2日目 目的と住処①

「ん? んんっ……」



 微睡から浮上しようと目を開けると、そこには見たことない天井が広がっていた。


 ここは、ホテルか?


 ゆっくりと上体を起こして辺りを見回すと、部屋には少し大きな本棚に仕事用の簡易な机が置いてあった。



「ここは、一体どこだ?」



 俯き加減に片手で顔を覆いながら、ここに来るまでの記憶を辿たどった。


 確か俺は、珍しい蜃気楼の写真を撮ったら急に意識を失って、気が付いたピンク色の空が覆う奇妙な住宅街の路地の真ん中で倒れて、この世界の住人らしき人達にここかどこか聞こうとしたら、激しく拒絶された挙句、ドローンに捕まりそうになって、そしたら、そこに金髪のガキが来て……



「やぁ、目が覚めたんだね」



 突然、妙に聞き覚えのある男の子の声が聞こえ、顔を上げると同時に声が聞こえた方に顔を向けると、金髪碧眼の少年が笑みを浮かべて部屋のドアにもたかかっていた。



「おはよう」

「あぁ、おはよう……って、ここどこだ!? というか、お前は一体誰なんだ!?」

「フフッ、それは朝食を食べた後で話すね。まずは腹ごしらえ、でしょ?」

「そうだな……あっ、その前に」

「ん? 何かな?」



 綺麗な笑みを絶やさない少年に言っておくべきことがあったことを思い出し、ベッドの上ではあったが深々と頭を下げた。



「俺を助けてくれてありがとう」



 あの時、目の前にいる少年にいなかったら、俺は今頃……



「うん、どうして君が頭を下げるのか僕には分からないけど、とりあえずご飯食べようか」

「あっ、あぁ……」



 小首を傾げながら寝室のドアから離れる少年に僅かながら違和感を覚えると、少年の後をついて行くようにベッドから起き上がってリビングに向かった。


 はぐらかされてしまったが、一先ずは少年の言う通りに腹を満たしてからだ。

 よく考えたら俺、ここに来てから何も食べてなかった。

 それに、状況が今一つ理解出来ない状況で、幼気いたいけな子どもに対して指をさして声を荒げるなんて、大人としてなんて情けないことを……





「さぁ、朝食はもう用意してあるから食べようか」



 のそのそとリビングに入ると、俺が起きてくるまでに準備したであろう朝飯と、朝飯が置いてあるダイニングテーブルに備え付けてある椅子に座って、にこやかにこちらを見ている少年が出迎えてくれた。



「これ、君が用意してくれたのか?」

「そうだよ。昨日から何も食べていないから、お腹空いたでしょ」

「あぁ、そう言えばそうだったな。ありがとう。気を遣わせてごめんな。大変だったろ?」

「ううん、別に大したことはしてないから大丈夫だよ。それに、この世界のご飯食べてみたかったし」

「…………」



 とりあえず、少年が用意してくれた食事にありつこう。


 少年の向かい側の椅子に座ると、テーブルに置かれている朝飯に目を落とす。

 目玉焼きに、レタス中心の野菜サラダに、白いマグカップに入ったコーンスープに、コッペパン。

 どれも、目の前の彼が用意しよう思えば出来る程に難しくないものばかりだ。

 それに、コーンスープと目玉焼きは仄かに湯気が立って、とても美味しそうだ。


 こういう風に、自分以外の誰かと一緒に朝飯をとるのも、自分以外の誰かが作ってくれた手料理(と呼んでいいか分かんないが)も随分と久しぶりだ。

 誰かと一緒に食べるなんて、たまにある気の合う友人との飲みの時か、正月で実家に帰省した時ぐらいだから。



「それじゃ、食べようか」

「あぁ、そうだな」




 パンッ!




「「いただきます」」



 早速、コッペパンに手を伸ばす。


 気色悪い空が覆う世界の食べ物だ。 何も無ければ良いが。


 リビングから見える不気味な空を一瞥して一抹の不安を覚えながら、恐る恐る口に運ぶ。



「……うまい」



 普通に美味しいコッペパンに驚き、思わず視線を落とした。


 体が拒絶するような変な味はしなかった。むしろ、俺がいた世界で食べ馴染んだコッペパンのあの甘い味だ。


 コーンスープにも手を出してみる。


 うん、俺が朝忙しい時によくお世話になっている、万人受けしそうなコーンスープの美味しい味だ。



「良かった。食べ物だけはマシな味みたいだな」

「ん? どうしたの?」



 独り言が聞こえたのか、対面に座っている少年が、目玉焼きを口いっぱいに頬張りながら、こちらに目線を向けてきた。



「いや、俺がいた世界とは明らかに異なる世界に来たから、てっきり食べ物も生理的に受け付けないような味だったらどうしようかと思ったが……案外、普通に食べれて良かったなって」

