5話 クラスト大使夫妻
「へぇ、凄く立派な建物なのね。大使館に来るの初めてなんだけど、小さな王宮みたいね」
呑気に周りを見回して感想を言っているユーリに、フランツは呆れる。
「大使館はカザリア王国の中にあるイルバニア王国なのだから、国威を示さなきゃいけないんだ。立派なのは当然だよ、カザリア王国の貴族を招待してパーティーとかも開かなきゃいけないんだからね。それに大使館は治外法権だから、それなりの武官も常駐している。ほら、クレスト大使に挨拶しに行くよ」
大使館員にサロンに案内されて、二人は大使夫妻に挨拶をする。
「ユーリ・フォン・フォレストです。滞在中は宜しくお願いします」
「フランツ・フォン・マウリッツです。宜しくご鞭撻のほどを願います」
アレクセイ・フォン・クレスト大使は、二人の見習い竜騎士からの挨拶を受けながら、ユーリ嬢とマウリッツ公爵家の次男を穏やかそうな風貌の下で、冷静に観察した。
「ユーリ嬢、こちらが私の奥方のセリーナ・フォン・クレストです。カザリア王国に滞在中は貴女の後見を勤めるように、王妃様から厳命を受けておりますので、指示にしたがうようにして下さい」
ユーリは紹介された美しい貴婦人に、少し緊張して挨拶をする。
「はじめまして、ユーリ・フォン・フォレストです。カザリア王国滞在中はお世話になります。宜しくお願いいたします」
大使夫人はユーリの挨拶を受けると、早速ですがと部屋に自ら案内して、侍女達に指示して衣装櫃からドレスを全て出させた。
「まぁ、やはりユングフラウのドレスは素敵だわ」
王妃からくれぐれもユーリが恥をかかないようにと頼まれていたセリーナは、持参したドレスが足りなかったり、相応しい物でなかったら、急いで作らせなければと心配していたのだ。
だが、どのドレスも素晴らしい品だったので安心する。
「貴女のことはカザリア王国滞在中は、私の娘と思って世話と指導をしますから、安心して下さいね。皇太子殿下が出席される公式の晩餐会や舞踏会には、パートナーとして参加する事になりますから、ドレスを考えて着なくてはね」
そう言うと、大使夫人は持参したドレスを一枚ずつ観察していく。
『マダム・ルシアンのお店にキャシーを連れて行って良かったわ! あのまま叔母様に作って貰ったのと、お祖母様のドレス2枚と、3枚しか持参しなかったら、大変なことになっていたわ』
マダム・ルシアンのお陰で夜のドレス6枚と昼のドレス7枚を持って来ていたので、ユーリは大使夫人がチェックするのを落ち着いて眺めていた。
「どれもこれも素晴らしいドレスですわ。特に、この真珠の地模様のドレスとレースのドレスは他の物とはセンスが違いますわね。どのマダムの作品ですか? 私はユングフラウのマダムの作風は大体知っていますけど、このようなドレスを作る方は思い浮かばないわ」
セリーナ・フォン・クレストは自分を美しく見せてくれるドレスを選ぶセンスに優れている。
ユーリが持ってきたドレスが自分のような成熟した女性には似合わない物だと直ぐに見抜いたが、デビューしたての令嬢に相応しいドレスだと認めた。
その優れた心美観に2枚のドレスは訴えかける魅力を持っている。
「その2枚のドレスはフォン・フォレストのマダム・フォンテーヌに作って貰った物ですわ。祖母はいつもセンスの良いドレスを作ってくれるのです」
「まぁ、マダム・フォンテーヌですって! 私が社交界にデビューした頃に一世を風靡したマダムだわ。とてもシックでセクシーで、私もマダム・フォンテーヌにドレスを作って欲しいと願ったものですわ。でも、デビュタント用のドレスは作らないという噂で諦めましたのよ。夫と結婚してミセスになったので、やっとドレスを作って貰えると喜んでましたのに引退してしまって、あれほど失望したことはなかったわ」
そう言うとセリーナは2枚のドレスを改めて見なおして、深い溜め息をついた。
「ユーリ嬢、マダム・フォンテーヌに紹介して頂けないかしら。この芸術作品のデビュタント用ドレスを見るだけで、独特のセンスが健在だとわかるわ」
大使夫人に一生のお願いだと懇願されて、ユーリはお祖母様に頼んでみますと約束した。
ユーリに絶対ね! と念を押して、他のドレスにも目を向けた大使夫人は、全てが素晴らしい縫製とデビューしたての令嬢に相応しい優れた品だと認める。
