第10話 越後の軍神の戦法と、伊賀の戦術。
元亀3(1572)年8月上旬 越中国尻垂坂
藤林疾風
元亀3年5月に、本願寺顕如に任命された総大将杉浦玄任率いる加賀一向一揆勢が挙兵し、呼応して越中一向一揆の勝興寺や瑞泉寺が、一斉に蜂起した。
杉浦玄任は加賀一向一揆勢を率いて朝倉家を葬った戦略家で、越中一向衆の勝興寺は、顕栄、瑞泉寺は顕秀が率いていた。
さらに、度々上杉家に臣従しながら謀叛を繰り返す椎名康胤と神保長城も一揆勢に加担した。
この頃、謙信は関東・上野で、武田信玄と北条氏政と対峙し、自ら出馬できず家臣達を派遣していた。
6月には、越中と加賀一向一揆勢が合流し3万もの軍勢となって、上杉方の前線基地 日宮城の救援に向かった上杉軍と衝突した。(五福山の戦い)。
上杉軍は奮戦するも圧倒的多勢に抗しきれず、退却し途中の神通川で、一揆勢の猛追を受け大敗した。
援軍なく孤立の日宮城はやむなく降伏開城した。
一揆勢はさらに神通川西岸の白鳥城、次に東岸の富山城に押し寄せて陥落させた。
連合した一向一揆勢の大攻勢により、越中の西部から中部にまで勢力を拡大。
上杉軍は苦戦し、日宮城に代わり上杉方の前線基地となった中部の新庄城が落城の危機に陥っていた。
俺の来訪を受けて、向後の愁いをなくした謙信殿は、芦名、佐竹に睨みを利かせる兵力を残して、8月10日に1万の軍勢を率いて越後を出陣した。
18日には新庄『山の根』に着陣し、先着の上杉軍と合流した。
これにより一揆勢に対抗できるだけの兵力となり、富山に陣を張り新庄城に攻め寄せる杉浦玄任の連合一揆勢に対し、劣勢を挽回し始めた。
謙信公と共に越中に着陣した当初、以外にも農民主体の一揆勢でありながら、多数の鉄砲を揃えていることに驚かされた。
鉄砲は傭兵の雑賀衆が主で、一揆に加担した土豪が各々数十丁、全体でも2〜3百丁程度と思っていたが、実態は優に1千丁を越えているようだった。
鉄砲の有効性を知った本願寺が堺から多数の鉄砲を購入し、鉄砲の戦術に長けた雑賀衆に学ばせていたのだろう。
このため、新庄城周辺に散らばる一揆集団を半端な軍勢で追えば包囲殲滅される恐れがあり、謙信殿は総攻撃の準備が整うまでは、新庄城の周囲1〜2km以内での半籠城戦を選択した。
俺は越中に赴くにあたり、伊賀への物資と援軍を要請していた。早馬と途中からの
おそらく、援軍物資の到着は2週間後。
それまで、敵の戦力を削ぐことに専念する。
新庄城周辺での攻防は、追えば引いて行く一揆勢に手を焼き、表面上は一進一退の戦況が続いた。
俺は配下の伊賀者達を使い、敵の鉄砲隊の風上に発煙筒を打ち込み視界を遮さえぎらせ上杉軍の騎馬隊の突撃で撹乱し、足軽隊で敵の鉄砲奪取をさせ鉄砲の不利を徐々に挽回させた。
そして奪った鉄砲を籠城する上杉軍の兵に渡し、城に攻め寄る一揆勢に向けて実戦訓練を積ませ、来たるべき決戦の戦力を育てた。
その数は2百丁におよび、彼らを指導したのは、伊勢巫女の皆だった。
また、伊勢巫女や伊賀者達には一揆勢より遥かに射程の長い
新庄城に援軍として来てから一週間後に、伊賀水軍の新造船と呼ばれる中型帆船10隻の船団が土佐長門経由で岩瀬湊に到着した。
補給物資として、20台の投石機と焙烙弾火炎瓶、弾薬、食料、薬品を満載して来た。
同時に百地配下の下柘植小猿率いる鉄砲隊200名の増援部隊もやって来た。
「若っ、久方ぶりです。我ら百地の二百雷筒隊の出番ですっ、腕がなりますよ。」
小猿は13年前、俺の初陣である北畠攻めに同行して大活躍してくれた。信頼のできる伊賀最強の鉄砲隊を率いている。
「小猿よく来てくれた。謙信公に引き合わせるからついて来い。」
城の天守閣最上階にいる謙信殿の下に行くと西側の窓で俺の贈った50倍率の双眼鏡を覗く謙信殿がいた。
「疾風、これはいいぞ。富山城にいる敵兵達の動きまで良く見える。」
「謙信殿、伊賀から援軍に参りました下柘植小猿にございます。配下は伊賀最強の鉄砲隊ですから、心強い味方になりますよ。」
「うむ、よう来てくれた。鉄砲の戦いは疾風がようやってくれている。が、そなたらが来てくれたとあれば、心強いことであろう。
よろしく頼む。」
「それと、船で来た加賀に潜ませた者からの知らせがありました。
加賀の金沢御坊へ増援の依頼があり5千人程の後詰めが加賀を出たそうにございます。2〜3日の内には、こちらへ着くかと思われます。」
「さようか。玄任は野戦を仕掛けてくるか。
今でも2万を越える軍勢、とても籠城には向かん。」
「されば、戦場は富山城と新庄城の中間辺り持ち運ぶ鉄条柵を用意致しましょう。」
その夜は、岩瀬湊から物資を運んでくれた将兵に感謝の意を込め、牛肉や伊勢芋がごろごろ入った大量の
焼酎も医療用だが、1杯ずつ振る舞った。
