴きながら、動かない親猫にすがる。酔った男が近づく。


「お前の母ちゃんは死んだ。もう、楽にしてやれよ」

 

男は手のひらに収まる子猫を優しく上着のポケットに入れた。子猫はポケットの中で母猫を呼び続けていた。


 黒猫が目覚めて背伸びをする。隣に寝る男の寝返りを慣れたようにかわすと、腕に潜り込みまた眠りについた。

 


「肝機能に障害がでてますね。あと心的ストレスもかなり重症です。このままだと二十七歳でも死につながります。今すぐの治療を勧めます」

「治療はどのように?」

「軽度の鬱、それにアルコール依存の傾向があります。休暇を取り、カウンセリングを受け、定期的な診断をしてもらいます」


 勇気は「休暇」の言葉に気が重くなった。いまも医師と面談をしているのは、健康診断の結果が再診要のため職場から診察を受けるよう指示され、やっと重い腰を上げたのだ。半日の診療休暇をとったが、これは職務命令として行動しているだけであり、長期休暇など考えられない。医師の言葉も半分は聞き流し、仕事のことが頭を駆けめぐっていた。


 勇気はディスクに着き、診療書類を引き出しに放り込むと一息ついた。その隙を見計らって霧島が申し訳なさそうに声を掛けてきた。霧島(きりしま)は入社三年目の女の後輩だ。


古宇ふるうさん、この企画書ちょっと目を通して頂きたいのですが」

(席に戻ったとたんこれだ。なんとも自信のない顔をする)

 書類に目を通すとすぐに手直し箇所を見つけた。


「これじゃ通らない。いい加減、課長の性格を把握した方がいい。数値データは頭にもってこないとだめだ。企画書のデータ送って」勇気は霧島に指示すると、自分で企画書を書き直して送り返した。霧島は安心した顔で頭を下げてお礼を言っている。軽く手を挙げ応えた。ふと横を見ると、自分の書類がたまっているのが目に入った。思わず胸を抑えたくなるのと同時に、鈍い頭痛が襲ってきてた。いつもこうだ。人の仕事に手を出して自分が後回し。苦しむことが分かっているのに、ついやってしまうのだ。これが入社してから五年続いた。メンタルが持たないなと感じながらも抜けられない自分がいる。保たないかな・・・・・・勇気はうつろな目で呟いた。


 カーテンの隙間から明るい光が差し込み、勇気の顔を照らした。思わず布団の中に顔を埋めてため息をつく。スマホからオルゴールの音が鳴った。


(この音は職場からではないな)


スマホを手探りでつかみ取り、画面を見た。湖依之恵美こいのめぐみと表示されている。


(めずらしい)


 布団に潜り込んだまま通話ボタンを押した。


「どうした、久しぶり。何かあった?」


 寝ぼけた声で答えた。


「何かって!もしかしてまだ酔ってる?」恵美の声は驚きを含んでいた。明るくはっきりとした話し方は、子供の頃から変わらない。

「あのね、夜中にうちの宮司をたたき起こして御札を作れという男がいたのよ」

「そりゃあ、宮司もたまらんわな。それがどうかしたのか?」


 何を言いたいのか分からんとばかりに返事をすると、恵美も分からんのはお前の方だと応戦する。


「宮司が御札に入れる名前を聞いたのよ。そしたら男は顔も見せないまま名刺を出したの。御札を渡したら、お金を置いてスタコラ去ったわ」

「それで?夜中の迷惑な男がどうしたんだ?」

「その迷惑な男っていうのが(株)華鳥風月コンサルタント 企画課 古宇勇気ふるうゆうきなんだけど。何の冗談?」 

「いや、何それ?知らん」

「話はそれだけじゃないのよ。朝に社を掃除していたら、スーツにシャツがそこらに散らばって財布まであったわ。中身を見たらアホ面の写った免許証があるじゃない。まさかと思って電話してみたの。勇気、もしかして裸で寝てない?とぼけるなら中身全部を賽銭箱に放り込むよ」

「あっ、ごめんなさい。中身全部を賽銭箱にはちょっと・・・・・・」 


 勇気は言われるまま自分の着ているものを見た。スウェットを着ている。裸ではないと安堵する自分が情けないと思った。恵美は財布を届けに行くと言って電話を切った。


 枕元を見ると飼い猫のホープが黒い毛並みを光らせてグーグー寝息を立てていた。


 

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