「他のドレスも素晴らしいですわ。特に、この3枚はシンプルに見えるけど、着た人を引き立てる優れたデザインですね。後の1枚は伝統的なデビュタント用ドレスね。縫製も優れてますし、真珠のボタンが素敵ですわ。これはマダム・ルシアンの作品ではなくて? 後の3枚はどなたのでしょう」
ドレスを見ただけで作ったマダムを言い当てた大使夫人にユーリは驚く。
「よくおわかりですわ。この4枚のドレスと、昼のドレスは全てマダム・ルシアンに作って貰ったのです。マダム・ルシアンはマダム・フォンテーヌのお弟子さんだったそうですよ。無茶を言って急がせたら、制服は師匠のマダム・フォンテーヌにお願いして下さいと懇願されました」
大使夫人はユーリが着ている見習い竜騎士の略礼服が、とても小粋でストイックなのにセクシーだと見た時から感心していたので、憧れのマダム・フォンテーヌの作品と聞いて納得した。
そして、急いでドレスを作ったマダム・ルシアンにも感嘆を隠せなかった。
「マダム・ルシアンがマダム・フォンテーヌのお弟子さんだなんて、知りませんでしたわ。マダムのドレスは私にはロマンチック過ぎて遠慮していましたが、3枚のドレスのデザインはとても素敵で、マダム・フォンテーヌのお弟子さんと聞いて納得しましたわ。この手のドレスが作れるなら、今度ユングフラウに行った時に作って貰おうかしら」
ユーリはマダム・ルシアンがマウリッツ公爵夫人達のロマンチック路線のドレスを作っているので、自分と同じ誤解をしている人達が多いと気の毒に思った。
「マダム・ルシアンはとても親切な方ですわ。今回も無理を言ったのに、きちんと間に合わせてくれました。是非、お勧めします」
セリーナは急いで作ったと言われた3枚のドレスの縫製が丁寧で仕上げも見事なのをチェックして、今度頼んでみようと決める。
「あら、脱線してましたわね。貴女のドレスが素敵だからいけないのよ。マダム・フォンテーヌの真珠の地模様のドレスとレース地のドレスは裾を指にはめて踊ると素敵ですから、舞踏会用ですわね。後、ロマンチック路線のドレスは舞踏会にも晩餐会でも、特に年齢層が高い会では好印象でしょう。今でもデビュタントはこのようなロマンチックなドレスを着るべきだと考える老婦人は大勢いらっしゃるから」
大使夫人は後から作った3枚のドレスをじっくりと見て、今夜の晩餐会に着ていくドレスを選び出す。
「今夜の歓迎の晩餐会には、このドレスを着て行くといいわ。このドレスは立ち姿も後ろのトレースが素敵ですし、晩餐会で座っても襟のカットとフリルのバランスが絶妙だわ。きっと、このドレスは着た方が素敵だと思いますわ」
大使夫人は前もって決まっている公式の晩餐会と舞踏会に着るドレススケジュールを決定した。
「後は、非公式なパーティーと昼食会、お茶会、園遊会……ああ、それはまた考えましょう」
大使夫人の言葉にユーリは考えただけで、頭がクラクラしてくる。
「そんなに、パーティーがあるのですか? 私は社交界が苦手なのに、どうしましょう」
ユーリの社交界にデビューした令嬢とは思えない言葉に、セリーナは王妃様から社交界の常識に欠けているので、殿様と無防備に二人きりになったりしないようにと厳命を受けていたのも思い出す。
セリーナは、こんなに魅力を最大限に生かすドレスを着た美しいデビュタントの後見人なんて大変だと気を引き締める。
「ユーリ嬢、貴女はイルバニア王国を代表する特使随行なのですから、殿様とのスキャンダルは厳禁です。くれぐれも、二人きりで会ったりしないようにして下さい。紳士だと信用してはいけませんよ。それと、外出する時は私の許可を取ってからにして下さい」
華やかな衣装に囲まれた部屋で、大使夫人に年頃の令嬢の心得を言い聞かされていたユーリを侍女が王宮に行く時間だと呼びにきた。
セリーナはユーリに心得を言い聞かせていると自分が老婦人になった気分になりウンザリしていたので、どちらが侍女の登場にホッとしたのかわからなかった。
「そろそろ、御一行の馬車が王宮に着く頃です」
クレスト大使とユーリとフランツは、特使一行と王宮で合流して国王に着任の挨拶をする段取りになっていたので、馬車で王宮へ向かう。
「港からニューパロマまで、馬車だと2時間以上かかるのですね」
「そうね、港からかなり内陸にニューパロマはあるのね」
