第五章 恋人たちの逃避行 ~フィレンツって……?~
クリオは親指の爪をかじりながら、落ち着かない様子で何か考え込んでいる。ユーリックは眉をひそめ、少女に尋ねた。
「私は馬術の講義の時の様子しか存じませんが、お嬢さまはフィレンツ氏とよくお会いになっていたのでしょう? 何か気づいたことはございませんか?」
「気づいたことっていわれても……何だろ? わたしの勘だけど……彼って、自分で卑下するほど成績は悪くないというか、ホントはできるのにそれを隠してる感じがするんだよね」
「やはりそうですか……」
ユーリックも、フィレンツがかなり馬術に長けていることには気づいていた。貴族の手習いだの家業の手伝いだの、そういうレベルを超えた乗り手だと感じる反面、なぜかフィレンツがそれを隠していることにも感づいていた。
「でもそれってヘンじゃない? だってフィレンツは、軍で出世してエリート街道に乗って、それでミリアムとの仲を認めてもらおうって思ってて……なのにどうして自分の優秀さを隠す必要があるわけ?」
「少なくとも、首席を狙っておられるお嬢さまに配慮してるわけではなさそうですね。……ほかに何かございませんか?」
「…………」
「お嬢さま?」
クリオの様子を見ていると、彼女がまだ何か隠しているのだとピンと来た。
「正直におっしゃってください。……ほかに何を隠していらっしゃるのです?」
「いや、ほら、それはふたりの将来にかかわるっていうか、ぷ、プライバシーに関することっていうか――」
「いい加減になさってください」
クリオの肩を両手で掴み、ユーリックはずいっと顔を近づけた。
「――お嬢さまはどちらを信用なさるのです? 明らかに何かを隠しているフィレンツ氏か、それとも私ですか?」
「そっ、それは……」
「もしバンクロフト家が何かしらの犯罪にかかわっているなら、そこの息子と結ばれることが、本当にミリアムさまのしあわせにつながるとお思いですか?」
「……!」
クリオははっと目を丸くし、息を吞んだ。
「フィレンツが……」
「彼がどうかしたのですか?」
「ミリアムの実家からバンクロフト家に圧力がかかったみたいで、このままだと商売ができなくなるかもって……それで、このぶんじゃもうふたりの仲を認めてもらえるとも思えないから、かっ、駆け落ちしようかって――」
「フィレンツ氏がそういったのですか?」
「そ、そういう手紙が来て……」
「ですが、たとえ駆け落ちしたところで辺境伯の怒りは増すだけでしょう? それこそバンクロフト家がどうなるか判らないではありませんか。そのあたりはどう考えているのです、彼は?」
「そこまでは判らないけど……」
「まさか……具体的なことを何も知らないまま、お嬢さまはその計画に加担していたということですか?」
「だ、だって、ミリアムが好きでもない男と結婚させられるかもって思ったら、黙って見てられなくない!?」
クリオの短慮にユーリックは深い溜息をついた。
「……もし駆け落ちが失敗すれば、それこそおたがいが二度と実家から出してもらえなくなりかねないのですよ? ミリアムさまはそれをご承知なのですか?」
「そ、それはやってみなきゃ――」
「ですから、その具体的な計画はあるのですか?」
「そ、そこまではわたしも知らないけど……だって、駆け落ちの話が出てきたのって、つい最近の話だし……」
「ふつうに考えて、何か有力者の伝手でもないかぎり、そううまく逃げ延びることなどできませんよ。追いかけてくる相手は辺境伯なのですから――」
そうぼやいていたユーリックは、ふと脳裏をよぎった考えに眉をひそめた。
「……そういうことか」
「え? な、何なの?」
「まだ確証はございませんが、もしもの話です」
「もしも? もしも何?」
「……もしフィレンツが他国の工作員だったら?」
「こ、工作員? スパイってこと? どこの?」
「とりあえず、最悪のケースを前提にして考えましょう。……この場合、アフルワーズあたりのスパイというのが一番厄介なはずです」
「じゃ、じゃあ、バンクロフト一族がみんなスパイだったと仮定して、その目的は何? 王都で破壊工作でもしようってこと?」
「いえ、それはまずありえません。あそこの蔵に保管されていた武器の量からすると、彼らの頭数は多くても三〇人ほどのはずです」
武装した三〇人の戦士が夜陰に乗じて行動したとしても、さほどのことはできないだろう。王都最外周の門は常時解放されていて、出入りするだけなら何も難しくはないが、王侯貴族が住まう第一区画は堅牢な城壁に囲まれているため、警備の厳重な門を通らなければ立ち入ることはできない。
「ですから、街の中央まで踏み込んでいって要人を暗殺するような真似はできないはずです。……そもそも、それが目的なら、なぜスパイの一員であるフィレンツはゼクソールに入学してまでミリアムさまに近づいたのです?」
「ああ……そっか。何でだろ?」
「あのふたりが初めて出会ったのが、フィレンツが都の別邸にワインを届けた時だったというのが本当なら――最初から連中の狙いはミリアムさまだったのでしょう」
「え!? ミリアム?」
「辺境伯はミリアムさまのことを溺愛しておいでなのでしょう?」
「う、うん。話を聞いたカンジ、すっごい可愛がってるみたい」
「“七王戦争”の時でさえ、連合軍はバーロウ州を避けてこの国に攻め入りました。要するにドートリッシュ家というのは、それほど勇猛で知られた一族なのです。あの一族のおかげで、アフルワーズはずいぶんとやりにくい思いをしていることでしょう」
しかし、もし辺境伯が溺愛するひとり娘のミリアムを、アフルワーズが人質に取ることができれば、事態は大きく変わる。
「親子の情と国への忠誠心、どちらが勝つのかは存じませんが、南の守りである辺境伯の動きが掣肘されることに変わりはございません。最悪、バーロウ州が丸ごと王国から離れてアフルワーズに寝返る可能性も、ないとはいいきれないでしょう。……要するに、駆け落ちにかこつけてミリアムさまを拉致するのが彼らの狙いなのではないかと」
「どっ……どうしよ!?」
ことの深刻さを理解し、クリオは青ざめた頬を手で押さえて声を震わせた。
「い、今のうちに先生に相談する!? あ、この場合はもっと偉い人……へ、陛下とかレッチーのおじいさんに報告したほうがいい!?」
「落ち着いてください。まだ連中がスパイだという確証はないのです。単に大量の武器を隠し持つのが好きなワイン問屋という可能性も残っております」
「いるの、そんなの!? 物騒な召喚獣を番犬にしておくような、大量の武器を隠し持ってるワイン問屋なんて!」
「絶対にいないとはいえないのが難しいところです。確たる証拠がない以上、学長にうったえたり陛下のお耳に入れたりするのはまだ早い」
「で、でも――」
「それに、もし本当にフィレンツ氏がスパイであれば、ことによってはお嬢さまも連座しかねないのですよ? それが何よりも厄介な問題なのです」
「連座? わ、わたしが!?」
「お嬢さまはもう何度もフィレンツ氏と手紙のやり取りをしたわけでしょう?」
「いや、ほら、それはわたしがやり取りしたわけじゃなくて、単にミリアムとの橋渡しをしてただけで――」
「構図だけを見れば、お嬢さまはスパイと手紙のやり取りをしていたことになってしまうのです。弁解するのは難しいでしょう。味方になってくれそうな貴族がいれば事情は違ったかもしれませんが、あいにくとバラウール家は敵のほうが多いですから」
「そ、それじゃどうすればいいの?」
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