二章 一歩目を踏み出して

第20話

 ついにこの日がやってきた。

 何時も通りの時間に起床し、日課を済ませて現時刻は朝七時。

 ここからはいつもどおりとは行かない、なにせ現段階で何時もと違う装い、学生服に身を包んでいるのだから。

 鏡には派手目な学生服に身を包んだ、異世界に紛れ込んだと錯覚させられる自分が居る。中学時代の学ランも精神年齢的にコスプレ感があったのだが、今日から三年間身に纏うことになるコレはそれと比較にならない位の着せられてる感だ。今すぐ脱ぎたい。


 前世においては中高学ランだったのでブレザーに憧れた事もあったような気がしたけれど、実際着てみるとネクタイ締めなきゃならないし中はワイシャツでくっそ面倒臭いな。

 一応、社会人ホワイトカラーを経てここに居る筈なのだが、何年もネクタイを締めない生活を送っていた弊害か燐音は窮屈さを感じていた。


 さりとてこの不満は解消される事は未来永劫ないので、思考的に不毛である。

 その事実と向き合った燐音は鏡に映る『学生服に着られた自分』から目を離す。


「……慣れない」


 これは、格好へ対する諦めの言葉ではなく、目を離して真っ先に視界に入る自室へ対する心情の吐露である。


 愛娘との同居が始まって約一ヶ月。

 燐音は未だに宛行われた自室を自身のテリトリーに出来ずに居た。


 永界島における世良宅は、サイズ感こそ一般的な一戸建て物件であるが、端的に言って豪邸だ。エレインが家庭というものに憧れを持っており、金銭感覚がバグっているという前提条件がそのまま物件になってしまったかのような、所謂、世間一般の憧れを詰め込んだような建造物である。

 当然の様に内装もトータルコーディネートされ、荷解きすら外注された結果、燐音はお高い家具に囲まれ、『何処に何が配置されているか』がリスト化された用紙を手に呆然と立ち尽くす事となる。


 初日はまだ良かった。

 慣れない番組出演で、風呂に入ってすぐ燃え尽きた様に眠ってしまったから、現実を直視しなくてよかったので。


 二日目に、やせいに帰りたくなる。

 幼少期に暮らした洞窟より居心地が悪い上、起きたらエレインは書き置き一つ残して仕事で居ない。身の丈にあった生活の重要性という論文を書き上げてネットにUPし、夜にエレインが帰って来るとベタベタして孤独感を中和させようと試みる。

 ふと顔をあげると、エレインが計画通りという顔をしていた。

 珍しくというか、なんなら初めて自ら紳士協定ノータッチを破った燐音に口角が釣り上がるのを抑えられないと言わんばかりの表情で、力一杯抱きしめ返していたのである。


 確信犯だコレ。


 三日目、下見もりに行く。

 燐音の精神性を理解したエレインの裏切りにより、何も信じられなくなったので自分の力で生きていくことを決意する。

 SPに連れ戻された。


 以降、複数回に渡り別居を試みるも、結局父親という知的生命体は可愛い娘によわいもので、一回の泣き落としで計画は頓挫することとなった。


 そもそもの話、居心地が悪い理由自体は結構単純明快なのだ。

 端的に言うなら貧乏性。

 自分の私物より備え付けの家具一台の方がプライスが上とかうっかり壊してしまうのが怖くて落ち着かないし、ゴージャスな暮らしには実は適正があるのだ。


 燐音はどうしてもランニングコストが気になるタイプなので、金はあるから豪勢に行こうとはなれない。何方かというとそれを元手に増やそうとするタイプである。

 それに加え、湯水の如く降り注ぐトラブルに辟易していることもあって、『今の日常』というものを尊んでおり、仮に所持金額が無量大数円だったとしても今迄の当たり前を大切にするのだ。


 対してエレインはそもそも貨幣を引換券程度にしか考えておらず、超天才なので意識しなくても舞い込んでくるそれを幾ら使おうがなんとも思わないので、そもそも『無駄金』という概念が理解出来ない。 

 そして、育った環境の影響もあって『金で解決出来る事象において、金は掛ければ掛けるほどよい』という認識がある。


 この辺の認識の齟齬は、何気に解消するのが困難だったりする。

 なにせ双方共に理由は違うが『親子間で金の話をする』事は好ましくないと考えているからだ。実際の親子がどうであるかはご家庭によって違うだろうが、少なくともこの二人はそう考えている。


