4話 両親の死

 ウィリーの怪我は内臓まで達していた。本当なら北の砦から動かすのは無理な状態だったが、どうしても家族と一目会いたいという望みを叶えてやろうと家に連れて帰ったのだ。


 医師も手の施しようのない瀕死のウィリーを、先年ユングフラウを揺るがした駆け落ちの相手と、二人っきりで過ごさせてやろうとソッと席を外していた。


「お願い! ウィリー、目を開けて!」


 何もできないが、医師はローラの悲鳴に寝室に駆け込んだ。マキシウスもローラの叫び声で寝室に駆け込み、ユーリもそれに続いた。


「ユーリ……愛してる……お母さんを頼むよ……ローラ……ローラ……愛してる……私を許してくれ……」


「ウィリー! 嫌よ!」


 医師の悲しそうに首を振るのを拒否して、ローラはベッドの上のウィリーにすがりつく。


「奥様、そんなに興奮されてはお身体に障ります……」


 ユーリは医師の言葉でベッドに顔を伏せて泣いていたが、ハッとママが弱っていたのを思い出す。


「ママ! ママ! 大丈夫?」


 医師は顔色を変えて、倒れたローラをウィリーの横に抱き上げた。


「ママ! 大丈夫なの?」


 真っ青な顔のママに驚いて、すがりつこうとしたユーリをマキシウスは抱き上げる。居間に連れて行かれながら、ベッドの上のママに付いていたいと暴れた。


「ユーリ! 医師の邪魔をしてはいけない!」


 居間から寝室に駆け戻ろうとするユーリの両肩に手を置いて、マキシウスは真剣な顔で言い聞かせた。




 パパが亡くなった後の事は、ユーリには、全てが膜を張ったまま眺めているように現実感のないものだった。パパの死に衝撃を受けたママが流産し、医者の必死の手当てでも助けられなかった。


「お母様の手を握っておあげ」


 医師に呼び寄せられて、寝室に入り、ベッドの上の意識のないママの冷たい手を取った。


「ママ、しっかりして……」


 ユーリが握っていた手が力なく崩れ落ちた事も、現実味を持てなかった。


 棺桶に横たわる両親に、そっと花をそなえながらも、これらは全て悪い夢ではないか、目が覚めればいつもの両親が自分に笑いかけてくれるのではないかと、ユーリは内心で目を覚まさなければとあがいていた。


 現実ではない世界を、弔いに集まった人達に推し進められて、ふわふわと足が宙に浮いたまま時間が過ぎ、二人の棺を家から運び出す時になって、このままでは夢から覚めても元に戻れないと、ユーリは棺にすがりついて「駄目! パパとママを運び出さないで!」と泣いた。


「ウィリアムは馬鹿な子だわ! 自分で大事なお姫様まで殺してしまうなんて」


 棺に顔をうずめて泣いていたユーリは、父親への暴言を吐いたのは誰だと睨みつけた。黒い服を着た見知らぬ貴婦人が、涙をハンカチで拭いながら、ユーリに近づくと、細身とは思えない力でガシッと棺から引き離して立たし「しっかりしなさい!」と背中を力いっぱい叩いた。


「ユーリ、私は祖母のモガーナ。こんな時に会いたくなかったわね。ウィリアムは自分の死で、ロザリモンド姫を悲しみに突き落として、死なせてしまったのよ。馬鹿な子だわ! そして、あなたを独りにするなんて親失格だわ」


 泣きながら我が子の悪口を言っている祖母に、バシッと喝を入れられて、両親が死んでからユーリを包んでいた膜がパンとはじけた。 


 初めて会う祖母にぎゅっと抱きしめられたままユーリは「パパとママが死んでしまった!」これは現実なんだと、激しく泣き出した。


 ひとしきりユーリを泣かせると、顔をハンカチで拭きながら、モガーナはゆっくり言い聞かせた。


「ユーリ、ウィリアムとロザリモンド姫は、子どものあなたにも引き留められない強い絆で結ばれていたのです。そして、その絆のせいで姫様は亡くなってしまった。死も二人を引き離せなかったのね。二人を安らかな世界に見送ってあげなければいけないわ」