大量の補給物資と武器の増援があったことを知り、上杉軍の士気が上がっているところへ謙信公の決戦への告知がなされ、兵の士気は最高潮に高まった。
曰く『者共よ聞け、一揆勢に援軍が来る。
数日のうちに決戦を仕掛けて来るであろう。
しかし、我が軍にも敵を滅ぼす武器が届き、決戦の準備が整っておる。
これまでよう耐えた。だがこの一戦で一揆勢とけりを付ける。
城兵一人残らず打って出て、総攻めじゃ。』
「「「「「「うおーっ。」」」」」」
それから4日後に、富山城と新庄城のほぼ中間地点にある
先に仕掛けて来たのは一揆勢で先陣2千の足軽槍隊が横一列に密集して前進して来た。
それに対して、鉄条柵を前に並べた上杉の鉄砲隊500名が迎え撃つ。一揆勢は足軽隊の背後から1千の鉄砲隊が出て来て、足軽隊と入れ替わって銃撃戦となる。
だが上杉軍後方から火炎瓶や焙烙弾が打ち込まれ鉄砲隊は総崩れとなり後退した。
鉄砲隊が後退するのに入れ代わり、一揆勢の総攻撃が始まった。それを上杉の軍勢が迎え撃つ。
多勢を嵩に攻め寄せる一揆勢に、上杉勢は謙信の指揮の下、まるで打ち寄せる波のような攻撃を見せる。
半刻足らずで、一揆勢の一陣二陣が破れ、上杉勢の勢いは留まらず次々に三陣四陣までも破って行く。
残るは本陣だけとなった時、謙信殿率いる騎馬隊1千騎が突撃を開始、一揆勢は総崩れとなり富山城を見捨てて逃亡を開始した。
俺は目にした。軍神上杉謙信の真の戦いの姿を。
これが車懸り戦法と呼ばれるものの真の姿なのか。
世に名高い『車懸りの陣(戦法)』とは、単純な軍勢の回転突撃戦法ではなかった。
各武将は1千〜2千の兵を率いるが、その実態は200人程の小隊の集まりであり、先陣の小隊が敵陣の一方の端に襲い掛かり、敵とぶつかり膠着したところへ、次々と後続の隊がさらに外側を迂回し襲い掛かるのである。
圧力を受けずに前進して来る中央と他方の端は横並びを崩され、別の部隊により同様の襲撃を受け、敵の後詰め部隊にも、別働隊が襲い掛かるのである。
次々と新手が側面から襲って来るのであるから、敵兵はなす術がなく崩れて行く。
その用兵は、とても単純なものではなく、かなりの練度を必要とする高度な戦術であり例えるならラグビーの動きのようである。
俺は唸った。さすが軍神と謂れる謙信公であると。
孫子の兵法に適っているのだ。
『戦いは正を以って合し、奇を以って勝つ』
戦いとは正攻法を用いて敵と対峙し、奇策を巡らせて勝つものである。
『実を避けて、虚を撃つ。』
敵が備えをする《実》の部分を避け、備えが手薄な《虚》の部分を攻撃する。
『人を致して人に致されず。』
戦巧者は自分が主導権を取り、相手のペースで動かされない。
兵の集中、それを局所的に行い局所において多数で攻める。それが『車懸かりの戦法』の真実であった。
その後2ヶ月間、謙信殿は越中一向一揆の本拠地である土山御坊、瑞泉寺、勝興寺を滅ぼし、また、越中の抵抗拠点である増山城、森寺城などを落城し越中を完全に制圧した。
攻城戦において、伊賀の火炎瓶、焙烙弾が活躍したのは言う間でもない。
こうして史実より2年早く、また和議ではなく越中一向一揆は完全に滅んだのである。
加賀一向一揆を率いた杉浦玄任は、本拠地へ逃れたがそこは既に浅井長政と織田軍で攻め寄せられ、なす術のない有り様であった。
玄任は、本拠地の尾山御坊に帰り着くことなく、織田の佐久間盛政の手勢によって討ち取られた。
【 上杉謙信の実像 その2 】
越後の上杉謙信という戦国武将は、毘沙門天を崇拝し、生涯不犯を誓い、義に厚く、車懸りの戦法で無双し、敵に塩を送った。
そんな美化された
義に厚いというのは、他国の救援依頼に応じて出陣しているからであるが、生涯不犯も含めて謙信の置かれた立場に起因している。
謙信は、越後守護代の長尾三家の府中長尾家に四男として生まれ、武勇に劣る兄から、あわや内戦の危機を、兄の禅定で家督継承して乗り越えている。
この兄への罪滅ぼしとも言うべきことから生涯子を成さず、兄の実子景虎を養子にした。正当な兄の子に家督を譲るためである。
また、越後の国人衆の間には競う争いが絶えず、これを従えるには大義名分が必要とされた。
祖父が越後守護に妬まれ殺され、その仇から父が守護を殺し、そのため主殺しの汚名を背負い、上洛をし将軍家や朝廷から権威を頂戴して、越後守護や関東管領になった。
その立場から大義名分は外せなかったのだ。
ただ、関東に出陣した結果、関東の民は乱取りの憂き目に会い、強奪や人攫いの悲惨な状況になって、謙信を敬うことはなかった。
この時代、乱取りは普通のことで、謙信も例外ではなかったということだ。
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