第45話 初恋の相手
気だるさは残っているが、体調が戻ってきた私はベッドから身を起こした。
まだ聞きたいことがある。
「ですがアレクシス様、ブランシェのことは良いのですか。初恋の人だと伺いましたが」
「あ……ああ。そこまで聞いたのか」
何だか気まずそうに私から視線を外す。
ずきりと胸が痛みそうになったが。
「昔、私は君と会ったことがあるんだ。そこで今のように命を助けられた」
「え?」
もしかして頭の中のあの少年は……。
「お会いした場所は以前連れて行ってくださった海辺ですか」
「っ! 思い出したのか」
「ええ。アレクシス様に治癒魔術を施していた時にほんの片鱗ですが、蘇ってきました。確か度胸試しで崖の途中にある赤い花を取ろうとしてお怪我なさったのですよね」
「そうだ」
やはり君だったかとアレクシス様は呟いた。
ではアレクシス様の初恋の人は私ということ? しかしアレクシス様はブランシェを妻にと望んでいたはず。
「ですがなぜブランシェと」
アレクシス様はまたきまりが悪そうな表情になる。
「私も崖から落ちて怪我をした影響で君の記憶を長らく失っていたんだ。だが夜会で赤いドレスを着た君を見て記憶が蘇った。ただ、どうしても名前だけは思い出すことができなかった。そこで人に尋ねたところ、ブランシェ・ベルトラン子爵令嬢だと教えてくれた」
教えた人が私のことをブランシェだと勘違いしたのか。確かに知人程度では見間違えられる可能性は高い。
「こちらでも調べてみたところ、君たちは双子でブランシェという人物がより魔術に優れているという話だった。私の命を救ってくれた君だから魔力が高い人だと考えたし、君たちに直接会って確信もした」
「そうですか」
あれ? 確信してはおかしい。確信していたならば、なぜ入れ替わりに気が付かなかったのか。
「確信したのならば、なぜわたくしがブランシェではないとお分かりにならなかったのですか? 魔力の差を感じられたのでしょう?」
「いや。君は魔術が苦手だと言ったが、秘めたる魔力は同じくらい高かった」
うまく発動できなかっただけで魔力量はあったということだろうか。となると、やはり限界を超えて魔術を発動させないように意識下に押し込めていたという仮説が正しいのかもしれない。それはともかく。
「あ、いえ。ですが結婚話を進める際に、わたくしどものお家でお話ししましたよね。その時、姉妹揃ってご挨拶したはずですが」
「確かに挨拶してもらったが、君の父君から姉のアンジェリカと妹のブランシェですと紹介いただいた後に、君たちは同時に私に挨拶をしたから気付かなかった。ブランシェ嬢とは直接話もしなかったしな」
そう言われてみればそんな気が。私もブランシェもただ黙って座っていただけだった。
その後の会話でもブランシェは私だという思い込みもあって、会話の中でもあまり名前を意識していなかったのだと言う。
「と言うか。まあ、あの時は気分が浮ついて思慮に欠けていたというのが正しい」
「浮ついて?」
目を見張る私にアレクシス様はごほんと咳払いした。
「あ、いや。だが、いざ式の当日になって、花嫁衣装の胸元が……サイズがどうにも合っていないような気がして妙だなとは思った」
あの時の言葉はそういう意味だったのか。力量を見抜かれたのかと、かなり動揺したものだ。
花嫁衣装は子爵とは名ばかりのうちの代わりに用意してくれた。ただしアレクシス様はアンジェリカをと思っているが、こちらとしてはブランシェをと言われているのだから当然、彼女が採寸された。
「そうでしたか。ええと。ではお話をまとめますと、わたしくが……アレクシス様の初恋の相手ということでしょうか」
自分で言うのはとても恥ずかしいが尋ねてみる。
最初からアレクシス様は相手を間違えていなかったということ。
「ああ、そうだな。ただ正直な話、友人に君が私のことを思い出さないのは実は幼い頃に会ったのはもう一人の方ではないのかと言われ、少し自信を失ったことも確かだ。崖の赤い花を見た時、君が倒れたのも双子の感覚を共有する能力によるものなのかと」
本当に正直なお方。言わなければ分からないのに。
アレクシス様らしいと言えばそうなのだろう。
「もしわたくしが昔会った女の子ではなかったらどうなさいましたか」
「君を妻にと望んだ理由を尋ねられる時が来たとしたら、謝罪していた」
「謝罪ですか?」
「ああ。幼い頃に会った少女ということで、最初から好意を抱いていたし、結婚したいと思ったからだ。だが愛したのは生活を共にした君だ」
もしブランシェがこの結婚に素直に応じて生活を始めたとしたら、アレクシス様は彼女にも真摯に向き合って愛したのだろうか。ブランシェもまた誠実なアレクシス様を知って彼を愛したのだろうか。
……いや。
もしもなど考えることは無意味だ。現実にはもしもの未来などどこにも存在せず、その時に選んだ結果の事実が一つ存在するだけ。
ブランシェは逃げる道を選び、私はパストゥール家に入る道を選んだ。ただそれだけのこと。その選択から生まれた事実は、アレクシス様を愛し愛されたという事実はもう誰にも変えることはできない。
「わたくしは昔のことは覚えておりませんでしたが、アレクシス様のことを知るたびに強く心惹かれていき、いつしか愛しておりました。わたくしに真摯に向き合ってくださり、時間と距離を与えてくださったこと、ありがとうございました。わたくしはアレクシス様を愛し、愛されることを本当に幸せに思います」
「ああ、私も……幸せだ」
思いの丈を打ち明けるとアレクシス様は少し照れくさそうに微笑んだ。
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