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*
その年の終わり近くになって、彼女は近所のクラフトショップで働き始めた。充生の紹介だった。
「いつも紙粘土買ってる店がパートを募集していたよ。真帆さん働きたいって言ってたよね」
彼とともに出向き面接を受け、週三回働くことになった。オーナーは五十代の細身で小柄な女性だった。ひっつめ髪で葡萄茶のアセテートフレーム眼鏡を掛けている。
「助かるわ」と彼女は言った。
「いままで働いてもらっていたひとが出産で来られなくなったの。仕入れやら展示会やら、外に出る仕事も多いから、誰かにお店にいてもらわないと困るのよ」
パンフラワーやクレイアートの材料を中心に扱うショップだった。オーナー自身も作品をつくる。ショップ兼自宅となっている建物は洋館仕立てで、それを囲む百坪ほどの庭は、真鍮のアーチやオベリスク、トレリスにからみついたつるバラがつくる緑の壁で、まるでメイズのようになっていた。ショップに面した道には樹齢三十年ほどの桜並木があり、庭に濃い影を落としていた。
客は常連が多く、商品を買うというよりはこの場所にくつろぎに来ているように見えた。オーナーはお茶を振るまい、客たちと談笑し、ときにはショップ奧にある小さな工房で一緒に作品をつくった。
十坪ほどの店の壁は、オーナーがつくった作品で埋まっていた。バラや紫陽花のブーケ、童話をモチーフにしたジオラマ、シルバーアクセサリー。その中でもとくに真帆が心惹かれたのが店奧のロッキングチェアーに座った六十センチほどの人形だった。十五歳ぐらいの少年。白い肌と栗色の髪。その笑顔が少しだけ充生に似ている。
「球体関節人形って言うのよ」と、オーナーが教えてくれた。
「石粉粘土でつくるの」
少し充生さんに似ている、と言うと、オーナーが感心したような声を漏らした。
「よく気付いたわね。確かにそうよ」
でもね、と彼女は続けた。
「本当は、これはお父さんのほう。康生さんがモデルなの」
「え、オーナー康生さんもご存じだったんですか?」
「ええ、長い付き合いよ。私がここにお店を出した二十年ぐらい前から買いに来てくれてたから。まだ彼が大学生で、茜さんと結婚する前ね」
「茜さん――」
「そう、彼女も知ってる。よく来てたもの。お目当ては、クラフトでなく庭のバラだったけど」
「ああ、そうですね。茜さんは緑が好きだから」
充生は彼女が伊田家とこんな付き合いがあったなんて、ひとことも言わなかった。
「きれいなカップルだった」
オーナーが懐かしむような目で言った。
「ええ」
「ふたりは二十歳で結婚したんじゃなかったかしら。同じ美大の学生同士。すぐに充生くんが生まれて」
幸せそうだったけど。そう言って彼女は小さくかぶりを振った。
「でも、きっと長くは続かないと思っていた。あまりにもふたりは違い過ぎたから」
「そうなんですか?」
「それぞれが別の星からやってきた者同士みたいに違っていたわ」
彼女は微かに頭を揺すり、それから肩を
「だからこそ惹かれ合ったんでしょうけど。でも、ペルシャ猫とアフガンハウンドが結婚してもうまくは行かないから」
オーナーが康生をアフガンハウンドに例えたのがおかしくて、真帆はくすりと笑った。やっぱり、みんなそう思うんだ。
「あなたは、康生さんの恋人だったんでしょ?」
「ええ」
「お似合いよ。充生くんともうまくやっていけるような気がする」
「そうですか?」
「ええ、保証するわ」
それから、と彼女は急に声を潜めて芝居がかった表情を見せた。
「この人形のモデルが伊田さんだってことは内緒にしててね。わたし勝手につくっちゃったの。ばれたらモデル料請求されちゃう」
*
七日間のリズムが出来上がり、日々はルーティン化していった。
真帆は月曜、水曜、金曜にクラフトショップで働き、週末は充生と一緒に近所の植物園に出かけ木の実拾いをした。形のいいものはオーナーが買い取ってくれる。様々なクラフトワークに利用できるのだ。秋には用意したトートバッグが一杯になるほど木の実を拾うことが出来た。それ以外の季節でもじっくりと探せば、いくらかの収穫はあった。
ふたりの収入はささやかなものだったが(充生はまだ見習い扱いだった)、日々の生活はなんとかまかなえていた。老朽化した家の手直しにお金が掛かかる以外は、どれもがささやかな出費でしかなく、収支はおおよそ釣り合っていた。
康生が残した貯金(おそらく充生が進学することを見越して貯めていたのだろう)は、緊急用として(あまり丈夫でないふたりは、身体を壊して働けなくなる心配をつねにしていた)一切手を付けずにおくことにした。
無口だと思っていた充生は、一緒に過ごすうちにずいぶんとしゃべるようになった。慣れるのに時間が必要だったのかもしれない。真帆は父親の恋人だった。そのことで彼にも迷いがあったのだろう。
最初の頃、充生は彼女を「真帆さん」と呼んでいた。それが、半年を過ぎたあたりから「真帆ちゃん」に変わった。おそらく無意識なのだろうけど、彼の中での真帆の位置が少しだけ変化したことを表しているようにも思えた。
彼女には七つ年上の余裕があった。こんなふうに男性と楽に接することができたのは初めてだった。康生ともまた違う気安さがあった。もし、弟がいたらこんなだったのかしら? と思うこともあった。康生の息子ということであれば、子供のようでもあったし、心がときめくことを考えれば、恋人と呼べなくもなかった。とにかく彼女にとって充生は、生きて欲しいと強く願う同棲相手だった。
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