フランツとユーリが何故馬車で向かったのか不思議に思っているのを大使には察して、少し見習い竜騎士の二人に教えておこうと思った。
「君達は外交というのが、わかっていないようだね。隣国の皇太子殿下が、どのような方なのか知る為にわざわざ馬車で移動したのですよ。グレゴリウス皇太子とエドアルド皇太子は同世代であられるから、将来の隣国の王を知る事は貴重です」
へぇ~と二人が感心しているのを見て、クレスト大使は少し注意を与える。
「君達も、見習い竜騎士とはいえ特使随行なのですから、少し考えて言動しなさい。ニューパロマは旧帝国時代から学術の都で、カザリア王国の国民気質は議論好きです。帝国再建派も活発に議論をふっかけてきますから、下手に議論に乗ったりしてはいけませんよ。先日も、議論から口論になり、決闘騒ぎになって、若い貴族がかなりの負傷を負いました。カザリア王国に滞在中に、決闘騒ぎなんてごめんですからね」
クレスト大使の言葉にユーリとフランツは神妙に頷いた。
イルバニア王国にも旧帝国再建派はいたが、ローラン王国とは終戦したとはいえ、ゲオルク国王を旗印にした一派は日陰でこそこそ活動しているだけだ。
しかし、カザリア王国でおおっぴらに活動していると聞いて、二国の同盟締結にも妨害工作を仕掛けてくるのではと不安になる。
「ユーリ嬢は議論に巻き込まれる心配はないが、フランツ君は若い外国の貴族には議論をふっかける輩も多いですから、気をつけなさい」
ユーリは大使の言葉の意味が良くわからず質問する。
「何故、私は議論に巻き込まれないのですか? カザリア王国は女性も教養のある方が好まれると習いましたけど」
大使はユーリが鏡で自分の姿を見ないのかと溜め息をつく。
「カザリア王国の男性は美しい令嬢に議論をふっかけたりしません。確かに、彼らは教養のある貴婦人も好きで尊敬しますし、サロンで議論を戦わせて楽しみます。しかし、学問好きの男性によくある事ですが、決闘騒ぎをおこしたり、ロマンチックな幻想も持ちやすく、貴女のような風貌の令嬢には過剰な騎士道精神を発揮するでしょう」
勿論、ユーリも旧帝国再建派に議論なんかふっかけられたくは無かった。
「私は砂糖菓子しか食べないと言う令嬢に見えるのですね」
ユーリの不服は、大使にもフランツにも受け入れられなかった。
そうこうするうちに馬車は王宮に着き、程なくして特使一行も到着する。
グレゴリウス皇太子は特使着任の挨拶をカザリア王国のヘンリー国王にした。
国王から滞在を認められて、本格的な同盟締結への一歩を踏み出す。
王宮には、隣国の皇太子の特使一行を歓迎、観察しようと、かなりの貴族達や重臣や官僚が集まっていた。
形式に則った着任の挨拶の間は、隣国の年若い皇太子に注目が集まっていたが、儀式が終わると自然と女性見習い竜騎士のユーリに視線が集中した。
「クレスト大使、特使随行の見習い竜騎士の方々を紹介して下さい。他の外交官の方々とは以前から顔見知りですが、見習い竜騎士の二人は初めてですから」
縁談を申し込んでいるのに、素知らぬ顔で紹介を頼む国王へ、大使はユーリとフランツを紹介する。
「国王陛下、こちらが見習い竜騎士のユーリ・フォン・フォレスト嬢と、同じく見習い竜騎士のフランツ・フォン・マウリッツ卿です」
二人は国王に挨拶して、お言葉を待った。
国王は身近でユーリを見て、見習い竜騎士とは思えない可憐な姿に驚く。
事前にユーリの肖像画がイルバニア王国から送られていたが、見合いの肖像画だから可憐に描かしたのだろうと疑っていたのだ。
何故なら、カザリア王国の女性竜騎士は、建国当時に武勇伝が残っている一人だけだったからだ。
そのイメージで女性の見習い竜騎士であるユーリも男勝りの武術の達人だと思い込んでいた。
「貴女が見習い竜騎士のユーリ嬢なのですね。君は、ユージーン・フォン・マウリッツ卿の弟ですか、二人ともカザリア滞在を楽しんで下さい」
流石に国王陛下は驚きを隠して、ユーリとフランツに歓迎の言葉をかけたが、グレゴリウスがユーリにぞっこんだとの噂は本当であろうと確信する。
そして、我が子のエドアルドもユーリに夢中になると確信して、若い二人の皇太子が騒動を引き起こさなければ良いがと案じた。
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