第6話 穴を通るのは
子供の頃からずっと不思議に思ってる物がある。
それは側面に大きな穴のあいた茶碗。
私の家はまあまあ古い。古民家というほどではないけれど昔ながらの座敷のあるような、そんな家だ。
その座敷の床の間には、いつも一つの茶碗が置かれていた。
床の間に飾られるくらいだから何かしら由緒正しい茶碗なのかと思えば、そうではないらしい。言われてみれば不格好だし、百円玉が通りそうなギザギザの横穴があいている。
作ったのは父だという。
両親が新婚の頃に遊びに行った佐賀県の唐津市。たまたま陶芸の体験工房に立ち寄って、父は少し大きめの茶碗を作った。
お世辞にも良い出来とは言えないが、思い出の品なので大切にとっておいたようだ。
それがどうして床の間に飾られているのか。いくら思い出の品とはいえ、持ち上げ過ぎじゃないだろうか。穴も開いてるし。
そんなことを何度か尋ねてみたが、父も母も『その穴、小人さんへのプレゼントにちょうどいいのよ』とか冗談ばかり言って、ぜんぜん真面目に答えてくれない。
茶碗の中にはいつ見てもお菓子が数個入っている。それがつまり小人さんへのプレゼントらしい。
お供えものか。
中身は金平糖やクッキーやチョコレートとか、穴から零れ落ちるくらいの大きさで甘くて小さなお菓子ばかり。そして私も、一日ひとつだけなら好きな時に食べていいことになっていた。
一月に二十歳の成人式を迎えたから、私はもう名実ともに大人だと思う。でもこの茶碗からお菓子をつまむのが、どうにもやめられない。
今は自分のバイト代でいくらでも好きなお菓子が買えるのに。
不思議な魅力があるのだ。つまみ食いってやつはね。
そしてこれは昨晩の話。
私は友人に誘われて、ついつい遅くまで飲んでいた。
駅の近くの居酒屋に追い出されるまで居座って、それからちょっと静かなバーでカクテルなんかを頂く。酒の肴はもちろんお互いの恋の話。まあ、私にはそんなに自慢できるほどのネタはまだなかったけれど。
そんなこんなで機嫌よく帰宅したのが真夜中過ぎだった。
玄関のカギをこそっと開けて、足音を立てないように家の中に入る。二階の自分の部屋にまっすぐ向かうつもりだったけれど、ふと気づいた。
もう日付が変わってる。
つまり今日が始まったばかりだ。
ちょっと甘いものが摘まみたいな。寝る前だけど。
一個だけだし。いいよね。
座敷は誰も使ってないから、夜中に入っても怒られたりはしない。
そっとふすまを開けた。
暗いけどスマホの明かりを頼りに床の間に近付く。
今日は確かサイコロ型のチョコが入ってたはず。
私は茶碗の中に手を伸ばして、触れたものを摘まんだ。
ムニっ。
「キィーーーッ」
妙に柔らかい感触と、何か金属を擦ったような甲高い音。
「ひぃっ。ネズミ?」
慌てた拍子に右手で取ったネズミを落として、ついでに左手に持ってるほうのスマホも取り落としてしまった。
落ちたスマホに照らされて、畳の上に小さな物がうずくまってるのが見える。
その姿はあまりネズミっぽくない。
第一に、服を着ている。
第二に、見ているうちに二本足で立ちあがった。
第三に、こっちを見てキーキー言いながら何か怒っているようだ。
「……小人さん?」
「キィーーっ」
「本当に小人さんなの?」
「キィーー」
ひとしきり手を振り上げてキーキーと怒っているようなそぶりを見せた後、小人さんは私に背を向けて床の間によじ登った。よく見れば床の間の段差の手前に、ちょうど小人さんの踏み台によさそうな物が無造作に置かれてるわ……。
小人さんは茶碗に穴から潜り込む。すぐに中に入れてあったチョコを抱きかかえて出てくると、一瞬立ち止まった。
なんだか、目が合った気がするよ。
「キィー」
なんか言った!
でも、すぐに暗がりへと消えてしまう。
一体なんなんだ……。
つまり両親が言っていた「小人さん」ってのは本当に小人さんだったのか。
そんな馬鹿な。
「……今日はけっこう飲んだからなあ。寝よ」
だいたい、知り合いみんなに言われる。
『あんたの良いところはいつでもすぐに寝れることだね』
変な幻を見たけど、たぶん気のせい。もしかしたらネズミかも知れないけど、掴んだのがネズミだったとしたら嫌だな。
たぶん気のせい。
部屋に帰って寝よう。
いくら古い家でも、おとぎ話のように小人が住んでいるわけがない。
さすがに今日、チョコを食べるのはやめた。
【了】
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