第10話 ♡

インターネット通販で商売をしていると、配送先の宛名として時々信じられないような名前が指定されていることがある。その殆どは『ちゃんまな』や『黄昏久遠』など恐らく受取人のニックネームやハンドルネームであろう名前だが、中には文字化けや英数字の羅列など事故と思われる名前もある。

こういった名前の商品はだいたい配送会社から「宛所に訪ね当たりません」と照会依頼の電話がかかってくるので、こちらからメールや電話で受取人に連絡を取り本名を聞き出して配送会社に伝えている。受取人の中には「防犯の為に自分の名前を知られたくない」といった事情があるのだろうが、配送会社も荷物の誤配達や個人情報の流出を防がなければならないので、自社のリストに登録されてでもいない限り適当な名前では配達できないのだ。






そういうわけで先日もお届けできない宛名の配送先に電話やメールで氏名の提示を依頼していたが、一件だけ待てど暮らせど返答を寄越してこない客がいた。『♡』という記号だけが宛名に記されたその客はメールへの返信も来なければ電話も「現在使われておりません」というアナウンスが流れてしまい、全く連絡が取れないのだ。

荷物を返してもらうか、それとももう少し連絡を取り続けてみるか、私は上司の彦一さんに相談した。彦一さんは私の報告にフンフンと頷くと、室内にも関わらず何故かかけているサングラスをクッと額の上に上げ「あの頃と同じだな」と呟いた。


「過去にもあったんですか?」


「ああ。君が入社してくる3年前か、寒い冬の昼だった…」


そう言いながら彦一さんか立ち上がり、自身の背後にあるブラインドの間に指を入れた。空いた隙間から陽光がたっぷりと射し込む。

私は「しまった」と彦一さんに相談したことを後悔した。彦一さんは何かトラブルが発生した時、何故かハードボイルドを気取り始めるのだ。普段は8割の穏やかさと2割のユーモアで生きているようなちょうど良い人なのに。

入社当初は面白くて好きだったんだけどなーと遠い目で窓の外を眺める彦一さんを哀れみの目で見ていると、彦一さんが続きを話し始めた。






事が起きたのは約10年前の冬。年末繁忙期でムシャクシャして社屋中にトラバサミのレプリカを撒き散らしていた彦一さんのもとに、当時の部下が持ちかけてきた相談が正に「宛名が『♡』だけの注文がある」というものだったらしい。

送ったメールに返信が無ければ電話も「現在使われておりません」のアナウンスが流れて通じない。部下の報告に憤った彦一さんはこう指示をした。


「買う気あんのか!住所はわかってるし現地に行ってもらおう!」


彦一さんの指示を受けた部下はすぐさま配送会社に電話をかけ「現地確認をしてほしい」と指示を出した。対して配送会社は「本人確認ができない荷物の配達は難しい」と当然と言える返答をしてきたが、彦一さんは折れなかった。


「仮に注文者と違う人が受け取っちゃったら、その時は俺が責任を取る。行ってもらえ」


彦一さんの男気溢れる指示はそのまま配送会社に伝えられ、特別に宛先住所へ行ってもらい居住者へ荷物への心当たりを確認してもらえることになった。


それから2日後の朝、件の配送会社の配達員が心臓を抉り取られた状態で発見されたというニュースがTVで流れた。遺体が見つかったのは『♡』の配達先として指定されていた街の中で、家でTVを見ていた彦一さんは因果を感じ、直径30cmのカンパーニュを横に切って作ったレタスサンドを食べかけていたにも関わらず自宅を飛び出した。

そして会社を訪れると、部下からこのような報告を受けた。


「現地確認をお願いした所の配達員さん、例の宛所の前で亡くなってたそうです。ウチの荷物を抱えたまま」


部下の報告に彦一さんは「そうか」とだけ返し、自身の判断を悔いた。

配達員の心臓を抉ったのは宛所の居住者で間違いないだろう。宛名欄の『♡』はただふざけていたんじゃない。本当に欲する物─人間の心臓を示していたのだ。

自身の推理に確信を抱いた彦一さんは部下に「自社の商品の注文者が猟奇犯罪者だなんてゾッとするな」も言った。すると部下は怪訝そうな顔を見せ、それからすぐに「あー」と合点がいったと言わんばかりの様子を見せた。


「宛先住所にお住まいの方は注文者じゃなかったです。ただ住所を勝手に使われただけみたいで、犯人は逃走中です」


彦一さんの推理は全くの的外れだった。


数日後、『♡』宛に送っていた荷物が会社に返ってきた。荷物の外装には血や泥などの汚れが一切無く、心臓を抉り取られた死体が抱えていたとは思えない程綺麗だったという。






「そういうわけだ。結局『♡』の意味が何かはわからんが、念の為に荷物は返してもらえ」


「嘘かホントかわからんけどそうします」


私は嘘かホントかわからん指示に従うことにし、彦一さんの席を離れようとしたすると彦一さんから呼び止められた。


「いつも頑張っている君がストレスこじらせて帯状疱疹でも起こさないよう、オススメのお菓子をあげよう」


そう言って彦一さんがくれたのは地球グミだった。それが1袋丸々ならともかく1個だけだったので随分と軽んじられたものだなと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る