誰が為の勇者

空良 明苓呼(別名めだか)

第1章 旅立ち

第1話 始まり


 少女が目を覚ますと、目の前には何処までも青空と草原が広がっていた。しばらく、ぼんやりと目の前の景色を眺めていたが、考えがまとまらない。


 自分の着ている服に目を落とした。シンプルだが美しい真珠色のドレスをまとっていた。意匠を凝らし、シルクに刺繍ししゅうが施されている。少女はこのドレスを、自分には酷く似つかわしくないものに感じ、不思議そうに目を細めた。


 そうしているうちに背中の硬い感触を通して、自分が草の上に座り込んだまま、樹にもたれて寝ていたことに気が付いた。


 そっと立ち上がり、自分がもたれていた樹を見上げる。それは街中でも見かけることのある、ごく普通の樹木だった。春になると白い小さな花をつけ、人々の目を楽しませる。目の前にある樹は、日差しから隠れるにはちょうど良い大きさに育っていた。


 樹をとっくりと眺めた後、周りを見渡す。驚いたことに、水平線までを青々と覆う草原の中、唯一この樹だけが立っているようだ。


 人影は見当たらず、樹にとまった小鳥のさえずりが響き渡るが、その姿は何処にも見えない。呆然と立ち尽くしていると、遠くから穏やかな風が吹き、長く伸ばした美しい銀髪を流水のようになびかせた。


「ここは…どこだ?」


 優しげなあおい瞳に似合わず、少女は強い口調でいぶかしげに呟いた。


「ここは死後の世界。お前も、俺も


 突然の後ろからの声に、身体をひねり一足飛びで相手と距離を取る。その一瞬の身のこなしは、彼女がなんらかの武芸を極めていることを示していた。


 見つめる先に、黒髪短髪の青年が立っているのを見つけ、構えた手を思わず下ろす。青年は少女より少しばかり年上のようであった。彼女よりひと回り背が高く、旅人に相応しい動きやすい軽装をしている。


「…! ソーヤ!」


 見知った顔に少し安堵して少女は息をついたが、間髪を入れず、彼女は青年へ問いかけた。


「ビックリするだろう! お前、どこから出て来たんだ?」


 驚きを隠せない様子の彼女を見ると、青年はまるで贈り物の箱を開けた時のような表情で破顔した。


「久しぶりだな、シアン」


 シアンと呼ばれた少女は、現状を理解出来ず、戸惑っていた。自分も彼も死んだという言葉が、頭の中を勢いよく駆け巡る。


「私とお前が、死んだ…? いや、みんなは?みんな死んだのか?」


「そう、俺たち全員死んだんだ。魔王に勝てなくて」


 さっぱりとしつつ、少し寂しそうな表情で、ソーヤはそう答えた。『魔王』という言葉に頭の奥が痛むのを感じて、思わず顔をしかめる。自分が死んだ時の記憶を手繰り寄せようとしても、もやがかかったように、はっきりとしない。


 しかし、彼の言葉で自分が聖剣の勇者であり、仲間と共に世界を救う旅をしていたことを思い出した。


「みんな死んだ…? それなら、ここは何処だ?他のみんなは何処にいる?」


 不思議そうな顔をすると、彼は優しく微笑み掛けてきた。彼のこんな表情を見るのは、とても久しぶりな気がした。


「そうだな。今から俺たちがやることを説明する」


「私たちがやること…?」


「ああ。実は俺たちは死んだ順に天界で裁判を受けていたんだ」


「裁判?一体なんの…」


 ますます理解が追いつかなくなったが、ソーヤが続けた言葉に凍りつく。


「俺たちが死んだ後、世界は魔王の力で破滅へ向かっている。その責任を問うものだ」


「世界が破滅へ…いや! でもそれは聖剣の勇者であった私の責任だ。みんなはどこへ…?」


 みるみる青ざめるシアンの言葉をさえぎるように、ソーヤは淡々と説明を続けた。


「安心しろ。裁判は長引いたが、条件付きで全員天国へ行った」


 それを聞いてほっとすると、彼は再び微笑み掛けてきた。説明内容は物騒だが、彼は上機嫌なようだ。


「その条件というのが、俺たちがこれからやらないといけないことだ。端的に言えば、俺たちは次の勇者が魔王を倒せるよう導くことになった」


「ん? 次の勇者…」


「シアン、俺たちが死んでから500


 彼女の碧い瞳が、目から零れ落ちそうなほど、大きく見開かれる。


「はあ!? 500年!?」


「そうだ。そしてその500年の間に、魔王の力で人心が大きく乱れた。俺たちには想像がつかないくらい世の中は変わって、世界中のになっている」


 シアンはますます分からないという顔になってしまった。彼女の顔を見て、彼も困り顔になる。


「神々はなぜそんな状況になるまで世界を放って…私たちの裁判とか、やってる場合じゃないだろう?」


「それは俺も思った。けど、魔王の力が予想以上で俺たちの裁判は途中で取りやめ。俺とシアンの2人が聖剣を次世代に託し、魔王を滅ぼす補佐をすることになったわけだ。ほら、見てみろ」


 シアンはソーヤが指差した方を見て驚いた。目の前に泉が現れていたのだ。ほどほどの大きさで、一般的な家族が住む1軒屋が、ぎりぎり入るか入らないかくらいだ。


 どうやら湧き水のようで、水底の石や水草が、くっきり見えるほど澄み渡っている。揺蕩たゆたう水草の間から小魚が見え隠れし、水の湧いている場所で、ところどころ底砂が噴いていた。


「い、いつの間に…」


 呆気に取られるシアンをよそに、ソーヤが泉に向けて手をかざす。すると泉からすっと剣が現れ、そのまま真っ直ぐに空中に浮き上がった。


 剣身は細く、凝った装飾の金色の柄に、紅の宝石が1つだけめられていた。シアンは剣を目の前にして懐かしそうに呟いた。


「アルル・ゴージャの剣…」


 シアンが剣へ両手を差し出すと、アルル・ゴージャの剣は吸い寄せられるように彼女の手へ収まった。ソーヤは優しい眼差しで説明を続けた。


「そう。この聖剣を相応しい者たちへ託さないといけない。泉を覗き込んでくれ。今の世界を見せるから」


「500年後の世界か! 楽しみだな」


「…あまり驚かないでくれよ」


 ソーヤの言葉にシアンは剣を傍に置き、嬉しそうに泉を覗き込んだ。その先に、500年後の人々の日々があった。

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