3話 うちの家族はどこか変なのか?

 シルバーに馬鹿にされないよう、寝返り、ハイハイとユーリは順調に育っていった。バタバタバタバタと凄い勢いで開いたドアに突進し、あと少しで脱出成功と思いきや、ユーリの進路に銀色の巨大な狼が立ちふさがる。


『どいて! シルバー』


 今朝、ユーリは朝ご飯のドロドロしたお粥もどきを食べさせて貰ってるうちに、急に睡魔におそわれて船を漕ぎ出した。ローラはお粥をもぐもぐしながら、眠さにユラユラ揺れてるユーリを、なんて愛しいんでしょうと抱き上げて、赤ちゃんベッドにそっと寝かした。


 赤ん坊が寝ている間にさっさと家事を片付けて、お外でいっぱい遊んであげましょうと、ローラは猛烈な勢いで皿を洗った。


 親の気持ちも知らず、赤ちゃんベッドに寝かされた途端に目がさめたユーリは、チャンスとばかりにベッドからの脱出を試みた。元々、小さな家の狭い寝室は両親のベッドでいっぱいだから、使わない時はベッドの下に収納できるような低い赤ちゃんベッドだったのがユーリにはラッキーだ。


 それでもベッドの縁を越えるのは慎重にしなければと、うつ伏せになって足をベッドの外に出してみたが、足は床に届かなかった。後ろハイハイの要領で、と言っても足はベッドの外でぶらぶらしてるのだが、腕で匍匐後進したら足が床に届いた。


 やった! と思う間も無くお尻から床に仰向けに落ちた。こんなチャンスに泣き声をあげてサークルの中に入れられるのはごめんだと、可能な限り静かにハイハイして、家事に集中しているローラの後ろを通り過ぎ、開いてるドアに猛ダッシュした。


『どいてよ! シルバー』あと少しで外なのに、ドアを巨大な狼がふさいでる。


 ユーリはシルバーとドアの隙間を目指して突進するが、あった筈の隙間はシルバーの銀色の毛皮にふさがれてしまう。少し後退してまた隙間に突進を繰りかえしてるのを、いくら家事に熱中してるからといってもローラが気づかないわけがない。


「ユーリ!」


 後ろから抱き上げられて、いけない子でちゅねーとほっぺたスリスリされて、容赦なくサークルに入れられた。


「いやだぁ~!」ローラは愛しい我が子の泣き声に耐えて、皿洗いに戻った。


「二度とユーリを危険な目にあわせないわ」


 サークルがくる前に、家事をしていたママの目を盗んでユーリは庭にハイハイして脱走したのだ。


 居間で遊んでいたはずのユーリがいないことに気づいたローラは、庭を横切っている小川に向かってハイハイしているのを見つけて失神しそうになった。


 しかし、ここで失神などしている場合ではないと、日頃のお淑やかさをかなぐり捨てスカートの裾を翻すと小川を覗き込もうとしていたユーリを抱き上げた。


 夕方、畑仕事から帰ってきたウィリーは、床に座ったままユーリを抱きしめて泣いているローラから事情を聞き出した。


「この子を失ってしまうところだったの。私が目を離したせいで、小川に落ちて死んでいたかもしれないわ」


 泣きじゃくるローラを抱き締めて、ウィリーは何か手を打たなくてはいけないと考えた。


「ここらの主婦は、どうやって子育てしているんだろう?」


 農家では子守を雇う余裕などなかった。


「上の姉妹が子育てを手伝っているのかしら? でも、家にはいないわ」


 二人で悩んでいると、隣家のベテラン主婦のアメリアがお裾分けを持って訪ねてきた。


「ああ、それならサークルを持ってきてあげるよ。家事をしている間は、サークルの中に入れておくんだよ! 危ないからね」


 子育てを終えたアメリアからサークルを貰って、ローラはユーリが泣いても家事をしている間は中から出さなかった。


 今も抗議の泣き声を無視しようと、少し強張ったローラの後ろ姿を眺めていたシルバーは良い事を思いつく。


『ユーリ、お前はこの檻から出たいんだろ。俺の言う事を聞くと約束するなら、ここから出してやる』


 聞いては貰えない泣き声をあげてたユーリは、シルバーの声に泣くのをやめた。


 愛しい子の泣き声がやんだのに振り返ったローラは、サークル越しに狼が赤ん坊に説教してるように見える姿にクスリと笑った。


 小さな居間の片隅に置かれた木製のサークルの中に、ちょこんと座ったユーリが狼の唸り声に頷いている。その可愛い様子に胸がキュンと締め付けられるローラだったが、もしかしたらこの子はシルバーと話してるかと疑問を持った。


 他の人には絶対に知られてはならないが、ウィリーは動物と話せる。特に、シルバーとは相性が良く、一緒に狩りに行く。


『ウィリーの子なら……いえ……私の子でも……』


 不安を感じながら家事を終えたローラは、外でユーリとシルバーの追っかけっこを見て爆笑するうちに、気のせいだったと安堵した。


 揺れてる銀色の尻尾! ほら、これをつかんでごらん! と言わんばかりにユラユラしてる尻尾に、そおっと近づいてぱっとつかもうとした途端にスルリと逃げていく。


 ハイハイの猛ダッシュで追いかけると、悠然と座ったシルバーは、またパタパタと尻尾を振っている。


 相手にしなければいいんだ! ユーリはこんな馬鹿らしい事をしないぞと何度目かの決意をするが、シルバーがもう諦めたと油断して寝そべってると思った瞬間、ハイハイ猛ダッシュして尻尾をつかんだと思いきや空振りをするという行為を繰り返しをしていた。


 夏の午前中とはいえ、草の上で猛ダッシュを繰り返すユーリのほっぺたは少し上気して、クルクルと収まりのつかない金髪は汗にぬれていた。


「少し休憩にしましょう。シルバーの尻尾は逃げませんよ」


 風除けの木の下で、サワサワと木の葉の揺れる音を聞きながら、スプーンでリンゴの絞り汁を堪能していたユーリは、ローラがスプーンを止めたのに不満を持ち絞り汁を要求した。


「あら、ごめんなちゃいね。もっとでちゅか?」


 何時ものママにかえった? ローラにリンゴの絞り汁を飲ませて貰いながら、先ほどのママは何か変だったとユーリは気になった。


 前にも……前にもママが心ここにあらずといった風情の時があった。何時、何処で、どういう状態の時だったんだろう。そう、何時も外でだ!


 ふとした瞬間に、風の音に耳を傾けるような、見えないものを見てるような。


『パパは狼と話すし、私も狼と話す。ママも誰か、何かと話せるの?』


 木陰に寝そべってるシルバーに聞いても、寝てる振りをして答えは返って来なかった。


 怪しい! シルバーは嘘をつかない。言いたく無い事は答えないだけだ。


 狼と話すパパに何かと話すママ。前世の記憶を持ち狼と話す赤ん坊。


『何だか……うちって変わってる?』


 今更、何を言ってるんだがと言わんばかりに、銀色の尻尾が大きく一打ちされた。

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