第10話 レイジィ様が商会にやってこられました

 ウェイターさんが去った後、ずっと私の心は乱れていました。


 相変わらずレイジィ様からは無能だと見下され罵られ、アイリーンからは馬鹿にされます。

 食事はますます質素になり、部屋から物が無くなっていきます。

 レイジィ様のお部屋近くを通ると、二人の情事を想像させる音が聞こえてきます。


 新しく入って来た使用人にはアイリーンの息がかかっており、伯爵夫人である私に対する扱いは日に日に酷くなる一方です。


 そんな状況の中、突然私が優秀なのだと言われ、世界がひっくり返るほどの衝撃を受けました。


 しかし屋敷に戻って来ると、ウェイターさんの言葉が嘘だと思えるほど、惨めな扱いを受ける自分がいます。


 一体どちらが正しいのでしょうか?

 一体……

 

 ウェイターさんとお会いしてから、一カ月後でしょうか。

 サウスホーム商会の売り上げが、倍増したと伝え聞きました。


「例の茶葉が、爆売れしているみたいですね」


 ディアが教えてくれました。

 声色に、茶葉取引を許可しなかった主人への非難が混じっていましたが、聞かないふりをしました。


 その時、


「フェリーチェ‼」


「れ、レイジィ様⁉」


 私が商会を任されてから約五年、ほとんど顔を見せる事のなかったレイジィ様が、アイリーンを連れていらっしゃったのです。

 怒りの形相で。


 恐ろしさで身体が固まりました。


 確か昨晩は夜会で宿泊なさっていたはずですが、服装を見る限り、そのままこちらに来られたようです。


 レイジィ様は、止めようと立ちふさがったディアを突き飛ばすと、私の胸倉を掴み、激しく揺さぶられました。


「サウスホーム商会で今売れている茶葉、元々はここに持ち込まれた物だったそうだな! 何故サウスの野郎なんかに渡しやがった‼」


「お、お伝えいたしました! しかしレイジィ様は、元々の取引のある業者があるから必要ないと……」


「だが、あの茶葉だとは聞いていないっ‼ お前が報告を怠ったからだろうがっ‼」


「た、確かに詳しい説明は……こほっ、しませんでし……た……もうしわけ……ございません……」


「サウスの野郎はあの茶葉で今、大儲けしているっ‼ 昨日の夜会でその話を聞いたんだが、俺だけが知らなかった! 商会を預かる者として大恥をかいたぞっ⁉」


「あ、あぁ……もうしわけ……」


 舌打ちをすると、レイジィ様は私から手を放し突き飛ばしました。

 床に尻もちをつき私は無様に倒れました。


「ふふっ、奥様。ホウ・レン・ソウなど、私たち女中ですら知っている知識ですわ。無知な奥様だと、旦那様もご苦労なさいますわね?」


「……まったくだ、アイリーン。お前が妻なら、どれだけ良かったことか」


 レイジィ様がアイリーンの腰を抱き寄せ、彼女の仕事っぷりを称賛しています。

 妻である私の前で愛されるアイリーンは、勝ち誇った表情でこちらを見下していました。


 この部屋には、ディアがいます。


 私を慕ってくれる皆に、こんな無様で哀れな姿を見られたくはありませんでした。


 自分が情けなくて、

 自分が惨めで、


 とても……辛かった。


 恥と惨めさに打ちひしがれる私に、追い打ちをかけるようにレイジィ様の怒声が続きます。


「あと、帳簿から何まで全部やり方を変えて、訳が分からなくなっているっ! 滅茶苦茶にしやがって! それに昔からの取引業者も従業員もどうした‼ ほとんどいなくなってるじゃないかっ‼」


「帳簿などは、あ、新しい方法の方が作業効率が良かったため採用しただけで、決して滅茶苦茶にはしておりません! そ、それに取引業者や昔の従業員たちは、あちらから勝手に取引を止めたり商会を辞めただけで、わ、私は何も……」


「口答えするなっ‼ これも聞いたんだが、お前、勝手に孤児院なんか立てて、社会のゴミたちに支援しているらしいな⁉ どこからそんな金を出したんだ‼ まさか家や商会の金に手を付けたんじゃないだろうなっ⁉」


「付けていません! あれは唯一、私の物としてレイジィ様がくださった肖像画を売ったお金です!」


「はぁ⁉ あんなクソゴミの絵に値が⁉ 嘘言うんじゃ――」


「本当ですよ」


 その時、この部屋にいないはずの声が聞こえてきました。

 振り返るとそこには、


「あの絵は、世界的に有名な画家アントニオの未発表作品。彼が個人的に描いた貴重な作品です。だから高額な値がついたのです」


「……はっ? あ、アントニオの作品……だと⁉ あの1枚の絵で家が建つって言われている、あの画家のか‼」


「おやおや、商会の代表でありながら、あなたにはあの絵の価値も分からなかったのですか?」


 そうクスクス笑う綺麗な身なりの美しい男性の姿がありました。


 誰か分かりませんでした。

 しかし、


「お久しぶりです、フェリーチェ様」


 そう優雅にお辞儀する姿、そして私を見つめる優しい眼差しを見て、誰か分かったのです。


「ウェイター……さん?」

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