 問題について話し合いが成されないので、双方共に悪意は無いけどなんか息苦しいみたいな事態になるのである。超ウケる。



 そして問題はもう一つ。


「おはようございます、旦那様」


 メイド服を身にまとい、綺麗にお辞儀する女性。

 漆黒の髪に、灰色の瞳。エレインよりも長身で、背筋がピンと伸びているから実際の慎重よりも更に大きく見える。

 彼女こそ燐音が野生に帰ろうとした際にそれを妨害した人物であり、燐音がここでの生活で最もストレスを感じる要因。


「……おはようございます、アレクサンドラさん」


 アレクサンドラ。彼女は燐音の目から見て明らかに堅気じゃない。

 ハウスメイド、とエレインから紹介はされたが、服越しには一見華奢に見えるが一皮剥けばソルジャーボディが顔を出すのはひと目でわかった。

 外見上全く分からないレベルで偽装、ないし証拠隠滅されているが、恐らくは軍人上がり。燐音から見れば灰色の眼差しと鋭い眼光が相成って血に飢えた狼だ。

 何でエレインにメイドとして雇われているのかだとか、そもそもどこで知り合ったんだこんなヤベー奴だとか、思うところは色々あるが、燐音は未だエレインに真実を問えてはいない。


 エレインが家にいる時、アレクサンドラもまた家に居る訳で、外出する際にもドライバーとして着いてくる。

 黒塗りベンツとか生涯乗る予定は無かったよ……。


 後、燐音の気の所為でなければちょこちょこ性的な目で見られている。風呂上がりとか。

 同時に、紹介された段階から既に微量の敵意も。

 融合すると殺すなら陵辱してから殺そうとか考えてそう。超怖い。


 敵意の理由は恐らく雇用主エレインへの悪意の有無を判別出来ないから、なのだろうが、彼女は住み込みで働いていて必然的に一緒にいる時間が多くなるのだが、そんな人と長時間一緒にいたら気が休まらないのは必定だ。


 ただ、実情は燐音が勝手にピリピリしているだけだ。

 彼女は職務に忠実で、敵意は巧妙に隠しているし、態度からはそれらしいものを欠片も感じさせない。現状ただの被害妄想なのである。

 同じ巣穴に犬と猫を同居させるようなものなので、燐音からすると実害の有無以前の問題なのだが。


「制服、よくお似合いですね」


「えぇ……そうですか?」


 馬子にも衣装(笑)とか内心絶対笑ってるよ。

 取り敢えず、欠片も盛り上がらないのでさっさとリビングに移動する。


「おはよう、父さん」


「おはようエリー。昨日はよく眠れた?」


「私は何時でも快眠さ」


 それは何より。

 自分で動きたいのを我慢してアレクサンドラに配膳して貰った朝食に手を付けた。

 今日はクロワッサンとスクランブルエッグとコンソメスープというド定番朝食だ。

 サクサクの外皮に包まれたフワフワのクロワッサンをスクランブルエッグと一緒に口に運ぶと、クロワッサンのバターとスクランブルエッグの塩味が調和して口いっぱいに広がる。


「父さんは今日から学校かあ」


「そのワードが同時に出てくるとヘンテコな気分になるけどね……」


 娘に感慨深く学校かぁなんて呟かれる父親ってなんやのん。


「で、放課後にいよいよ行くんだよね?」


「行くよ。ついに迷宮デビューだ」


 実は永界島に来てそこそこ日数が経過しているにも関わらず、燐音は未だ迷宮に入った事が無かった。


 まず、冒険者パーティ『采の目』への所属は正式なものとなった。

 番組前に話していた通り、ほぼ内定確実状態で、燐音の返事待ちみたいな感じだったのだが、生放送で『魔法』なる謎現象を発現してしまったせいで、色々注目の的となってしまい、この話を断ると100%面倒臭い事になるのが確定していたのでほぼ選択肢が無かった。

 まあ燐音としても、契約で雁字搦めにされるのはごめんだったので、企業に所属する気はあまり無かったから結局は所属を決めていただろうから結果に変化はないのだが。


 そして、パーティに所属したから早速迷宮に行こうとか、そんな話には当然ならない。

 打ち合わせは勿論だが、連携訓練も必要だし燐音は強化服にだって全然慣れていない。そのため、今日までは事前準備で消費していた。


 今日は流石に泊まり有りきの遠征ではなく雰囲気に慣れる程度に留めるらしいが、来週からは本格的に探索を始めるという。

 つまり入学早々授業を休む事になるのだが、その辺の時間調整が効くのも永学の強みで、後から補習を受ける事も可能だ。


「じゃあこれ、入学祝い」


 朝食が終わり、食後のコーヒーでカフェインをキメていると、エレインがそう言って小さな箱を差し出した。


「え、ありがとう」


 尚、『娘から……?』と思ったが何時もの事なので燐音は沈黙を選択。

 箱を開けると中には白金の指輪が入っていた。

 ……え、プロポーズかな?


