10話 ハインリッヒ
ユーリがイリスと絆を結んだことは、モガーナが想像していたより早くひろがった。夕方には、話を聞きつけてハインリッヒがキリエと飛んで来た。
ハインリッヒは自分の騎竜キリエが子竜のイリスに会いに来させたと聞いて、平身低頭モガーナに謝った。しかし当然ながら、怒れるフォン・フォレストの魔女の矢面に立って、無事ですまされる訳がなかった。
「あれほどお願いいたしましたのに、信じられませんわ。まさか、信頼している従兄の貴方に裏切られるとは。年老いた私に唯一残された孫娘を、竜に売り渡したのですね。酷過ぎますわ!」
年老いたとは思ってもいないモガーナの恨み言に、ハインリッヒは困惑する。
「そんな、貴女ほど麗しい貴婦人が何をおっしゃるやら。こんな風になって申し訳ないと思っておりますが、貴女を裏切るなんて微塵も考えておりません」
二人の昔馴染みの口争いとは無関係と言わんばかりのキリエとイリスは、祝福ムードに浸っていた。
『ユーリと巡り会えて、一目で絆の相手だとわかった。絆を結んで、凄く幸せだ!』
『イリス、おめでとう! 本当に幸せそうで、私も嬉しいよ』
イリスの高揚感に、昔、ハインリッヒと絆を結んだ時の幸福感がキリエにも蘇る。
ひとしきり文句を言い尽くしたモガーナは、精神的疲労でぐったりしているハインリッヒをあれこれ質問攻めにする。マキシウスと一時結婚していたが、竜や竜騎士については二人の諍いの種でしかなかったので、モガーナは詳しくは知らなかった。
ウィリアムが10才で竜騎士の学校へ入学した時も、モガーナは猛反対していたので家出に近い状態だった。そして、ウィリアムの勝手な行動に腹を立てていたモガーナは、リューデンハイムに関してマキシウスに任せっきりだったのだ。
今なら10才の竜騎士を父に持つ男の子が、竜騎士に憧れてリューデンハイムに入学したいと思うのが理解できる。しかし、その同時のモガーナは、破綻した結婚の元凶の竜に憧れる息子が許せなかった。
『ウィリアムには可哀想なことをしたわ。夫婦喧嘩の八つ当たりをしてしまったのね。竜騎士になりたいと言うウィリアムが、自分を捨ててマキシウスを選ぶのだと、裏切られた気持ちがしたのよ』
亡くなった一人息子を思い出し、モガーナはあの頃の自分が母親として未熟だったと反省する。しかし、モガーナはやはり竜には手厳しく、騙し討ちのように絆を結んだイリスには腹立たしさを感じる。
継承権を持つのをあれほど拒否し、竜騎士になるのを嫌がっていたユーリが、抗いようもなくイリスの竜騎士になってしまったのには同情し心配している。その上、モガーナは肝心な時に自分が不在だった事や、抗う力の教育不足に保護者としての責任を感じていた。
イリスと絆を結んだ以上、ユーリはいずれ首都のユングフラウに行かざるをえないが、少しでも長くフォン・フォレストで自分の保護下に置いておきたかった。
「ハインリッヒ様、確か竜騎士の学校リューデンハイムは10才からの入学でしたわね。まだ、ユーリは9才になったばかりですし、女の子ですから、今しばらくはフォン・フォレストで勉強させても良いと思いますの、いかがかしら」
ハインリッヒはそれは竜騎士になりたい子どもが10才から入学を許可されるという事であり、ユーリは既にイリスと絆を結んだ竜騎士なのだから、即入学すべきだと言う言葉を飲み込んだ。
「さぁ、如何でしょう。ユーリは既に絆の竜騎士なのですから、それに相応しい行動をするよう求められると思いますが」
モガーナは元外交官だったハインリッヒの柔らかな言葉の裏を理解して、悄然とした。
