第五章 恋人たちの逃避行 ~トラブル発生!~

「みんなトーナメントが楽しみなんだねー」

「どうせ男子はユーくんが勝つと思うけど、一応は応援してあげよっかな」

「さすがに無理だよー。ここは四年生のライールさま一択だってー」

「そうなの? ってゆ~か、もしかしてマールはそのライールさまって人を狙ってる感じなんだ?」

「当然だよー。確かにご実家はちょっと斜陽って雰囲気だけど、ライールさまなら絶対に再興できるはずだし、むしろほかの王家のかたがたを狙うよりよっぽど現実的だと思うよー」

「何をいっているのかな、カントレールくん? あのライールどのがきみのような下級貴族を相手にするわけが――」

「ルロイくんはちょっと黙っててねー。家柄がいいのに女子からイマイチ人気がないのはそのお口のせいだからねー」

 コルッチョのパンをもうひとつ手に取ったマルルーナは、素早く立ち上がってルロイの口にそれを押し込み、また何ごともなかったかのようにクリオの隣に座った。

「…………」

 いつもにこにこしているマルルーナに、パンとともに冷たい現実を突きつけられたのがさすがにショックだったのか、ルロイはしばし呆然としたあと、パンをもぐもぐやりながら離れていった。

「まったく……レティツィアさまをライバル視する時点で自分が見えてないんだよー、ルロイくんは」

「それにしても……何か始まるの遅くない?」

「いわれてみれば……」

「そうだねぇ。何かあったのかなぁ?」

「それ、ドゼーくんのせいなんですよ」

 コルッチョやマルルーナといっしょにトーナメントの再開を待っていたクリオは、不意に聞こえてきた楽しげな声に思わず振り返った。

「あ、ドルジェフ先生だぁ」

 そこにいたのが眼鏡の女教官だと気づくと、コルッチョはいまさらのように食べかけのパンをすべて口に押し込んだ。ほっぺたが大きくふくらんだその姿はまるでリスみたいだ。

「ドルジェフせんせー、今のどういう意味ですかー?」

「あのね、一回戦でドゼーくんがあまりに容赦なく勝っちゃったから、ちょっともめてるみたいなの」

 ジュジュはクリオの隣に座ると、声をひそめてささやいた。

「次に彼と当たる二年生が、その試合を見て尻込みしちゃったみたいで……ほら、彼の強さって、小手先の技術や多少の体格差なんかあらかた吹き飛ばしちゃう、単純なパワーによるものでしょう?」

「そ、そうなんですか……?」

「とぼけちゃって」

 ジュジュはクリオの肩に手を回すと、さらに顔を近づけた。

「――わたしの推測によると、ドゼーくんのあの強さの秘密って、あの籠手ガントレットにあると思うんだけど……」

「――――」

 どこかねっとりとしたジュジュのささやきに、クリオは首筋にナイフを押し当てられたような感覚を覚えた。

「本当のところどうなの、そのへん?」

「……いや、ほら、籠手ひとつでそんなに強くなれるなら苦労はないっていうか、ちょっと先生が何いってるか判らないなーって……ど、どうしてわたしに聞くんです?」

「あのガントレット、誰が作ったものなの?」

「そ、それは――」

「そういえばユーリックくん、じょーざいせんじょーとかいって、絶対にあの籠ガントレットと脛当グリーブはずさないよねえ」

「ほら、お友達もこういってるわ、バラウールさん? ……あらあら、すごい汗。どうしたの?」

「え、えーと……」

 ジュジュのやんわりとした追及をどうやってやりすごそうかと思案していた時だった。

「きゃああああっ!」

 観客席の一角から黄色い悲鳴があがった。

「!?」

 吸い寄せられるように移した視線の先で、黒くぬめるような羽毛を持つ奇妙な獣が大きな翼をはばたかせていた。唐突に現れた鳥とも獣ともつかないその怪物を目の当たりにした観客たちが、雪崩を打ったように逃げ始めている。

