8
*
彼を連れ去ったのはハンガリーのジャーナリストからの英文の手紙だった。
茜が病気でかなり深刻な状態に陥っている。風土病に
そこで、急遽飛行機のチケットを取り、康生がヨーロッパに向かうことになった。
「行ってきます」と彼は言った。
顔が蒼白で、額に脂汗が浮かんでいた。彼が飛行機に乗るのはこれが初めてだった。
「睡眠薬を使います。ぐっすり眠っていても、命を狙うような獣は襲ってこないでしょう」
彼はそう言って弱々しい笑顔を見せた。
「いってらっしゃい。気を付けてね」
彼女はキスしたいのを我慢して、康生の手の甲の静脈をそっと指先でなぞった。
結局、これが彼と交わした最後の言葉となった。
確かに獣はいなかった。けれど、飛行機は洋上で失速し、彼は他の百二十七人の乗客、乗務員とともに、夜の森よりも暗い海の底に沈んでしまった。燃料と機体の一部が見つかっただけで、犠牲者はひとりも発見されなかった。
知らせを受けたとき、真帆はワンピースの胸がぐっしょりと濡れるほど涙を流した。プリントされた空色の花が涙で
康生さん、あなたは嘘つきだわ。
泣きながら彼女は心の中で康生を責めた。
ぼくらは長生きしますよ、って言ったじゃない。わたし、すごく嬉しかった。愛の言葉と同じくらい嬉しかった。なのに、なんで――
康生がヨーロッパに旅立つ前日に、ふたりは初めてセックスをした。彼は真帆が思っていたよりもはるかに力強く、そしてタフだった。十四歳の少年のように
「何度やっても初めてのような気がするんです」と彼は言った。
「記憶力の問題かな。最後にセックスしたのが、もう五年以上前だから」
「私は初めてです」
彼は頷き、真帆の頬に手を置いた。
「痛かったでしょう」
彼女は、そのことよりもシーツについた染みが気になっていた。あとで洗わなくては。
「男の人って、みんなこうなんですか?」
彼女は訊いた。
「こうって?」
「もう、六時間ですよ」
昼前からベッドに入り、もうすぐ充生が仕事先から帰ってくる時間になっていた。
他の人のことは知らないけど、と彼は言った。
「ぼくは亀派ですからね。耐久型なんです」
彼女は大仰に溜息を吐いて見せた。康生は笑ったが、その視線は真帆の露わになった胸に注がれていた。まったく、と彼女は思った。たいしたひとだわ。
それでもセックスはセックスだった。ごくノーマルな。いささか時間が長いかもしれないが、渇望期間を考えれば、それも範囲内だった。特別なのは、初めてのセックスと最後のセックスが重なったという点だった。体験は引き継がれ、彼女はやがて、彼の息子と幾度も身体を重ねることになる。
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