「でも、あの子は幼い女の子なのですよ。リューゼンハイムに、女の子は居るのですか? それに婦人の教師は? 女の子の教育は殿方には無理でしてよ」
モガーナが孫娘を心配している気持ちは理解できたが、ハインリッヒは引退している身なので、現在のリューデンハイムの状況はあまり詳しくなく、役にはたてなかった。
「私がユングフラウにいたのは8年以上も前のことですから……でも、リューデンハイムは、イリスと絆を結んだ竜騎士のユーリを悪いようにはしませんよ」
リューデンハイムに入学するための必須条件、竜騎士になる素質を持つ子どもは稀だ。毎年、十数人が全国から入学を許されるが、その中で見習い竜騎士になれるほどの素質を持つ子どもは数人しかいない。そして、竜騎士になるのは年に一人か二人という状況で、既に絆を結んだ竜騎士のユーリをリューデンハイムが見逃す訳がなかった。
モガーナはハインリッヒと話し合って、リューデンハイムに入学してから必要になる物や、入学するまでに身に付けておいた方が良い事を調べる。
「ユングフラウに行くとなると、ユーリの後見人が必要ですわね。私が付いて行ければ宜しいのですが、領地を任せられる人もいませんし、ユングフラウは嫌いですの。ああ、あんな魑魅魍魎が跋扈するユングフラウに、ユーリのような幼い女の子が一人で行くなんて」
ユングフラウの魑魅魍魎ですら、フォン・フォレストの魔女を怖がるだろうとは、口が裂けても言えないハインリッヒだ。
「モガーナ様、心配なさらなくても、マキシウス卿が面倒みますよ。彼はユーリ嬢の祖父なのですから」
「マキシウス! 竜馬鹿なあの方にイリスの面倒なら安心して任せられましてよ。でも、女の子の世話なんて無理に決まってますわ。誰か信用できる御婦人をユーリの後見人に付けなくてはいけませんわ」
家庭教師を頼む程度の信頼が持てる知り合いはいても、継承権を持つ孫娘を預けるまでの信頼がおける貴婦人はなかなかモガーナも思い浮かばなかった。
「マキシウス卿の妹君のサザーランド老公爵夫人は如何ですか? あのご婦人なら後見人を引き受けて下さるでしょう。ウィリアム卿を可愛がっておられましたし」
モガーナは義理の妹のシャルロットを思い出した。
「ハインリッヒ様、シャルロット様は駄目ですわ。娘のマリアンヌ様がマウリッツ公爵に嫁いでいらっしゃるのですのよ。マウリッツ公爵家はロザリモンド姫を盗み出したウィリアムを許していませんもの。マリアンヌ様やシャルロット様を板挟みの立場にしてしまいます」
ハインリッヒはウィリアム卿がロザリモンド姫と出会ったのも、シャルロット公爵夫人が娘のマリアンヌ嬢をマウリッツ公爵家との縁談の園遊会に同行したからだと思い出した。
「まだ、マウリッツ老公爵は駆け落ちをお怒りなのですか……ウィリアム卿もロザリモンド姫も亡くなられたのに。本当なら、マウリッツ公爵夫人であるマリアンヌ様に後見人になって頂ければ宜しいのですが……」
イルバニア王国の筆頭公爵家であるマウリッツ公爵家の血をユーリは引いているし、その公爵夫人はマキシウスの姪なのだから、これ以上の後見人は望めない。
しかし、モガーナは駆け落ちの時にマウリッツ老公爵と激しい言い争いをしたのを思い出して首を横に振る。
「老公爵が生きておられる限り、マリアンヌ様は当てにはできませんわ。それにシャルロット様も、ご子息のサザーランド公爵にメルローズ王女が降嫁されているので、ユーリの後見人どころでは無いでしょう」
モガーナとハインリッヒはユーリの後見人として、本来は立派な親戚の貴婦人がいるにも関わらず、駆け落ちをマウリッツ老公爵が許してないので頼れない状態だと溜め息をつく。
「ユングフラウでの、ユーリの後見人を見つけなくては……」
