第八話 伊勢北畠領の始末とその後。

永禄2(1559)年11月 伊勢木造城 藤林疾風



 北畠具教を討ち果たした合戦で、重臣達もほとんどが戦死した。おかげで北畠領を伊賀が統治することになったが、伊勢は複雑だ。

 北畠具教には息子2人と娘2人がいたが、

嫡子の長男具房は、多気城の焼失ともに亡くなり、次男具藤(8才)は前年長野家に養子となっていた。

 また霧山御所にいた正室と側室、娘二人は

逃げ出し、近くの寺に匿われて無事だった。

 

 長野家が仇討ちに来るのではと、領境まで伊賀の軍勢を進めると、意外なことに臣従を申し出て来た。

 長野家から養子に入った当主長野具藤は、まだ幼く、また長野家単独では六角や織田の脅威に立ち向かえないと判断したそうだ。

 さらにその隣の関家も長野家が臣従すると知り、同じ理由で臣従して来た。

 また、さらにその隣の北伊勢48家のうち伊勢側の三重郡と河曲郡の大半が臣従した。


 だが、臣従は形ばかりで半独立を認めた所もある。志摩と桑名だ。

 志摩は海賊であり陸の領地を攻められては困るので、伊賀に敵対しないということだ。 

 桑名は、位置的には北伊勢で飛地になるが自由港湾都市であり、伊勢の大湊などと敵対する訳には行かないので、年貢を納めるから後ろ盾になってくれということだ。



 父上が、これらの処理を全部、俺に丸投げしたので、俺は当分伊賀には帰れない羽目になった。


 俺は領地を召し上げることを条件に、臣従を許可し、棒禄の代官として再配置をした。

 それは、広域で統一した政を行い、公平な領民への配慮を行うためだ。苦情は2年後に受け付けると言っ、文句を言わせなかった。


 また、伊賀伊勢領内の全ての寺社仏閣に対して、境内地とわずかな畑を除き、伊賀の領地として管理することを申し渡した。

 従前の年貢相当分を寄進の形で納めることを約束して。従前と変らない収入があるのだから、なんら不足はないはずだ。

 同意できない場合は、領内からの立ち退きをするように、言い渡した。

 


 伊勢の石高は約50万石超。伊賀は商売を除けば約10万石程度だから、石高だけなら一気に6倍に増えた。

 そして北畠領だった伊勢征服を期に、伊賀の各家は藤林家に臣従を決め、百地丹波殿と服部半蔵殿は、家老職となった。


 彼らの俸禄は5万石相当としたが、それまで各々の家臣に与えていた俸禄が一部郎党を除き、藤林家から支給されることになるので倍以上の加増になった。そして今後も伊勢の開発に伴い、役職の棒禄があるから、増えることはあっても減ることはない。


