第5話 リリアンヌ・オレンジ
森の中、風が奏でる木々のざわめきと共にはしゃぎ回る笑い声、霞の中に紛れることなく踊り狂う嗤い声。きっと哂うだけに留まることが出来なくて呵ってしまったのだろう。
リリアンヌは思わず一歩、心が打ち鳴らす感情に負けてまた一歩、後退りをする。そうして下がった後、そこでふと視界に入ったそれはこの森の雰囲気には似つかわしくない明るい黄色の可愛らしい花。可愛らしい姿には似つかわしくない切れた跡が残っていた。
「齧られてる」
花びらの一枚がほぼ欠けたそれ、花の傷口から白い霞が噴き出して大きくなっていく。大きな黄色の花は恐ろしい口を大量に持つ化け物へと、その姿を、その本性を現していく。
この世にいてはならないような恐ろしい姿に気持ち悪さを覚え、寒気と震えを抱きながらまた一歩、後ずさる。
ゆっくりと近付いてくる花びらの化け物、下がるリリアンヌ。下がり行く背中に柔らかな感触が根付いてリリアンヌは振り返る。それは木によく似た化け物。初めて見る恐ろしいものを前にリリアンヌの脚は震え、目の焦点はブレて、心は縮んでいく。あまりにも分かりやすい感情を前に声を上げることすら叶わない。弱い心ではその感情には到底敵わない。
木は口を開けて硬い物同士を擦り付けたような音で吼えながら襲いかかる。全てを諦めかけたリリアンヌ。目の前の木は枝を振り下ろす。
宙から金髪の頭へと近付いて
頭のすぐ上へと迫り
更に近付いていく。
そして遂に人の頭ひとつを潰そうと殴り付ける寸前、白い霞の中に青白い光が走る。
リリアンヌに迫る枝はどこかへと吹き飛ばされて霞の中へと消えていく。
目の前の木は光に裂かれて身体を粉々に斬り砕かれる。
白衣の少女が勢いよく飛び降り軽やかに着地して褐色の手を握り駆け出した。
「アーシャ!」
愛しい人にその名を呼ばれた少女は一瞬だけ振り向き顔を覗かせて微笑んで、リリアンヌを引きずるように走り続ける。
「大丈夫、リリアンヌの事は死なせないから……ゼッタイ!」
霞から現れし化け物たち、その全てが身体の何処かを齧られていた。化け物たぢ光で斬り裂いて引き裂いて。
アーシャは鉱物の爆発を剣として扱い化け物を裂いていた。
そんなアーシャは耳を澄まして笑い声の源を探していた。
「見つからない、どこにいるの? ねぇ、どこに……」
アーシャに倣うようにリリアンヌもまた、辺りを見回していた、見渡していた。探り探り、横、後ろ、前、右、左、上。探る探る。地面、落ち葉、木々、空、葉のついた枝たち。
「あぁ、あぁ!」
そこにいた、木の枝に腰掛けた女。白い霞ですら隠すことの出来ない深い闇のようなローブと帽子。そんな服装の魔女は嗤いながら真っ赤なリンゴを齧って、地に立つふたり目掛けて放り投げる。落ちていくリンゴ。それはやがて口を開けて地獄の風のような声を上げながら敵の元へと迫る。
アーシャはそれを斬り、そして叫んだ。
「ここらの魔女たちはどうしたの、〈森の魔女〉」
〈森の魔女〉と呼ばれし女は相変わらずの不快な笑い声を上げながら 指を鳴らす。
白い霞の向こうから現れし影、それらは次第に近付いて来る。それは色とりどりのローブを纏いし女たち、魔女たち。その目は全てが虚ろで焦点も合っていない。そんな魔女たちの身体の様々なところから植物が生えていた。
その姿を見て怯え震え歯を鳴らすリリアンヌ。その感情は霞の中でも誤魔化しは効かない。
-恐ろしい-
-逃げたい-
-戦えない-
-アーシャに任せ切り-
足が竦んで動けなくて、心は震えて身体は石のように固く動かずただ、愛しいアーシャが戦う姿を見ていることしか出来なかった。
アーシャは跳び上がり、魔女たちを裂いていく。腕を振り回し、光で切り裂く。しかし、膨大な数には勝てない。アーシャは捕らえられ、魔女たちが覆いかぶさってアーシャの身体を飲み込んでいく。
愛しのあの子が飲まれているのをリリアンヌは見て、ようやく手が伸びる。
-助けなきゃ、でも……怖い-
前を見つめていたはずの目、アーシャへと伸ばしたはずの手、それらは全く異なるものを見ていた、全く異なるものへと伸ばしていた。
目の前にあるものは鮮やかなオレンジ。
手を伸ばしても届かず触ることも出来ない。
欲しくてたまらないそれにはどうしても追い付けない。
-どうして……こんなものを-
アーシャの姿はオレンジと重なっていた。
リリアンヌの見た偽りの追憶。
思い出と重なる大切な人。
「ダメ! 思い出には……させない!」
伸ばしていた手には何かが握られていた。リリアンヌの瞳と同じ空色の剣、〈西の魔導士〉の本来の名〈空の魔女〉の力。
リリアンヌの左肩からは景色に透ける空色の翼が生えていた。
「アーシャを……放せ!」
恐怖など剣の一振りで払い、魔女たちを斬って、アーシャを左腕で抱きかかえる。
そしてリリアンヌは枝に腰掛け始終嗤う〈森の魔女〉を薄らと輝く空色の瞳で睨み付け、片翼の羽ばたきで飛び上がり、そして霞諸共 斬り捨てるのであった。
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