6話 パーラー?

 心の平安を騎竜のアトスによって得られたユージーンは、夕食に降りてきたユーリが母上が用意していたドレスに着替えているのを、可愛いねと誉める余裕があった。


 短い間だけど昼寝したユーリは、ドレスの仮縫いの疲れから復活して、公爵夫人好みの少しロマンチックなドレスを着た姿は咲き始めたバラのように可憐だ。


「ユーリ、そのドレスもよく似合っている。お前みたいに可愛い令嬢など、何処にもいないぞ。さぁ、お祖父ちゃんと一緒に食堂に行こう」


 ベタほめのお祖父様に身贔屓なんだからとはにかみながら、ユーリはエスコートされて食堂に入っていく。


 フランツはいつもは厳めしくて、苦虫を噛み潰したような表情の祖父が、好々爺のように機嫌が良いのが気味悪く感じたが、夕食は和やかな雰囲気になる。


 ユーリはマウリッツ公爵家で楽しい夕食を取りながら、独りで食べているマキシウス祖父様や、モガーナ祖母様を思い出す。


 マウリッツ公爵家からの養女の申し出を断ったのは、ユージーンとフランツがいるのに自分まで必要無いだろうし、フォン・フォレストの田舎暮らしが気に入っているのと、あの巨大な館で独りで暮らしているお祖母様を思ったからだ。


 マキシウスは同じ祖父でも、老公爵と違い現役バリバリで働いているし、竜騎士隊長という立場のせいかユーリにとっては煙たい存在だったが、こうして賑やかな食卓を囲んでいると少し気にはなる。

      

 だが、ユーリは自分が居ない時のマウリッツ公爵家の食事風景が、礼儀正しく会話も余りない静かなものであるのは知らなかった。


 厳めしい老公爵と、仕事中毒の公爵、外交官としての職務に熱中して留守がちのユージーン、リューデンハイムの寮暮らしのフランツ、マリアンヌがどうにか会話を始めても、たまに揃った家族も礼儀正しく返事するばかりで、ユーリがいる時みたいには話も弾まない。


 夕食後、普段は早々に仕事の書類を読むために書斎に籠もりがちのリュミエールもサロンで寛ぐ。


「ユーリは、フォン・フォレストに明日行くのか?」


 今までは予科生だったので外泊は出来ず、ユーリの部屋を用意してあるのに泊まる事がなかったので、たまに食事を共にしても寮に慌ただしく帰っていた。こうして夕食後にサロンでユーリと過ごすことはなかった。


 その上、夏休みも、冬休みも、フォン・フォレストべったりで、この夏休みをストレーゼンで一緒に過ごせるのを、老公爵も公爵も楽しみにしている。


「明日はユングフラウで色々しなくてはいけない事があるから、フォン・フォレストには行けないかも。パーラーの準備や、寮も探さないといけないし、ストレーゼンの屋台も作らなきゃ」


 まだまだ準備することが山積みのユーリは、いつになったらフォン・フォレストに行けるのかもわからない。


「パーラー? ストレーゼンの屋台? ユーリ、いったい何をするつもりなのだ」


 公爵は一緒に夏休みを過ごせると楽しみにしていたので、ユーリに早くストレーゼンに来て貰いたかった。


 ユーリは今日中にアチコチまわりたいと思っていたので、パーラーの計画書や、準備することのチェックリストを持っていた。


 今日はドレスの仮縫いで潰れたので、明日、明後日とユングフラウの大工や、寮探しに不動産屋、食器類、食料品店、それに制服を決めたりと、やることが満載だ。


 ユーリは広大な公爵領を管理している公爵に、自分の計画に不備がないか質問する。


「ユーリが、パーラーを戦争遺児の為に開くのは良い考えだよ。公爵家で資金を援助しよう」


 公爵はユーリのパーラー計画書がきちんと考えられているのに驚き、資金援助を申し出る。


「叔父様、ありがとう。でも、ストレーゼンで支援者を集めるつもりなの。一人10クローネにするつもりだから、その時にお願いするわね」


 10クローネづつだと、夏休み中かかるのではないかと全員が困惑する。


 公爵はユーリのパーラーの出納帳をチェックして、マキシウスの1000口出資を見つけ出した。


「おや、アリスト卿は1000口出資しているじゃないか? 私も叔父なのだから、1000口出資させて貰おう」


「マキシウス祖父様は私がお小遣いを使い果たして、パーラーの準備や、寮を借りる資金がないから、特別に1000口出資して貰ったの。沢山の人にこの問題を考えて欲しいから、低額に決めてるのよ」


