第15話 お見送りしたい
帰宅途中は何事もなく無事に帰った私たちだったが、私はすぐお医者様に診てもらうことになった。しかし特に悪い所はなく、おそらく精神的な疲れから来るものだろうと診断された。
それならば分かる。慣れぬ家にやって来た上、ブランシェの代わりという大きな役目を担っていて神経を張っているからだ。……緩んでいる部分があることも否めないが。
とにかくゆっくり休養すれば大丈夫だろうとのことだった。
それよりもさらに神経を使うことになったのは、帰宅時だろうと思う。なぜなら馬から下ろされた後は、アレクシス様が私を抱き上げて玄関へと向かったのだから。
パストゥール家の皆さんも驚かれたご様子だったが、私の方がより驚いたし恥ずかしかった。なお、女性陣は驚きというよりは、華やいだ声で色めき立っていたような気がするがそれは気のせいかもしれない。
ともかくも海水と潮風を浴びてべとつく体を綺麗にするために、夕食前に湯浴みをさせてもらった。
「奥様、倒れられたんですって。お体は大丈夫ですか?」
ライカさんは珍しく神妙な顔をして尋ねてきた。
彼女には笑顔が似合うのに、私のせいでそんな表情にさせてしまった。
「ありがとうございます。今はもう何ともありません。元気元気!」
拳を作ってみせたが、それでも彼女の顔は晴れない。
「本当に? ご無理をなさらないでくださいね」
「ええ。本当に大丈夫ですよ。だって今、お腹がぺこぺこですもの」
食欲旺盛な病人などいないだろうという意味で、今度はお腹をさすってみせる。実際お腹が空いている。
「まあ! ではすぐに用意していただきますね」
するとなぜかライカさんの表情にはいつもの明るさが戻った。
もしかして私は早くも食いしん坊認定されているのだろうか……。
夕食のご用意ができましたと伝えられ、部屋を出るとアレクシス様が廊下で立って待っていた。
「アレクシス様」
「体の具合は?」
「はい。まったく大丈夫です。先ほどはあ、ありがとうございました」
抱き上げられた記憶が蘇って少し恥ずかしくなる。一方でアレクシス様の表情は硬いままだ。
「いや。もう少し休んでいなくていいのか? 食欲はあるのか?」
「はい。もちろんです。これからもりもり食べるつもりです」
「そうか」
アレクシス様の唇からもやはり笑いが漏れた。
「その分だと大丈夫そうだな。では早速行こう」
「はい!」
テーブルに着いて食事を始める中、アレクシス様が話を切り出した。
「明日からのことだが、朝は早く、帰りが遅くなることがある。その時は気にせず休んでおいてくれていい。ボルドーにもその旨を伝えておく」
来たばかりの私では判断できかねると思ったのだろう。実際、いつ休めばいいか分からないからアレクシス様のお気遣いはありがたい。
「はい。遅いとはどれくらい遅いのですか?」
「夜中になることもあるな。時には帰らないこともある」
「……そうですか。承知いたしました」
これから食事は一人になるのだなと思うとやはり寂しいが、国を守るお方なのだから仕方がないことだ。それよりもこの三日間、無理に時間を取ってくれたことに感謝しなければ。
「お忙しい中、わたくしのためにお時間を取ってくださってありがとうございました」
「いや。私がそうしたくてしたんだ」
アレクシス様がしたくてそうした?
思わずじっと見つめると、彼はたじろいだように視線を外すと咳払いした。
「とにかく明日から家のことはボルドーの指示に従ってくれ」
「はい。承知いたしました」
そしてその夜。
お優しいアレクシス様はまた私の部屋に訪れることなく、ベッドで一人眠ることとなった。
「おはようございます奥様、朝ですよ!」
「はい、おはようございます!」
ライカさんの声が降ってきて私はがばりと起き上がった。おかげで彼女はびっくり腰が引けている。でも今それはいい。
「アレクシス様は。アレクシス様はまだいらっしゃいますか」
うっかりしていたが、昨日の夕食で朝が早いこともあると言っていたことを今起きた瞬間に思い出した。結婚して初日の出勤ぐらいお見送りしたい。
「はい。いらっしゃいますよ、大丈夫です」
ライカさんはくすりと笑う。
「そ、そう。良かった。では準備いたします。お手伝いよろしくお願いいたします」
「はい。かしこまりました」
部屋着は自分で素早く着替え、髪の手入れと化粧はライカさんにお任せしたのだが、おそらくいつもと同じように時間くらいでやってもらっているはずなのに、今日はひどく手際が悪く、かなり遅く感じる。
「あ、あの。アレクシス様はまだいらっしゃる?」
早くしてとは言えないのでそんな風に尋ねると、ライカさんはぐっと唇を固く締める。しかし反面、膨らんだ頬には笑いが含まれて見えた。
「大丈夫ですよ。何ならお引き留めしていただきましょうか」
「それは……ご迷惑だから」
出かける時間が決まっているのだろうから、それを止めることはできない。
……ああ。昨日、いつごろ家を出るのか聞いておけばよかった。
「大丈夫ですよ、奥様」
唇を噛みしめて半ば視線を落としていた私だったが、ライカさんが自信ありげにそう言ったので反射的に目を上げる。
「え?」
「本日、アレクシス様は奥様と朝食を取ってから出るとおっしゃっていましたから」
「――も。もう! もうっ! ライカさんの意地悪!」
吹き出して小さくなったライカさんの頬とは逆に私の頬が膨らんだ。
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