第2話 ここが私の再出発
――コンコン。
花嫁の控室の扉が鳴り、私たちの返事を待たずして無慈悲にも開かれた。
「ブランシェ姉さん、準備できっ!?」
「わぁ! おきれい。ア――ンむぐっ」
入ってきたのは幸いにも弟妹だったが、弟はもちろんのこと、幼い妹でもひと目で私だと分かったようだ。瞬時に何かを察した弟のクラウスは屈み込むと妹サラの口を押さえた。
さすが頼りになる優秀な弟だ。クラウスはすぐさま背中で扉を閉めた。するとイヤイヤして弟から解放された妹は、ねえさまきれいと私にぱたぱたと近寄ってくる。
「一体どういうこと? どうしてアンジェリカ姉さんが花嫁衣装を着ているの?」
渋い表情をした弟が近づいてくると声をひそめて尋ねた。
「それが……」
身を低くしてサラに構っている私に代わり、当主である父が口調重たげに説明する。
「なっ!? そんなの無茶すぎるよ! 長く側にいればいる程、入れ替わった時に気づかれるに決まっている。現に僕たちはすぐ分かったよ」
私とブランシェは家族以外にはこれまで何度も間違えられてきた。弟妹らが見破ったところでこの計画を止めるつもりはない。
「そうだな。だから早くブランシェを見つけたいと思っている」
「上手くいくわけがない! 相手は戦場では百戦錬磨だと言われているあのパストゥール司令官だよ」
「それは分かっているが、今この窮地を救えるのはアンジェリカだけなんだ」
心苦しそうに言葉を絞り出す父と動揺から立ち直れず、ソファーに伏せる母。この計画の無謀性を懸命に説く弟。
ぴんと張り詰めた空気の中、訳も分からず右へ左へと首を振りながら皆の話を聞いているサラだけが唯一の癒やしだ。
「姉さんはそれで納得しているの!?」
父では埒が明かないと思ったのか、弟は厳しい表情のまま私に視線を流した。
「ええ、もちろんよ。わたくしが言い出したの」
「姉さん、本当にその覚悟があるの?」
「あるわ。無かったら言い出さない。わたくしはブランシェが戻ってくるまで彼女になりきってみせる」
私が側で一番ブランシェを見てきた。彼女の口調や仕草を演ずるくらい容易いこと。
「パストゥール司令官は非常に洞察力が高く、敵意を持っている者や欺こうとしている者は瞬時に見極めて排除するらしい。それどころか自分に従わない者や気に食わない者まで容赦なく処分すると言うよ」
弟は恐ろしい話をするかのように眉をひそめると、パストゥール辺境伯の輝かしい武勇伝から敵国に対しての冷酷無慈悲なまでの残虐な拷問方法まで、実に詳しく得意げにとうとうと語ってくれた。
聞き終わった頃には、私の顔は化粧でも隠せないほどの顔色の悪さになっていただろう。
「これを聞いても?」
はい、容易いとか思ってごめんなさい……。
気を引き締め直さなくては。
「とりあえず生きてパストゥール家を出ることを目標にするわ」
気合を入れるためと、血を通わせるために自分の頬をぱちぱちと叩いてみせる。
「姉さん!」
「クラウス。そんな方がお相手だとしてわたくしまで逃げ出したら、この家は今日終わるかもしれない。だったら今できることをしたいの」
きょとんと私を見上げるサラの頭をそっと撫でた。
クラウスは私の言動を見て苦虫を噛み潰したような表情をした。彼だって家を、家族を守りたいのは一緒のはずだ。
「あのさ。結婚したら、褥を共にする必要があるんだよ。それも分かっている?」
クラウスの言葉に思わず目を見開いた。
わ、忘れていた……。
いわゆる初夜とやらは今夜だろうか。
「な、何とかするわ」
私は慌てて誤魔化し笑いすると、彼は呆れたようにため息をつく。
「アンジェリカ姉さんは所々抜けているよね。……ブランシェ姉さんはこんな直前になって自分勝手すぎる。家族に対して、いや、アンジェリカ姉さんの性格を知っていた上でのことだったのならあまりにも酷い裏切りだ」
私は決して、何があっても笑顔を絶やさないような聖人ではなかった。ブランシェに対して羨みも妬みもあった。クラウスはただ目の前でブランシェに裏切られたと思うから、今、憎しみの込めた言葉を放つのだ。
だからと言って弟と一緒になって彼女をなじる言葉も、いい子ちゃんぶって彼を咎める言葉も言えない。
「よりによってアンジェリカ姉さんの婚約者と逃げるだなんて」
「ブランシェは彼のことを想っていたから」
辺境伯から結婚の申し出があった時からうちには断る選択肢などなかった。むしろ両親は喜んで受けた。だから彼女は強行突破した。
「だからって!」
「ブランシェは自らの力で自由と愛する人を手にした。ただそれだけのことよ」
何もせずにいた自分が何かを言える立場ではない。
「でもね。だからこそわたくしも動くことにしたのよ。いつまでもブランシェに勝ちを譲るつもりはないわ」
もう諦めることには飽きた。今からは勝ちにいこう。
まあ、ブランシェに勝つ前に生き残らなければ……ね。
「姉さん、何だか性格が変わっていない? いや。昔はそんな感じだったかな」
「ふふ」
開き直った人間というのは案外強いもの。きっとここが私の再出発となるだろう。なぜだかそう思えるのだ。
すると、コンコンと扉が再び鳴った。
ご準備はいかがですかと外から声がかかり、家族に見守られながら一つ深呼吸をすると笑顔を作る。そして、ただいま参りますと返事すると私は明るい未来への扉を開けた。
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