 ユーリも二人の絆の強さは感じていたし、ママがパパを追いかけるように亡くなったのは、悲しみからだと理解したが、やはり悲しくて涙が止まらなかった。


 泣きながら、祖母に支えられて二人を町の墓地に弔った。


 墓地には、近所の人達が大勢参列してくれていたが、両親を亡くしたユーリにかける言葉がなかった。シャープ牧師の心のこもった弔いの言葉も、涙がこみ上げて祖母に支えられて立っているのが精一杯で、ユーリの心には届かなかった。


 葬式を済ませて家に帰り、がらんとした家を見渡して、改めて両親の死を実感したユーリは泣き崩れる。 


『ユーリ、そんなに泣くな! ウィリーもローラも、此処で幸せだったのだから』


 慰めるシルバーに抱きついて、ユーリは泣き続け、そのまま気を失うように寝った。


「マキシウス、ユーリをベッドに運んで下さい。この子は昨日から寝てないのでしょう、あなたが付いていながらまったく! 竜の世話ができる貴方ですもの、両親を亡くした幼い孫の面倒ぐらい、ちゃんと出来るものだと思いますけど! 少しは、食事とかさせたのでしょうね」


 近所の主婦達が持ってきた料理の数々が、小さな台所に所狭しと置いてあったが、手をつけた様子が無いのを見て、モガーナは貴婦人らしくなくチッと舌うちした。小さな子ども用ベッドに寝ているユーリを祖父母は見下ろして、改めて自分たちの子どもウィリアムの死を悲しんだ。


「こんな幼い子どもを残して死ぬだなんて馬鹿ですよ! 戦争になど行って死ぬなんて。ロザリモンド姫と逃げ出した時点で、竜騎士とは縁を切ったはずなのに!」


 気丈に振る舞いながらも、一人息子の死に涙ぐむモガーナに、マキシウスはウィリアムの弁護にまわった。


「国を守る誓いを一度たてたら、破れないのだよ。ローラン王国を撃退して、国を守ったのだから、ウィリアムも立派に務めをはたしたのだ」


 マキシウスの慰めは、悲しむ母親の怒りに火をつけた。


「立派に務めを果たしたですって! 戦死して、姫様まで悲しみに突き落として、死なせてしまったのにですか? 大体、貴方がウィリアムを竜騎士にならそうとするから、こんな事になったんじゃありませんか」


 きつく反撃されて、撃沈されたマキシウスの憮然とした様子に、モガーナは苛ついた。


『これだから殿方なんか当てにできないのよ。ちょっとつつくと直ぐ落ち込むのですもの。図体の大きな人に拗ねられても可愛くなくてよ』


 モガーナはマキシウスがお腹がすいてるのかもと考えた。男なんて食べ物を与えないと駄目な生き物という持論を思い出し、二人は台所の料理をテーブルで少しつつきながら、これからのユーリについて話しあった。


「ユーリは私が育てますわ。貴方には、国を守るというご立派なお仕事がありますでしょう。それに、幼い女の子の世話は殿方には無理ですわ」


 マキシウスも終戦したとはいえ、国境を守る任務についているので、ユーリをすぐさま引き取って育てるのは無理だった。しかし、自分にとっても唯一の孫を、易々とモガーナに引き渡す気にはならなかった。


「確かに、今は貴女にお預けするしかないだろう。しかし、この子は私の血を受け継いでいるのですよ。ユーリは動物と話せるのです。竜騎士になる素質を持っているのですよ!」


 面倒な事になったと、モガーナは眉をしかめた。ユーリのベッドの下に寝ているシルバーを見て、あの子とシルバーが話しているのを聞いたのだと内心で毒づく。


『マキシウスは竜騎士になる素質を持った孫を諦める事はないだろう。ウィリアムを諦めなかったように!』


 モガーナは長い戦いになるだろうと覚悟を決めた。


 モガーナはウィリアムがロザリモンド姫と駆け落ちしたと聞いた時には、驚き怒りもした。しかし、地道な生活をおくる二人の様子を知って、それも良いかもしれないと考えるようになった。二人が権力や富に背を向けて、平凡で貧しくても愛情に満ちた人生をおくる選択したのだと納得していた。


