辺境の冬 第一話

「熱、さがんねぇな」


 額にやっていた手を離して、小さく溜息を溢す。

 アレクは、熱で火照った顔を毛布の端から少しだけ出して、潤んだ瞳で俺を見た。


「……ごめんなさい、ヴァル」

「なんで謝る」

「僕、迷惑かけて……」

「んなわけあるか。できることはしてやるから、そういうのは気にするな」


 そう言って、小さく出ている頭を撫でてやる。

 アレクはふにゃっと微笑んで、心地よさを堪能している。


 いやしかし。


 さすがに参った。

 冬到来で冷え込んでしまった初めての辺境は、アレクにとってなかなかの負担だったらしく熱を出して寝込んでしまった。


 慌てた俺は、村の医者のじいさんの所に駆け込んで、アレクの症状を診てもらった。栄養を取らせて、暖かくして寝かしておくようにとのことだった。


 病気の類は負担を減らすくらいは俺でもできるが、治すになると神官や司祭に頼まなくちゃならなかった。

 でなきゃ、俺が必要な素材を集め正しい手順を踏み、時間をかけた儀式魔法をやるか。いやそんなことしてる間に治るのではと思わなくもないし、治らなかったらと思う自分もいるのだ。

 じゃあ神殿に駆け込むのかというと、風邪くらいではさすがになぁと思うわけだ。アレクより小さな子供たちの中にも風邪をひいた子はいるだろうし、同じ風邪ならその子たちを優先すべきで、もちろん風邪よりも大変な病気もあるわけだし。


 それより何よりだ。


 何が一番の問題かって……。


 何をしてやるのがいいか、俺にはさっぱりってことだった。


 とりあえず、部屋の暖炉の火を維持して小型のストーブも持ち込み、やかんで湯を沸かしている。

 毛布も数枚かけてやり、枕の数もいつもより増やして肩口を囲ってやる。シーツも柔らかで暖かみのあるものにしてある。


 ほかに、ほかに俺にできることはないのか。


 無意識に眉間を寄せていたらしく、それを見たアレクが手を伸ばしてきた。


「しわ、寄ってる……」

「俺は今、自分の使えなさに憤りを感じているんだ」


 アレクが眉間を撫でるのを甘んじて受けながら、俺は瞳を閉じて顔をしかめる。


「ヴァルが、一緒にいてくれるから……、僕は大丈夫だよ……」

「それだけじゃ治らねぇだろ」

「でも僕、熱出ても一人だったから……」


 少し眉を下げて、力なく笑うアレク。

 そんなこと、思い出させたくないし、言わせたくない。


「じゃあ、いっぱい一緒にいてやるからな」


 そう言いながら頬を撫でてやる。

 アレクは小さく笑っているが、その頬は熱に苛まれとても熱かった。

 なんとか冷やしてやらないとな。


 俺は持ち込んである水差しから、コップに水を移し氷魔法で少しずつ温度を下げる。コップを握った手で温度を感じながら。俺の手も魔法とコップに温度を奪われ、徐々に冷たくなっていく。

 冷たくなり過ぎる前に手を離した。


「アレク」


 名の呼ぶ俺の声に、アレクがもぞもぞする。

 そこへ近づいてやる俺。


「少し冷たかったから、ごめんな」


 まずは指の背を額に当ててやる。


「あ、ひんやりしてる……」


 力はないものの、アレクはふふっと笑む。

 その様子を見て大丈夫そうだなと思い、手のひらをそっと当ててやった。


「わっ……きもちいい……」


 少し小さな驚きの後、アレクはじっとしてそれを受け入れた。

 目を閉じて俺の手の冷たさを味わっているようだ。


「冷たすぎないか?」

「ううん、大丈夫……、冷たくてきもちいい……」

「そうか、よかった」


 手の温度が戻り始めたところで、手を離す。

 冷えの僅かに残った指で、額に貼り付いた銀の髪を避けてやった。


「ヴァル、どこかへ行っちゃう?」

「行かない行かない。濡らした布で顔を拭いてやろうと思ってな」


 そう言って、ベッド脇の桶と布に手を伸ばす。

 額に乗せる布はこれで。

 こっちので、拭けばいいか。

 体は? 体は拭いたほうがいいか?


