3話 音楽会の準備
昨夜は遅かったので、昼食後に弾く曲や、歌う曲の打ち合わせをする事になっていた。
セリーナは昨夜の皇太子主催のどんちゃん騒ぎに耐えられず、早々に帰宅して体力温存していた。
それにニューパロマの社交界を牛耳る王妃様の音楽会は、しくじれないと張り切っていたのだ。
大使と外務次官はある程度の年配の方は演奏や歌を免除されるので「やれやれ年取った恩恵ですな」と、サロンの外のテラスで花盛りのバラ園を眺めながら、優雅にお茶と音楽を楽しんでいる。
「そうですわね、ユージーン卿や、フランツ卿、ユーリ嬢は、ミューラー師についてらっしゃるから大丈夫でしょう。まずは皇太子殿下とジークフリート卿の曲を決めましょう。三人はダブらない曲を披露すれば良いですわね」
グレゴリウスもジークフリートも、かなりピアノが上手いのでセリーナは安心した。
「これなら、王妃様も喜ばれるでしょう。エリザベート王妃様はとても熱心な音楽愛好家なので、下手な演奏や歌は我慢でませんの。ですから少し心配してましたのよ。では、フランツ卿、ユーリ嬢、ユージーン卿、どの曲にされますか?」
ユーリに「お先にどうぞ」と譲られてフランツはミューラー師に仕込まれたピアノを披露する。
「まぁ、フランツ卿、とてもお上手だわ! トロットが少しお下手でしたので、心配してましたのよ」
セリーナの視線がユーリに向けられたのに気づいて、先手を打って「ユージーン、お先に」と譲った。
「私は大体の曲は弾けるから、ユーリが先に曲を決めた方が良いのに……大使夫人、エリザベート王妃様はどの曲がお好みですか?」
ユージーンは、セリーナに聞いた難曲をいとも簡単に弾きこなした。テラスで聞いていた大使や、外務次官も思わず拍手する出来で、セリーナも面目を保てると喜んだ。
「素晴らしいわ! 流石にミューラー師に習われていただけはありますわ。ユージーン卿、音楽で食べていけますわよ。さぁ、ユーリ嬢、どの曲になさるか決められたかしら?」
先ほどから楽譜を何冊も手に取っては、置くを繰り返していたユーリが、どの曲にするのか決めかねているとセリーナは考えたのだ。
「大使夫人、私はピアノは遠慮しておきますわ。ユージーンがあんなに上手なんですもの……私のピアノはお耳よごしになりますわ」
少し顔を赤くして遠慮するユーリを、セリーナは慰める。
「まぁ、確かにユージーン卿の後は弾き難いですわね。でも、あそこまで上手な方はいらっしゃらないから、大丈夫ですわよ。さぁ、お弾きになって」
弾かずには許してくれそうにないセリーナの勢いに負けて、しぶしぶユーリはピアノの前に座る。
ユージーンもフランツも、ミューラー師にユーリがピアノを習っていると思っていたので、何を嫌がっているのか見当もつかなかった。
「何を弾くつもりなんだ?」
ユーリが楽譜をピアノの譜面立てに置いたのに、ユージーンはまず不審を抱いた。
ミューラー師は暗譜までキッチリ仕込むので、自分もフランツも楽譜など見ずに弾いたのに、ユーリがまだ暗譜していない曲を弾くのかと、勘違いしたのだ。
「やはり下手なので、音楽会は聞いてるだけにしますわ」
椅子に座っても、ぐずぐずしているユーリにユージーンの雷が落ちた。
「そんなわけにいかないから、打ち合わせしてるんだろうが。さっさと……え! こんな練習曲を弾くのか?」
楽譜を見たユージーンは呆気にとられたが、兎に角弾いてみろと命令する。
仕方なくユーリは弾き始めたが、お世辞にも上手とは言えない出来で、ユージーンは「止めろ」と怒鳴った。
「ユーリ、どういう事なんだ。ミューラー師の所で、ピアノのレッスンを受けていたのじゃないのか?」
ユージーンのみならず、全員がユーリの下手なピアノに驚いた。
「ミューラー師はクビになったのよ」
ユーリは穴があったら入りたいと、小さくなって答えると、フランツはハハンと思い当たった。
「ユーリ、ミューラー師に棒で打たれたんだね」
「ええ」