 あと、北畠家の遺族には出家などさせず、伊勢神宮の門前町の一画に、屋敷と棒禄を、与えて自由にさせた。

 伊賀を攻められて返り討ちにしたのだから、正当防衛だ。恨むなら欲深な北畠具教を恨んでくれ。



 新たな伊勢の代官には、伊賀の開発を知る各忍家の重臣などが任命されて、伊勢各地へ散って行った。

 伊賀で行なった農地改良や商品開発を手掛けることになる。月にニ度、藤林砦で評定を行うこととしたが、半数ずつの参加で半分は代理の参加で交代制とした。

 また、俺は現地伊勢の差配役として伊勢の海岸に近い木造城に伊勢開発奉行所を置いて常駐している。

 藤林砦で行う代官達を集めての評定には、俺の下で開発を差配する5人の奉行達を交代で送り出している。



 こうして3ヶ月ほど、伊勢の治世に追われたが、やっと伊賀に帰れることになった。


 そろそろ周辺諸国で、戦いが起きる頃だ。

 来年5月には織田家と今川家の『桶狭間の戦い』が控えている。静観していられない。

 特に織田信長は最大の脅威となる存在だ。なんとか、恩を売っておかなければ。

 そして、同じく8月には浅井家と六角家の『野良田の戦い』が起きるはずだ。



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永禄3(1560)年2月 伊賀藤林砦 藤林疾風



 峠を抜けると懐しい伊賀の風景が広がる。 

 伊賀に入ったところで、小猿達百地一党と分かれ、伊賀北部の藤林砦に向かう。

 俺達に気づいた領民達が、家や畑から手を振ってくれている。俺達も振り返す。

 伊賀北部に近づくと驚いたことに、商家が立ち並んでいる。商家は30軒余にも増えて、店先には大勢の人達がいて賑わっている。


 俺達が通ると道の両脇に並び、大歓声だ。 

 少々照れくさい思いをしながら、藤林砦に辿り着いた。

 跳ね橋を渡って、敷地に入ると、家人達が総出で迎えてくれた。そして、父上と母上、母上に抱かれた妹の綺羅がいる。


「御曹子、お帰りなさいっ。」


「若様、お帰りなさいまし。」


「疾風様、ご苦労さまでしたぁ。」


 皆、口々に出迎えの言葉を言っている。


「父上、母上、只今戻りました。」


「おぅよう戻った。頑張ってくれたのぉ。」


「父上のせいで、酷い目に遭いましたよ。

 しばらくは母上を父上から取り上げさせてもらいますからねっ。」


「まあ、嬉しいわっ。疾風はもう母に甘えてくれないのかと、心配してたのよ。」


「母上には、いっぱい、いっぱいっ、聞いてほしいことがあります。

 そうだ、綺羅にはいっぱいお土産を買ってきたよ。」


「なんじゃ、儂には文句だけか。まあ良い、さあ、家に入るが良い。」


 その夜の夕餉は、両親と綺羅だけでなく、道順や城戸、才蔵に佐助、乳母の梅や侍女の楓と紘、郎党の孫太夫、八右衛門、半六、

 そして権爺を入れた藤林家の皆で賑やかで楽しい夕餉となった。



「坊っ、大将の北畠具教を討ち取ったのは、大手柄ですが、一騎討ちをするなんぞ大将としては、やり過ぎじゃねぇですか。」


「それがさぁ道順。せっかく城戸に教わった騎乗と槍捌きを試す、絶好の機会だったもんだから初陣だし張り切り過ぎちゃったんだ。えへへ。」


「若の雄姿を、この目で見られなかったのは残念ですな。しかし、あの具教と切結ぶとは、あまりにも無鉄砲過ぎますぞっ。」


「城戸が居なくて良かったよ。見られてたら、緊張して失敗してたかも。あははっ。」


「お方様、誠に面目ありません。先陣を切る疾風様は誰よりも速くて、追い駆けるのがやっとでした。」


「あらあら、才蔵には苦労を掛けたわねぇ。

 皆、無事に戻れたのだから良かったわ。」



 今、俺の膝の上には綺羅がお坐りしてる。2才になった綺羅は危なげなく『トコトコ』歩いて来て、俺の膝の上に納まっている。

 俺が綺羅用に作った木のさじで、少し冷めた茶碗蒸しを食べさせてやっている。

 おかげで隣には、守り役の楓が、はらはらしながら見守っていて、自分の食事ができないでいる。


「お方様、どうして綺羅様は私でなく疾風様のところに行ってしまうのでしょう。ずっと毎日、ご一緒しているのに。」


「そうねぇ、疾風は綺羅の目の前でいろんな珍しいものを作ったりするからかしらね。」


「そうです。若様は見たこともない、忍びの道具も簡単に作ってしまわれるのですよ。」


「坊の頭の中はいったい何が詰まっているんでしょうかねぇ。普通の味噌じゃねぇことは確かですぜい。」


「「「あははははっ(ほほほほほっ)」」」


『皆して、笑い過ぎっ。』





【 剣豪大名北畠具教 】

 史実では、織田信長の伊勢侵攻の戦いで、大河内城で50日にも及ぶ籠城戦をしたが、援軍もなく足利将軍に仲介を頼み、当主となっていた具房の養子に、信長の次男 信雄を入れることで実質降伏の和睦を行った。

 その剣は、剣豪塚原卜伝に学び『奥義一の太刀』を伝授されたと伝わる。

 この敗戦から7年後に、織田家に敵対することを止めなかったことで誅殺された。

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