第15話 蒼天

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 冷たい雨の降る日だった。

 高志の不在という致命打を受けたわたしは心身ともに動きも鈍り、一日のほとんどを自宅で過ごす日々を送っていた。電話が鳴り、ゼミの教官であると画面は告げた。どうせつまらない用事だろうと思いながら電話に出る。

 五分後、スマホを置き、どうにか取り繕えるだけの服を着て、家を出る準備をする。夜中に飲んだアルコールのにおいが抜けていないかもしれないし、そうでもないかもしれない。いずれにせよ、今のわたしには大した意味もない。だれが死んでいるも同然の人間を咎めようと――それがわたし自身であれ――森の中の一枚の葉が落ちたか落ちていないかで議論するようなもの。ブーツを履き、雨の中を歩く。工学棟の研究室へ緩慢な歩調で向かう。いま時が終わればいいのにね、とビニール傘越しに見上げた空に頬笑む。止まる必要はない、終わればいいだけ。ドアをノックし、応接室へ入る。「朝野さん」

「高橋先生」椅子を勧められ、バッグを抱えたままのろのろとかける。

「雨の中ありがとうね、寒かったでしょ」と教授はいい、暖房の設定温度を操作しにゆく。「本音をいうと心配だからっていうより、もったいなかったの。それもかなり。朝野さんのような優秀な子の将来を潰したくないんだよね。これは私の義務みたいなものだから、ね」

 教授は電気ポットの湯をカップに注ぐ。「最近はどうやって過ごしてるの? 正直、うつ状態みたいな感じ?」

 その教官が淹れたコーヒーからは香りが立ちのぼっている。でも、香りがするだけで心地よいとか、おいしそうだとか、そのような情動はまったくなかった。

「わかってます、精神科に行けっていうんでしょ。自分のことは、把握できてます」

 コーヒーを勧めたうえで「なんていうか、朝野さんまで引きずり込まれてもよくないかなと思ったんだよね。例の転籍の件も前向きに考えてほしいし。第一、朝野さん自身がしんどいでしょ?」と諭す。

「わたし、平松がいなくなって、精神科通いになって、それで仮に楽に生きたとして、でもそこにはなにもないんです。もう取り返しがつかないのに、ただただ義務として生きるだけ人生なんか――終身刑です」

 教授はコーヒーに口をつける(考える時間を引き延ばすように見えた)。「でもほら、最近はSSRIやSNRIより新しい世代の抗うつ薬とか、いい薬があるじゃない。楽するのを奨めてるわけじゃないわ。積極的に苦しむのもよくないってことよ。極度に落ち込むのって、あまり得策じゃないから。事実は事実として理解してるようだし、今度は朝野さんが自分のことを考えなきゃ」淹れたばかりのコーヒーは応接テーブルで湯気を上らせ(ながらも確実に冷め)ている。

「――すか」

「うん?」

 聞き取れずに教授は訊き返す。

「平松は、わたしに悲しまれちゃ迷惑なんですか(雨はすでに上がり、日差しが研究室に影をつくっている)」

「(かぶりを振る)――わかったわ。後期試験、出ないの?(あいまいにうなずく)じゃあ自動的に留年となるけど、手続きはこっちでしていいの? とにかく学籍だけでも確保しなさいよ。次、講義?(わたしは緩慢に首を振る)わかった、大いにわかった。せめて日常生活が破綻しないようにね。あと、お酒も控えた方がいいわ」

 研究室を辞去し、晴れ上がった空を見上げる。

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