ユーリの答えに、ジークフリードとグレゴリウスは、酷い! と怒ったが、ユージーンは怪訝な顔をする。
「ミューラー師は棒で打たれたりしないが……」
「そりゃ、ユージーンは優等生だから。僕は、一二回、練習をサボって行ったら、楽譜をさす棒で打たれたことあるよ。でも、それでミューラー師をクビにしたの? 大伯父様も君には甘いね~」
フランツの誤解に、ユーリは真っ赤になって答える。
「違うわよ、私がクビになったの。棒で打たれてびっくりしたら、イリスが飛んできちゃって、ミューラー師のお宅の窓ガラスを衝撃波で全部割っちゃったの。で、凄く怒られてクビになったの」
あちゃ~! と竜騎士達は、イリスの過保護振りを知ってるだけに、ミューラー邸に勢い込んで飛び込んだ巨大な竜が窓ガラスを割る風景が浮かんだ。
「ミューラー師からクビにされても、他の教師を探せば良いだけだろう。第一、ユーリは母に土曜の午前中は個人レッスンがあるからと、断っていたじゃないか。まさか、嘘をついていたのか」
ユージーンはユーリが母の着せ替え人形になっているのは気の毒だとは思っていたが、何年も嘘をついていたのかと思うと腹立ちを感じた。
「違うわ、午前中はずっと個人レッスンを受けていたのよ。ミューラー師の窓ガラスは、お祖父様が弁償して下さったんだけど、私が精神的に落ち着かないとイリスに悪影響を及ぼすと、凄く怒られて説教されたの。で、やっと長い説教が終わって、別の音楽教師を探すと仰ってたら、運悪く、リューデンハイムから成績表が届いたの。私の武術の成績を見て、激怒されて、あれからずっと武術の個人レッスンを受けさされてるのよ。まだ、ピアノの方がましだったわ! お祖父様も時々レッスンを参観されるから、サボれないの」
流石のユージーンも竜騎士隊長に参観されながらの武術レッスンは遠慮したいと思ったので、ユーリに同情した。
「え~、個人レッスンを受けて、あの成績なんだ」
フランツはユーリの酷い武術の成績を知ってるだけに驚いた。
「そうなのよ! 私には武術の才能の欠片もないんだから諦めてと、何度もお祖父様にお願いしても許してくださらなくて……」
華奢なユーリが苦手な武術をレッスンするのは無駄に思える。
「カザリア王国ではサボれるから良かったね」
「駄目なのよ! シルベスター師範から毎日腕足せ伏せと、腹筋を毎日100回するように宿題を出されてるの! それにサボるとすぐにバレるのよ~」
「シルベスター師範! 竜騎士隊の武術師範のシルベスター師範に個人レッスンを受けて、その成績なの?」
厳しい訓練で有名な竜騎士隊の武術師範に個人レッスンを受けさせられているユーリに同情したが、こんな不出来な生徒に稽古をつけるシルベスター師範にも同情した。
「ええ、絶対に武官を目指さないでくれと懇願されたわ。でも、見習い竜騎士になってもレッスンは続くのよ。酷いでしょ! 昨日は寝てしまったから、今日は200回腕立て伏せと腹筋しなくちゃいけないから、音楽会は欠席していいかしら?」
「良いわけないだろう!」と全員に怒鳴られて、ユーリは「聞いてるだけにするわ」と開き直った。
「そんな……ある程度の年配の方なら、音楽を聞いているだけでも許されますが、王妃様は若い方が音楽の素養をつけられるのをとても大事に考えておられるわ。ですから、ユーリ嬢みたいなデヒュタントが演奏を披露しないなんて、考えられませんわ。ああ、でも、あのピアノでは恥をかいてしまいますわねぇ。王妃様主催の音楽会にはニューパロマの音楽愛好家が集まりますもの」
セリーナはどうしましょうと狼狽える。
「ピアノでなくても、歌でも良いのでは?」
今更ピアノを練習しても、音楽のお好きな王妃のお耳よごしになるだけだと、ユージーンは考えた。
「もちろん、歌でも良いのですが……エリザベート王妃様は歌には特に厳しいから、皆様にはピアノの演奏をお勧めしたのです。でも、ピアノが弾けないのなら、仕方ないですわね。ユーリ嬢、歌にしましょう! 歌ならピアノの伴奏や、いざとなれば何方かと合唱なされば誤魔化せるわ。王妃様のお気にめすのは難しいけど、義務は果たせるし恥もかかずにすむでしょう」