「アレク、体は? 汗で気持ち悪くなってないか? 寝間着は大丈夫か?」


 俺は疑問を立て続けに尋ねた。


「体は、大丈夫、です……」

「そうか? じゃあ、一度寝て起きたら着替えるようにしような」


 そう言いながら、アレクの顔を拭いてやる。

 くしくしと甘んじて受ける様は、仔猫か仔犬か、はたまた小動物のようだった。


「それから、これも飲んでくれ」


 先程冷やしたコップを手に取る。

 俺は左腕をアレクの下に滑り込ませて体を支え、ゆっくりと抱えるように上体を起こしてやった。

 コップをアレクに渡してやる。

 口をつけたアレクは、「冷たくて美味しい」とこくこくとそれを飲み干した。


 あぁ女神よ、俺に全属性の魔力を与えてくれてありがとうな。

 今の俺は心底感謝しているぞ。


 飲み干して空になったコップはまたサイドテーブルに戻して、ゆっくりとアレクを寝かしてやる。

 シーツと毛布を引き上げて、更に毛布で覆って、寒くないようにする。

 そうしてまた枕を並べて肩口を囲ってやった。


「よし」


 アレク用の小さな要塞のできに満足してうなずいた俺は、がたがたと椅子を寄せながら腰掛けた。

 ベッドの縁に肘をついて、乗り出すようにアレクに手を寄せる。

 そっと出てきた右手を両の手で握ってやった。


「一緒にいるから、安心して休め」


 こくりとうなずいたアレクは、柔らかく微笑んだ。



 落ち着いたのか無事寝入ったアレクを置いて、俺はそっと部屋を出る。

 桶や水差しの水を替えなくちゃならない。新しい水は魔法で何とかなるのだが、捨てるのはやらなくてはならない。浄化魔法でできなくはないのだが、捨てた方が早いのだ。


 居間へ顔を出すと、シュヴァルツが俺の方へと頭をもたげた。

 こいつの、なんか独特な蘇芳の瞳が俺を見つめている。

 ナイトホークの瞳というのは黒だった気がするから、初めて瞳の色を見た時は驚いたものだ。夕暮れのようにも焔のようにも見える不思議な色。


「あ、お前、アレクの残した果物を食べてくれたのか」


 テーブルに置いておいた皿が空っぽになっていた。

 ここを離れる時に、食べたければ食べていいとシュヴァルツに声をかけておいたのだ。


 シュヴァルツの首元を指の背で撫でてやりながら、俺は独り言ちる。


「お前、俺たちの言葉がわかるなんて、本当に賢いなぁ」


 そういう俺の言葉を聞いて、俺の方をちらりと見やった。

 褒めてるのも分かっているのか、甘んじて撫でられてくれる。


「はぁ、お前がいてくれて心強いよ。俺一人だったらもっと慌てたかもしれない」


 そう。

 実際、俺は慌てていた。

 病気なんていつから罹ってないのか分からない俺は、アレクの食事をどうしていいか迷っていた。

 そこへ、こいつは林檎とオレンジを転がしてきたのだ。

 それを剥いて出してやると、アレクは喜んで食べてくれた。

 食欲が減っているのか、少し剥きすぎたのか、アレクは残してしまったので、シュヴァルツに声をかけていたのだ。


 シュヴァルツの餌入れを確認する。

 ここにはいつも餌が取れるようになっていて、好きな時に好きなだけ食べられるようにしてあった。

 いつもはアレクが面倒を見るのだが、今日は俺の役目だ。

 まだ残ってはいるが、干し肉を追加しておく。干した肉が多いのだが、柔らかいものも食べたいだろう。いつもは外に出してやった時に小動物を狩らせるのだが、アレクがあの調子なのでここ二日は狩りに出ていない。

 ナイトホークは他の鷹と違うので、冬の地域でも渡らず過ごせるのだ。それでも獲物の不足を受けて、南へと狩り場を移動するらしいがな。


 あっと思い出して、氷室から肉を出してくる。


「これ、アレクが食べられそうにないから、代わりに食べてやってくれ」


 台所で一口サイズに切り分ける。

 それをシュヴァルツ用の皿に盛ってやった。

 止り木の元に寄せると、静かに降り立った後、片脚で自分の傍へと引き寄せた。


「アレクが元気になったら、また皆で狩りに行こう。それから王都にも行くから、何か買ってきてやるな」


 珍しく俺に興味を示しつつ、シュヴァルツは一声小さく鳴いた。

 こいつもアレクの身を心配してくれているのだと思う。

 ありがとなと伝えて、首の後ろを一撫でした。


 俺はアレクが起きた時のために林檎の用意をして、部屋へと戻った。

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