 それを見た瞬間、クリオの脳裏によみがえったのは、ユーリックの記憶の断片として目にした、あの猿みたいな犬みたいな、番犬代わりの召喚獣だった。

「なっ、何あれぇ!?」

「ちょっ……え!?」

 学友たちの驚きの声で我に返ったクリオは、深く考えるより先に行動に移った。指先を複雑に動かしながら、投げ縄でもするみたいに右腕を動かし、薄い円盤状に凝縮させた風の刃をイメージする。

「はっ!」

 クリオが投げつけた烈風の刃は、客席にいた人々に襲いかかろうとしていた怪鳥をまっぷたつに切断し、煙に変えて消滅させた。

 でも、招かれざる観客はそれ一匹じゃなかった。

「わぁあ!?」

「ひいいい!」

 あちこちから悲鳴があがる。どこからか現れた黒い獣たち――“ニナッタ”とか呼ばれていた怪物が、観客や生徒の区別なく襲いかかっていた。その数は一匹や二匹じゃなく、文字通りの群れって感じだった。

「な、何よー、何なのよー!? あれ何なの!?」

「や、やめてよう、カントレールさぁん!」

 小太りコルッチョの背中に隠れ、マルルーナは身体を縮こまらせている。ゼクソールの生徒なのにふたりともだらしない! って思わなくもないけど、入学から三か月もたたない新入生なら仕方ないのかもしれない。

「一年生のみんな! 校舎内に避難して!」

 いつもおっとりしているジュジュ先生が教え子たちに指示を出した。

「――二年生は観客たちを誘導してあげて! 上級生たちは兵科ごとに集まって侵入者に対処して! いい? 観客たちの安全が最優先よ!」

 そういうなり、ジュジュ先生の指先からまばゆい雷の矢がほとばしり、無数のニナッタを撃ち据えた。少し前にあのディラドとかいう先輩が見せた雷の魔法より、はるかに高度で威力が高い。

「バラウールさん! あなたも早く避難して!」

「いえ、わたしも――」

 ここに踏みとどまって戦う! と決意したクリオの目の前に、木剣でつらぬかれた怪鳥がばさばさともがきながら落ちてきた。

「お嬢さま」

 兜を脱ぎ捨て、ユーリックが駆け寄ってくる。トーナメントに参加していた生徒たちも、この異変に気づいて駆けつけてきたのだろう。

「ちょうどよかった! ユーくんもここであいつらを食い止めて――」

「何をおっしゃるのです? ここは避難すべきでしょう」

「え!?」

「ドルジェフ教官、よろしいですね?」

「うん、一年生にそんな危険なことさせられないから! ここは職員と上級生たちに任せてあなたたちは校舎内へ避難して!」

「わっ、わたしは――」

「ありがとうございます、教官どの」

 ユーリックはクリオの口を強引にふさぐと、少女を小脇にかかえて教室に向かった。

「ちょっ……わたし戦えるのに!」

「あれは明らかに陽動でございます」

「よ、陽動?」

「おそらくバンクロフト家の連中が、観客にまぎれて入り込んでいたのでしょう。それが頃合いを見ていっせいに動き出したのだと思います」

「あ……! そ、そうだった! ミリアム!」

「ええ、そうです。……おそらくこの騒動は、フィレンツがミリアムを拉致しやすくするために引き起こされたものです」

 学校がこれだけ混乱していたら、フィレンツがミリアムをさらっていったとしても、追っ手を出すことはできない。騒動が終息した時には、もうミリアムの行方は判らなくなっているだろう。

 実際、パニック状態で右往左往する観客たちを校舎へと誘導する二年生たちの中に、ミリアムの清楚な美貌は見当たらない。一方、観客たちといっしょに教室に避難した一年生たちの中にも、フィレンツ・バンクロフトの姿はなかった。

「……ふたりともいないね」

「すでにミリアムさまは、フィレンツによって連れ出されてしまったのでしょう」

「ど、どうしよう……? どうやって追いかけたら――」

「鐘楼から捜しましょう」

 次々に逃げ込んでくる人々の流れに逆らい、クリオはユーリックとともに時計塔の鐘楼に急いだ。

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