ひぇ~と、消え去りたい気分のユーリをセリーナとユージーンは立たせた。
「これなら簡単だし、初夏に相応しい曲だ」
ユージーンの伴奏でユーリは歌いだしたが、声も途切れ途切れで自信のなさが現れた酷い歌だった。
ユージーンは伴奏を途中で乱暴に鍵盤を叩いて止めると、ユーリの背中と腹をバシンと殴った。
見ていた皆は驚いて口をアングリとあけてしまったが、ジークフリートは、ユージーン卿! と制する声を上げた。
「姿勢がなっていない! そんな自信なげに歌われたら、この曲が台無しだ。腹筋してるなら、腹に力をいれろ」
もう一度、背筋、腹筋、とビシッと叩かれて、ユーリはユージーンを睨みつけて怒鳴る。
「無理なのよ、音痴なんだもの! 歌は無理よ」
「音痴、私の従姉妹が? ありえない! 音階を歌ってみろ」
ユージーンの弾くピアノに合わせて音階を歌うと、ちゃんと音は合っている。
「音痴なんかじゃない! 第一、君の母上はロザリモンド姫なんだぞ。父からも、ロザリモンド姫の歌は心が洗われるような気持ちがしたと何度も聞いている」
「じゃあ、きっとパパに似たのよ」
ユーリの反抗に、ジークフリートも黙っていられない。
「ウィリアム卿は、おおらかな良い声で歌われてましたよ。ユーリ嬢、小さい頃、ご両親は歌を楽しまれていませんでしたか?」
ユーリは夏の夕暮れ木の下で歌っていたママや、冬の間は雪に閉じ込められた小屋の中で楽しそうに歌っていた両親の姿を思い出した。
「ええ、歌っていたわ! 私も一緒に歌っていた。いつからかしら、歌が下手で歌わなくなったのは?」
グレゴリウスはリューデンハイム入学した頃は、ユーリが歌っていたのを思い出した。
恋する少年らしくユーリに注目し続けていたので、12、3才から歌わなくなったと気づいて、音痴だと勘違いした理由がわかった。
「ユーリ、リューデンハイムで他の生徒が声変わりしてから、君が歌わなくなったんだ。音痴じゃないよ! 入学した頃はよく歌ってたもの。とても歌が上手いと思ってた」
男子生徒ばかりのリューデンハイムで、声変わりした男の子に混じって歌った自分の高い声が奇妙に感じて歌わなくなったユーリに同情した。
「他の音楽教師についてれば、音痴だなんて思わずにすんだのに……何か、君の母上が歌ってた曲を覚えてないか?」
ユージーンもユーリがリューデンハイムでたった一人の女の子として苦労したのは察していたから、少し優しく話しかける。
「そうね、夏の夕暮れによく歌ってた『楡の木の下で』は、よく覚えているわ」
ユージーンの伴奏で歌い出したユーリの歌声は素晴らしく、皆うっとりと聞きほれた。
テラスでユーリの下手なピアノのヒヤヒヤしていた大使は、素晴らしい歌を目を閉じて堪能していたが、外務次官につつかれて不機嫌に目をあけた。
「なんですか、折角ユーリ嬢の歌を鑑賞していたのに……」
外務次官が指差す方を見ると、ユーリがきてからバラは咲き誇っていたが、何個か残っていた固い蕾が次々とほころんで咲いていき、葉っぱが見えないほどの満開になっていった。
「これは……すさまじいですな。花は話しかけたら良い花を咲かせると園芸愛好家は言いますが、レベルが違いすぎます。ユーリ嬢の素晴らしい歌声には魔力がありすぎます。カザリア王国にバレてしまいますよ」
最初は同盟締結の為なら、ユーリとエドアルドの婚姻もやむなしと思っていたマッカートニー外務次官も、同盟と縁談が切り離された時点で考えを変えていた。
それに、ユーリの生む子どもは絆の竜騎士だとのイリスの宣言からは、グレゴリウスの妃にと切望していたので、カザリア王国側に緑の魔力が知られるのはマズいと考えた。
「うわ~、これは気づかれるかもしれませんな。ユーリ嬢には夕暮れてから歌って貰いましょう」