 しかし、ウィリアムは逃げ出した竜騎士の世界に引き戻され戦死した。幸せにすると誓った姫君への約束よりも、国を守るという騎士の誓いの方が強かったのか、それとも家族を守る男として戦死したのか、それはモガーナにもわからなかったが、孫のユーリを二人が捨てた世界に近づけたくなかった。


「貴方にユーリは渡しませんわ。ウィリアムもロザリモンド姫も、娘を竜騎士にさせたいと思ってなかったでしょう。第一、貴方はウィリアムの正式な父親と国が認めていないのですから、権利はありませんわ」


 モガーナとマキシウスの結婚は国王の承認を得ないものであり、最終的には別れてしまったが、二人の間に生まれたウィリアムはモガーナのフォン・フォレストの名前をついでいた。グサリと痛い所を突かれたマキシウスは、モガーナが無視したがっている事実を突きつけた。


「貴女がユーリを田舎で平穏に育てたいといくら望んでも、彼女にはロザリモンド姫の血も流れているのです。彼女は国王の姪なのですよ。そして、いくら貴女がユーリを隠しても何時かは利用しようとする者に見つかってしまう。彼女は自分を守る方法を身に付ける必要があります」


「ご親切に心配して頂き、ありがとうございます。そんな事ぐらい貴方に教えて頂かなくても、わかっていますわ。竜騎士にならなくても、身を守る手段はいくらでもありましてよ」


「私はウィリアムを認知している! だからユーリの正式な後見人になる資格が有るのだ!」


「まぁ、マキシウス! 幼いユーリに食事もさせなかった貴方に、世話などできませんわ! 竜馬鹿に孫娘を渡しませんわ」


 二人の舌戦が最高潮に達しようとしていた時、おずおずと見知らぬ男二人が入ってきた。


「あのう、ノックしたですが返事がなかったもんで……私は近所に住んでるジョン・ウォルターってもんです。ウィリーとは一緒に北の砦に行ったんですが、とんだことになっちまって……こいつは弟のハック。弟を庇ってウィリーが怪我をして心配していたのですが……家に帰ったと、北の砦では聞いていたのです。まさか、亡くなっていただなんて……戦争も終わったし、ハックも怪我で除隊になるっんで一緒に家に帰ったら、ウィリーが亡くなったと聞いて……すごく驚いて、なんて言ったらいいのかわからないけど、お悔やみを言いに行かなきゃと思って……」


 朴訥と話すジョンと、松葉杖をついて涙をこぼしているハックに、椅子を勧めて、ウィリアムの此処での生活や、砦での様子を聞いた。二人は遅くまでお邪魔しましたと謝りながら帰り際に、ユーリはこれからどうなるのか心配そうに尋ねた。


「私がユーリを引き取って育てますわ」


「お祖母様に育てられるなら安心です。家の子ども達とユーリは友だちなんで、心配してたんです」


 ジョンは祖母だという若く見える美しい貴婦人のモガーナの言葉に頷きながらも、今まで隣人として知っていたウィリーとローラが遠い人に思え、少し寂しく思った。ユーリを愛してやって下さいと、貴婦人と竜騎士に、勇気を振り絞ってお願いすると帰っていった。


「ウィリアムは、本当にここで幸せに暮らしていたのですね。隣人にも恵まれて……竜騎士の貴方に意見するほど、ユーリを心配してくれる隣人がいるのですもの」


 しんみりと涙ぐむモガーナを黙って見つめながら、いや貴女に意見して無事な人を見たのは初めてだとマキシウスは驚いていた。昔、愛したが長続きしなかった結婚相手の毒舌を身に染みてるだけに口には絶対しないで、心の中で反論するだけに留めておいた。

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