 ユーリの抗弁など、公爵や老公爵には紙切れより軽かった。


「私と父上とで3000口集まったから、後は2000口か、マリアンヌと、ユージーンで5000口。これで出資者を集める必要は無くなったな。パーラーの改装や、寮はこちらで手配しておこう」


 うっと、ユーリは詰まってしまったが、5000口の出資は大きい。


「叔父様、ありがとう。でも、これは最低限の必要経費だから、まだ出資者は集めなきゃ。寮も、いまの立地はあまり良くないの。歩いてたら酔っ払いとかが声を掛けてくるし、出来ればパーラーを予定している地区に寮を設置したいわ。あそこらは家賃も高いし、空いてる物件も無かったから、下町しか無かったんだもん。これだけの準備資金があれば、もう少し治安の良い地区の寮にできるわ」


「酔っ払いが徘徊している地区を、歩き回っていたのか!」


 ユージーンはユーリの自覚の無さに頭が痛くなる。


「大丈夫よ、声は掛けてくるけど無視してたし。遊ぶ暇ないから」


 うっと、全員が言葉をのむ。


『お嬢さん、遊んでいかないか?』などと、酔っ払いに声をかけられているユーリを想像するだけで耐えられない。


「ユーリ、一人で街を歩き回ってはいけない」


 全員に怒鳴られて、首をすくめたユーリは、イリスがいるから大丈夫よと反発したが、そんな輩がいる地区に足を踏み入れるのを禁止された。


「パーラーの設置区画に、寮も用意させなさい。お前のことだから、寮にも出入りするに決まっているからな」

 

 老公爵の言葉に、公爵も同意する。ユーリはその地区はとても家賃が高いのと抗議したが、全員に無視される。

    

「でも、あの地区に空き家は無かったわ。私も、始めはあそこで探したんですもの。確かにあの地区なら従業員も安心だけど、家賃が払えないわ。出資者を10000人も集めなきゃいけなくなるわ」


 公爵はユーリに寮の物件はこちらが用意するから、元々の家賃で良いと伝える。

     

「そんな訳にはいかないわ。でも、あの地区に寮があると便利だし、安心なのは確かだわ。もし、叔父様が寮を確保して下さるなら、ちゃんと家賃を払います。夏休み中に出資者を集めます」


 ユーリがどのくらいの家賃になるのか考え込んでいるのを、全員が困った目で見る。

   

「ねぇ、ユーリ、10クローネという設定が無理なんじゃない? 10000人も出資者を集めるより、せめて100クローネにして、1000人にするとかにしたら。後、大口出資者を集める事も考えた方が良いよ。そんな10000人も集めていたら、夏休み終わっちゃうよ」


 フランツの言葉に、ユーリは悩む。


「私は、自己中心的なのかしら? マキシウス祖父様も、全額出して下さると言われたの。叔父様も仰って下さったし、資金だけならストレーゼンで屋台をして、出資者を募る必要無いのかも」


「遺族の女の子の為に、パーラーを計画している君が自己中心的だなんてこと有り得ないよ」


 フランツは日頃から気が良すぎると思っていたので、ユーリの言葉が意味不明だと笑う。


「パーラーはそうだけど、ストレーゼンでの屋台は、出資者を募る為もあるけど、宣伝とプロパガンダの為ですもの。遺族の女の子が困っているのは事実だし、安心して働ける場所が無いのも本当だけど、この問題を皆に考えて欲しいから屋台でアピールするの。それとアイスクリームを食べて貰って、パーラーに来てほしいのよ。沢山の出資者に、最初は遺族の女の子の働き場所を提供するという解りやすい入り口から、女性の働き場所についても考えて欲しいの」


 フランツはユーリが竜騎士になってしたいと考えている女性の職業訓練所や、職域の拡大の一歩として、パーラーを計画したのに気づいた。


「将来、竜騎士になった時の布陣なんだね。出資者に報告書を送って、出資金の使い道を説明しがてら、女性の職業訓練所の必要性も訴えるつもりなんだ」


 フランツとユージーンは、ユーリが竜騎士としての職務の為に今から地道な努力を始めようとしているのに驚く。


「最初は、本当に困っている女の子達を少しだけでも助けたいと思ってパーラーを計画したの。でも、パーラーで雇える女の子は少しなんですもの。やはり、根本的に手に職をつけなきゃいけないの! でも、男性の官僚に女性の職業訓練所に予算を出してと言っても、断れるのは目に見えてるでしょ。だから、少しづつ世論を変えていく必要があるのよ」