「そんなので、いけるでしょうか?」
「ニューパロマが花盛りなのにも、誰も不審がっていませんから、大丈夫でしょう。ユングフラウが何年も花盛りなのにも、誰も気づかなかったのですから」
二人の呑気な話とは別に、フランツも庭のバラの異変に気づき狼狽えた。
ユーリの素晴らしい歌声にうっとりとしていたグレゴリウスや、ピアノの伴奏をしていたユージーン、歌に聞きほれていた大使夫人は、庭の異変にきづかなかった。
フランツは目の隅に入ったバラが次々と開いていく様子に釘付けになった。
ジークフリートもユーリの歌をうっとりと聞いていたが、フランツが庭に目をやったまま固まっているのに気づき、緑の魔力を知られたのだと溜め息をついた。
そっとフランツに唇に指を立てて、黙っているように指示すると、素知らぬ顔でユーリの歌を鑑賞した。
フランツはジークフリートに沈黙を要請され、少し冷静になって考えた。
『ユーリが花を咲かせているのか? そういえば、ユーリは竜舎に結界を張ったし、ジークフリートとユージーンは先にその事を知っていた。チェッ! 見習い竜騎士はつまんないな! 早く竜騎士になって、機密情報に接したい!』
流石に外交官を目指しているフランツは動揺を隠して、寛いで歌を聞いている振りをしていたので、ジークフリートはひとまずは合格点をあげた。
「とても、素晴らしい歌だったわ! あら、涙が……」
感動して涙をこぼしているセリーナや皆からの拍手を浴びて、照れながらも嬉しそうなユーリに、ジークフリートは提案した。
「素晴らしい歌声ですね。きっと、王妃様も気にいられてアンコールなさる筈です。グレゴリウス皇太子殿下と合唱なさっては? 『恋のはじまり』は初々しいユーリ嬢にピッタリですよ」
「確かに、ジークフリート卿のおっしゃる通りですわ! 何曲か練習して行った方がよろしくてよ」
大使夫人に強引に話を進められて、ユーリは皇太子殿下と『恋のはじまり』を歌ったが、甘い愛の歌詞の掛け合いに照れてしまって、先ほどまでの歌ほどは上手く歌えなかった。
ユーリの緑の魔力を知っているメンバーは、一二輪は開くが、これくらいならと安心した。
「ユーリ、照れながら歌われると、こちらまで恥ずかしくなる。皇太子殿下もですよ、もっと、しっかり歌って下さい」
厳しいユージーンの音楽指導のお陰で、ユーリとグレゴリウスの初々しい『恋のはじまり』も鑑賞に耐える出来に仕上がった。
その後も、熱心な大使夫人と厳しいユージーンにしごかれて、数曲練習させられたユーリは、少し疲れたわと椅子に行儀悪くダラ~と座ったものだから、ユージーンにお小言をくらった。
「令嬢がそんなだらしのない格好を、人前にさらすなんて」
「まぁまぁ、ユージーン卿、ユーリ嬢も何曲も練習してお疲れになったのですわ。さぁさ、お茶にしましょう。今夜の音楽会ではイルバニア王国の面目躍如ですわ! 元々はお洒落なユングフラウの方が音楽でも優れてるということを、学術の都だと威張っているニューパロマの人達に教えて差し上げなくては」
音楽愛好家のエリザベート王妃に、ユージーンのピアノとユーリの歌を自慢できると上機嫌のセリーナに、特使一行は少し呆れる。
「ははは、少し奥方はニューパロマでの音楽愛好家達の自分達こそが一番という態度を、前から腹立たしく感じていたみたいですから、許してやって下さい」
大使のとりなしに、イルバニア王国の愛国心が燃え上がった。
「なんですって! それは、聞き捨てなりませんね。
確かにパロマ大学は立派ですし、学術はニューパロマは優れてますが、音楽、ファッション、美食はユングフラウのものでしょう。なんたる事! 今宵はぎゃふんと言わせてやりましょう」
自ら学術の負けを認めた外務次官に苦笑しながらも、流石に馬鹿にされては文化の都の沽券にかかわると全員が奮起した。
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