ハインリッヒの甥は独身だし、二人でユングフラウに在住する親戚の貴婦人を思い出しては思案に耽る。
モガーナの悩みも知らず、ユーリはイリスとまったりと過ごしていた。サロンのテラスでイリスにもたれかかって、ユーリは竜について全く知らないので質問していた。
『竜はみんな竜騎士と絆を結ぶの?』
ユーリと絆を結べた幸福感にいっぱいのイリスは、とんでもない! とムクッと立ち上がったので、よりかかっていたユーリはバランスを崩しかけた。
『竜が絆を結ぶ竜騎士を見つけるのは至難の業なんだよ。一生をかけて、絆を結ぶ竜騎士を探すんだ。でも、見つけられずに失意のまま命を絶つ竜もいるんだよ。私はユーリを見つけ出し、絆を結べた! 竜にとって、こんなに幸せな事はない!』
イリスは急に立ってごめんと、謝って座りなおした。ユーリはイリスに寄りかかりなおして、イリスが絆を結んだ時に言っていた言葉を思い出した。
『前にお祖母様から、竜は長く生きると聞いたわ。私はまだ9才だけど、竜ほど長く生きないと思うの。イリスは私と共に生きて共に死ぬと誓ったけど、無理じゃないかな?』
イリスはユーリが全く竜について無知なのに気づいた。
『ユーリ、竜が絆を結ぶということが理解できてないね。竜は長く生きるが、生きる目的は絆を結ぶ竜騎士を探す事。パートナーの竜騎士を乗せて飛ぶ事もあるけど、人間は竜ほど長く生きないから、次々と乗せる竜騎士は変わるんだ。何だか虚しくなるんだよ』
ユーリはパートナーの竜騎士と、絆の竜騎士の違いがよくわからない。
『パートナーでも竜に乗れるなら、絆を結ばないでも良いんじゃないの? パートナーの竜騎士も竜と話せるのでしょう? 絆を結ぶメリットは竜にあるの?』
『竜騎士と絆を結ぶと、竜は絆の竜騎士と同じ時間を過ごすようになる。キリエはハインリッヒと絆を結び、同じ時間を過ごしている。ハインリッヒが年をとるにつれ、キリエも同じように年をとり始めた。ハインリッヒが死ぬ時、キリエも死ぬ』
イリスの言葉はユーリに衝撃を与えた。
『じゃあ、イリスは私が年をとるにつれ、年とるの? 私が死ぬと、イリスも死ぬの? 竜は長く生きれるのでしょ? 絆のせいで年とったり、死ぬなら、絆を結ばない方が良いじゃない』
イリスは損得の問題ではなく、竜という生き物がそうしたものなのだとユーリに説明した。
『私はユーリと絆を結んで、とても幸せだ。それに騎竜にならないと、子竜がもてないじゃないか。キリエもハインリッヒと絆を結んで騎竜になれたから、私を産んだんだ』
ユーリは子竜は見たいと思ったが、それでも竜には絆を結ぶのは損に感じる。
『損得の問題じゃないよ。私にはユーリと共に人生をおくる事以外に大切なものはない。ユーリは私と絆を結んで幸せだと感じないか?』
ユーリも竜騎士になるのは、未だに腰がひけているが、イリスとの絆は絶対に手放せないと感じていた。
『私はイリスが好きだからこそ、長生きして欲しいの。私のせいでイリスが年とったり、死ぬのは嫌なのよ』
『ユーリのいない世界で、私独りきりで生きても、悲しいだけだよ』
まるで恋人から熱烈な睦言を言われてるみたいで、前世でもそんな経験のないユーリは、困惑しながらも、竜と竜騎士が絆を結ぶという意味が少し理解できた。
新米竜騎士と絆を結んだばかりの騎竜が、お互いの絆をより強くしていく過程は、端から見ると、新婚のカップルがいちゃいゃしているのに似ている。
こうして、ユーリとイリスが絆を結んだ初日の夜は甘く過ぎていった。
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