 ユージーンはユーリの計画に感心したが、やはり粗も見える。

   

「ユーリ、それなら大口出資者と、10クローネ以下の小口寄付に分けた方が良いよ。大口出資者には住所を聞いて、月々の報告書を送り、小口寄付者には主旨と、前月までの報告書を書いたパンフレットを渡せば良いよ。小口寄付はパーラーでも続けて受ける方が良いと思うな」


 ユーリはユージーンの言葉に、なる程と相槌を打つ。


「そうね、アン・グレンジャー講師と話してから、このパーラーを女性の職業訓練所を設立する役にたてるかなと思って、出資者に協力者を増やす件を急に思いついたから、まだ考えを詰め切れてないわ。こういう活動をしてると、過激な言動をしがちだから気をつけるようにと忠告されてたのだけど、つい焦ったの。国務省で、頑張って予算を取る方法を考えるわ。他の部署の不必要な予算を見つけるとか、功績をあげて発言力をつけなきゃ」


 ユージーンとフランツは、うっと詰まってしまったが、老公爵と公爵は、何人かの大口出資者を思い浮かべる。とっとと、ユーリに屋台ごっこなど止めさせて、ゆっくりと一緒に過ごしたかった。 


「制服は、任せて下さいね。このデザインはユーリがしたの? とても、可愛いわ。マダム・ルシアンに頼んで、超特急で作って貰うわね。パーラーの内装と屋台は、屋敷の改装している業者に頼めば良いし、寮は家令に任せておけば大丈夫よ」


 マリアンヌは本当はこのままストレーゼンにユーリを同行したい気持ちだったが、正式な保護者がいるフォン・フォレストに行くのを止めるわけにはいかない。なので一刻でも早くユングフラウでの用事を終えさせようとしていた。


「叔母様、マダム・ルシアンだなんて高すぎるわ。それに制服だから、洗えるように木綿なのよ」


「マダム・ルシアンにお任せすれば、下請けでも、お針子にでも縫わして下さるわ。この予算でお願いすると、言えば良いの。全部、貴女がしようなんて無理よ、パーラーを運営するのは良いけど、ウエイトレスとかは駄目ですよ!」


 ええ~っと、ユーリが苦情を言い立てるのを全員が無視する。


「でも、叔母様、ストレーゼンでのデモンストレーションは良いでしょ。王妃様にも屋台をだす許可を頂いてるのよ」


 王妃がユーリをどれほどストレーゼンに呼びたかったのか溜め息がもれるほどだったが、その目的は屋台をさせる為では無いのは明らかだ。


「屋台は仕方ありませんが、貴女は出資者を集める為の主旨の説明に専念して頂きたいですね。それと、屋台の時間はお茶の時間までですよ。遅くまで、王家の公園とはいえ年頃の令嬢が彷徨いてはいけませんからね。ユージーン、フランツ、側にいて、不届きな人からユーリを守ってね」


「叔母様、それではユージーンとフランツに気の毒だわ。私の屋台に付き合わせるだなんて。心配でしたら、侍女か侍従を付き添わして下されば良いわ。せっかくの夏休みなんですもの」


 ユーリがダラダラと屋台を続けないように、ユージーンとフランツに付き添いを命じたのだと全員が理解する。


「僕はユーリとアイスクリームの屋台をしても良いよ。アイスクリームは絶対に令嬢方に評判になると思うから、楽しそうだもの。ユーリ、チョコミントのアイスクリーム作ってよ」


 お気楽なフランツと違い、名門貴族の集まる夏の離宮があるストレーゼンで、絆の竜騎士のユーリが屋台なんかしたら、令嬢どころか独身貴族達が群をなすぞと、ユージーンは溜め息をつく。


 ユーリが呑気にアイスクリームの味を日替わりにしようかしら、などとフランツと話し合っているのを、老公爵は微笑ましく眺めていたが、これほど血が濃くなければ余所に嫁になどいかせないのにと残念に思う。


「やっぱり、私はまだまだ駄目ね。叔父様や、叔母様は、私が数日かけても出来そうにない事を、あっさり片付けてしまわれるのですもの。頼める人を作らなきゃ駄目なのよね。パーラーだって、誰か責任者を決めなきゃ。自分一人で出来る事なんて、しれてるから、人を動かす事を学ばなきゃ」