「エリー、これは?」


「『金剛指イノセンス』という……まあ分類分けするなら遺物かな。一応私が手を加えてはいるんだけど性質を科学的に再現出来た訳じゃないから」


「いや名称を知りたい訳じゃなくて」


「効果は単純明快、指の強度がダイヤモンド並になる」


「なにそれ超すごい」


「もっと厳密に言うと『指がもげる事が無くなるまじないの込められた指輪』だね。硬いけど衝撃に弱いとか、そんな弱点が生えたりはしないけど、急に瓦が割れるようにはなったりもしないね」


 燐音は指の部位鍛錬はしてるから瓦は割れるけど、そういう話じゃないので口には出さない。


「成程、指を保護する性質はあるけれど、それに完全性は付随しないと」


「そういうことだね」


「まあそれでも超すげーよ。当たり判定の広い鍔って考えたらこれ以上は無いんじゃない?」


 要は腕ごとバッサリ行かれなければ剣を取りこぼす事がなくなるって事だ。

 骨折にも耐性が出来るんだろうか? 後でポーション飲んで試そう。


「利き手につければ四肢全ての指に効果が出る。役立たないに越したことはないけど、いざという時助けになると嬉しいな」


「ありがとう!」


「どういたしまして。どれ、私が付けてあげよう」


「あれ、俺って矯正して今両利きなんだけどどうすれば?」


「元はどっちだったんだい?」


「左利き。投手目指せるぜ」


「なら左にはめとけば間違いないだろう」


 エレインはそう言って燐音の左手を取り、薬指に『金剛指イノセンス』をはめる。


「よりにもよって何で薬指!?」


「左手薬指にはめる指輪はお洒落目的のアクセに含まれない。学校でも付けておくならこの方が良いと思うが」


「そもそも高校生が既婚者の可能性は加味されないんだよなぁ……」


 てかバリバリ未婚なんだけど。


「でも付けてるだけで子持ちに信憑性が生えると思うんだ」


「それは……あるかもだけど」


「じゃあそういうことでいいじゃないか」


「いいのかな……なんかこれを受け入れると盛大に婚期を逃す気がするんだけど」


「気の所為だよ」


 ……まあ良いか。

 燐音は今はエレインがはめてくれたものを態々外そうとは思わなかった。

 どうせ風呂入る時には外すだろうし、別に未来永劫ずっと薬指にはめなきゃいけないルールは無いのだから、問題がありそうなら人差し指とかに変えればいいだけだ。

 別に今日明日、つがいを見つけなきゃならんとかそういうはなしではないのだし。


「あ、そろそろ行かなきゃ」


 とかなんとかやってる内に気付けばもう通学時刻である。


「もうそんな時間か。アレクサンドラ、車の用意を」


「かしこまりました」


「あ、友達と待ち合わせしてるから送迎はいいや」


「え!?」


「いってきまーす。生きてたらまた夜に会おうぜ我が愛娘よ!」


 予定が狂ったと言わんばかりに驚愕の表情を浮かべたエレインをギュッとハグしてから燐音は鞄片手に軽やかな足取りで玄関に走る。

 黒塗りリムジンで送迎とかあり得ないんだよなぁ……! 何処のお金持ちキャラだよぉ……!


――――――

【あとがき】

 あり得た可能性の話。

 もしエレインが薬指ではなく人差し指にはめて、燐音がその事にツッコミを入れなかった場合、その場で指の切断を試みるという原始的な効果実験が行われた。



 生きております。

 一ヶ月沙汰が無かったですけど死んでないんですよ実は……!

 リアルが忙しいは継続しておりますが、今後も頑張っていきますので応援頂けると幸いでございます!!

 尚、メイドはヒロイン枠ではなくエレインの仲間枠です。

 予定しているメインヒロインの登場は何時になるのか……。

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