「そう、だね」



 想像していた以上の美味しい食事にありつけて満足している俺に対し、少年は一瞬だけ手が止まって複雑な表情を見せると、すぐさま何も無かったかのような顔で食べ始めた。


 その様子に少しだけ疑問を覚えたが、それは朝飯を食べ終わった後にでも聞こう。

 せっかく、美味しそうな料理が目の前に並んでいるんだ。


 こうして俺は、目の前の子どもと一緒に、ごく普通な朝飯を楽しんだ。





 朝飯を2人とも完食し終えると、朝飯の準備をしてくれたお礼にと、俺が2人分の食器の片づけを引き受けた。

 手早く朝飯で使った食器を片づけ終え、リビングに戻るとダイニングテーブルの上には仄かに湯気が立ち込めたマグカップが、テーブルの真ん中に一つだけ置いてあった。



「これ、君が用意してくれたの?」

「うん。片付けのお礼」

「そうか。ありがとな」



 これを飲み終えたら、再び台所に戻ることになりそうだが……まぁ、用意してくれたしな。

 用意してくれた少年の気遣いに嬉しさを覚えながら、マグカップの中身を一口だけ口に含んだ。

 マグカップの中身は、俺が毎日お世話なっているホットコーヒーだった。


 うん、俺が毎日のように飲んでたブラックコーヒーの味だ。


 馴染み深い味にホッと一息つくと、マグカップを置いて正面に座っている少年と目を合わせた。





「とりあえず、自己紹介といこうか」

「おぉ、そうだったね。そう言えば、お互いのことを紹介してなかった。すっかり忘れたよ」

「いや、初対面の人に対して最初にやることだから、普通は忘れないぞ」

「そうなんだ。って、律儀な生き物なんだね~」

「…………」



 この子、今までどんなことを教わって来たんだ?

 というより、『人間』って君も俺と同じ人間じゃないのか?



「まぁいいや。じゃあ、まずは僕から……」

「いや、待ってくれ。ここは大人である俺から先に自己紹介させてくれ」

「あっ、そう。じゃあ、お先にどうぞ」

「あっ、ありがとう」



 あっさりと先を譲った少年に拍子抜けしつつ軽く咳払いをすると、姿勢を正して真っ直ぐ前を見据えた。



「コホン。じゃあ、改めて俺から。俺の名前は『渡邊 律』 趣味は写真を撮ることでごく普通の社会人だ」

「うん、知ってるよ」

「特技は……って、えっ? しっ、知ってる? 俺、逃げてる時に自己紹介したか?」



 てっきりしてないと思って名乗ったが、あの混乱した中でやってたのか?



「ううん、してないよ。でも知ってる。だって、君をこの世界に呼んだのは、なんだから」

「俺をこの世界に呼んだのが、君?」

「そう、僕だよ」



 そう言えば、逃げている時にそんなことを口にしてたな。

 あの時は逃げることに必死になりすぎて真偽を問う暇もなかったのだが、改めて聞いてみると、この子は本当に何を言っているんだ?

 こんな様子がおかしい世界に俺を呼んだのが、この小学生の見た目をした少年だというのか?

 そんな人の理解を超えた超常現象を、いとも容易く行使出来るということは……



「君は一体、何者なんだ?」



 啞然としている俺を見ながら頬杖をついて楽しそうに微笑んでいた少年が、満足げな笑みを浮かべるとゆっくりと居住まいを正した。


 もし、この子が言ってることが本当だとしたら、俺は最初から自己紹介をする必要が無かったはず。



「初めまして、僕の名前はクロノス」

「……えっ?」



 クロノスって……



「あの時の神様で知られるクロノスか!?」



 少年が解き放った爆弾発言に、勢いよく椅子を後ろに倒して立ち上がった。


 目の前にいる美少年が、あのクロノスだっていうのか!?



「そうだよ、みんな知ってるあの『クロノス』さ。信じられないって言うなら、今から時を止めて見せるけど」

「……いや、大丈夫です」

「そう、ならいいや」



 面白そうなものを見る目で再び頬杖をつく美少年の態度に、冷静になった俺は倒した椅子を戻して座り直した。


 この子の力は、この場所に来た時点で証明されている。

 ただの人間風情が、逃亡劇を繰り広げている住宅街の路地から、危険性が全くないワンルームに瞬間移動なんて不可能だ。

 それこそ、神様しか持つことが許されない超越した力か、ファンタジー世界ではお馴染みの魔法か、俺のいた時代より遥かに進んだ科学技術ぐらいだと信じたい。


 少年の思わぬ正体に言葉を失っていると、不意に先程視界に映ったショッキングピンクの空色が脳裏に蘇った。



「なぁ、ここは一体どこなんだ?」



 さっき見たショッキングピンクもそうだったが、昨日見た人間の瞬間移動や警察ドローンなんて、俺のいた日本には存在しなかった。

 だとしたら、俺たちがいるこの場所は一体……



「ここはね」



 口を開いたクロノスの表情に、思わず息を吞んだ。

 視線の先にいるクロノスの表情は、年端もいかない子どものものではなく、大人の俺ですらも背筋を正してしまう威厳あるものだった。



「君がいたところではない。それは、ここに来た時に気づいたはず」

「あぁ、そうだな」



 俺がいた日本の空は、こんな不気味な空の色では無かったからな。



「じゃあ、ここは一体どこか?」



 クロノスは目を閉じて一呼吸置くと、射貫くような目で俺のことを見た。



「はっきり言うね。ここはね……なんだよ」

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