 ユーリが官僚としての感覚を身につけようとしているのにユージーンは気づいた。


「でも、寮は見つかるかな? 何度も不動産屋に足を運んだけど、無かったのよ。女の子だからと、パーラーの店舗を借りるのも難しかったわ。イリスがいたから、身元は保証されて借りれたけど、それはフォン・アリストのお祖父様のお陰みたいなものだしね。早く、色々したいな~やりたい事だらけなのに、社交界なんてやってられないわ」

 

 カザリア王国でも社交界引退したいと言っていたが、今日もフランツの失言からだが、引退したいと駄々をこねたユーリにユージーンは、エドアルド皇太子殿下の社交相手だなんて絶対言いたくないと思う。


「なんで、そんなに社交界を嫌うの?  したいことがあるってのはわかるけど、人脈を作るのも大切だよ。ユーリがこれから国務省で官僚を目指すなら、根回しを覚えなきゃ。ぺーぺーの官僚では会えない重臣達とも、パーティーなら会えるじゃないか。もちろん、パーティーで仕事の話は厳禁だけど、知り合いになれるとアポとか取りやすいんじゃない?」


「そうか、おじ様方を狙えば良いのね。でも、知らない相手と次々ダンスばかりで、年配の方と話す暇が無いわ。私は知らない相手とのダンスなんて大嫌い!」


 ユージーンとフランツは、知らない相手と、ユーリが何か不愉快な目にあったのではと心配する。


 社交界には、デビュタントを落とすのを目的としている貴族の放蕩息子もいる。自分達が見張っているから間違えは起こってないのは自信があったが、ダンスのホールドの時にお尻を触ったりとかは、気づかずに見逃したのかと案じたのだ。


「何か不愉快な目にあったのか? そんな奴は、社交界を追放してやる」


 ユージーンの言葉にきょとんとして、ユーリはダンス自体が苦手なのと答える。


「え、ユーリもダンス上手くなったじゃないか。僕とも、楽しそうに踊ってたし」


「フランツやユージーンや、知り合いとのダンスは嫌じゃないう~ん、二人は女の子じゃないから、わからないかも? 知らない相手と、いきなり手を繋いだり、ホールドされてるの嫌よ。普通、知らない男の人と、手なんかつながないでしょ。ましてや、あんなに接近しないし。絶対、社交界っておかしいわ! 上品な奴隷市場で競りにかけられてる気分になるから、嫌いよ」


 ユーリの言葉に乙女らしい潔癖主義を感じた全員は、まだまだ恋のシーズンは遠そうだと思う。


「まぁ、奴隷市場は言い過ぎですよ。でも、ユーリは結婚の相手を探さなきゃいけないのだから、お互い様なのよね。殿方も、容姿や、能力や、家名、資産と条件を吟味されるのよ。今度の舞踏会には、事前の調査で合格した方だけお呼びしてるの。後は、ユーリが気に入る方がいれば良いだけなのよ。まだ、ユーリが結婚を考えてないのはわかっているけど、知り合うぐらいは良いでしょ。その方達と、これから何回もパーティーで会ううちに、相性の良い方が見つかるかもしれないわ」


 ユーリは何だか打算的だと思って、納得しにくい。


「条件で好きになるものなの? よくわからないわ」


 公爵夫人はまだまだ幼いユーリの困惑が少し理解できたので、優しく諭す。


「もちろん、ユーリが相手の方を好きになるのが一番大切よ。でも、私達は貴女に幸せになって欲しいと願っているから、良いと思うお相手を探しているのよ。

貴女を大切にしてくれる相手と、結婚して欲しいの」


 ユーリもそういう風に優しく諭されると、反論しにくかった。


 まだ、納得してるとはいいがたいユーリの表情だったが、頭ごなしに怒るより、優しい説得に弱いとユージーンは扱い方を今まで間違っていたと反省する。


 ふと、ジークフリートはユーリの伴侶として理想的なのではとの考えが浮かんだが、プレーボーイの評判を思い出して却下する。

 

 それにジークフリートはグレゴリウスの指導の竜騎士として、ユーリを皇太子妃にしようとしているのだから、馬鹿馬鹿しいと忘れ去る。


 だが、ジークフリートがウィリアムから、ユーリを任された事をどれほど重く考えているか、本心ではユーリが皇太子妃に向いてないと考えているとは気づかなかった。

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