腐れ縁をこじらせた俺の話を聞いてくれ

日埜和なこ

前編

 食堂で本日オススメB定食を手に空いている席を見渡し、窓際で姿勢正して食事をしている分隊長に気づいた。迷わず「少将ちゃん、ご一緒しても?」と声をかければ、彼女は幼さを残す顔にわずかな微笑を浮かべて「どうぞ」と返してきた。


 はっきり言おう。少将ちゃんは美少女だ。

 日頃あまり笑顔を見せない生真面目なところは軍人らしいが、笑ったら可愛い。きっちりと結い上げた鳶色の髪を飾る椿の髪飾りは最近つけ始めたものだが、もしや男からの贈り物なのだろうか。ずいぶん大切にしている。

 だが、良い仲の男がいるのか!? と絶望なんかしない。別に少将ちゃんと恋仲になることを求めている訳じゃないからな。これはやせ我慢とか見栄じゃない。本心だ。

 むしろ、その髪飾りを時おり眺めて切なそうな目をするのを傍で見れるのだから、役得だ。

 そして、胸はちぃとばかし小さいが、それがまた控えめに言っても趣があってよい。


 うちの分隊は『少将ちゃん応援し隊』に名前を変えた方が良いくらいには、俺に負けず劣らず、誰もが少将ちゃんを慕っている。


 嗚呼、これほど可愛い少将ちゃんに惚れることが出来たら、どれ程絵になる話だろうか。だが、俺のこの気持ちはホレタハレタにはならないのだから、困ったものだ。



 熱い茶をすすり、何事もなかったかのように食事に意識を戻した。

 昼時間から一刻ほど遅れたからか、食堂内に喧騒はなく静かなものだ。

 窓からもたらされる午後の日差しは、ほのかに頬を温めてくれる。腹が満たされた食後は眠気と戦いながら作業をする羽目になりそうだ。そんなことを考えながら野菜スープをすくうと、ふと違和感に気づいた。


 綺麗な所作で箸を使う分隊長を見るも、特に変わったところはない。いつものように、こちらから話を振らなければ無駄話を持ち掛けてくる様子もない。彼女の口数が少ないことには慣れていたはずだが何かが違う。

 そう考察しながら横を見て、つい「そうか」と声を上げてしまった。

 分隊長の手が止まり、そのつぶらな瞳が瞬いた。


「どうかしましたか?」

「副長は一緒じゃないんですね」


 口数少なく体も細い分隊長に反して、背が高く引き締まった身体にボンテージ姿が似合う騒がしい副長の姿がないのが、違和感の正体だ。

 さて、何か急用でも入ったのだろうか。

 何の気なしに副長はどこだろうかと口にしただけだったが、分隊長の表情がわずかに沈み、その瞳が陰りを見せた。

 すぐ表情に出るのは、まだ若さの証だ。だが、そこもまた良い。

 少将ちゃん応援し隊の心の声を飲み込み、表情を引き締めると、分隊長が「無断欠勤です」と言った。


「副長が?」

「先ほど宿舎に行きましたが、ひどい二日酔いのようでした」


 ドアを開けてもらえず、ガサガサの声で「ごめんなさい、今日は無理」と返事をされたことを話し、眉をひそめて笑った分隊長は小さく息を吐く。

 無断欠勤という言葉は、にわかには信じがたかった。言うなれば、副長は少将ちゃん応援し隊隊長である。

 俺はだいぶ驚き、阿呆な顔をしていたのか、分隊長は困り顔で笑った。


 昨夜遅く、魔獣討伐に出撃していた隊が戻ったばかりだ。

 今日は後詰めの隊がそのバックアップに追われている。我らオウカワ分隊も例外ではない。分隊長でなくとも、その慌ただしい中で余計な心労を増やしたくはないだろう。

 この状況下でアイツは何をやっているんだ。

 ふつふつと沸く怒りを押し込め、盛大なため息をつきたい気分をスープと共に飲み込んだ。


 しかし、酒に潰されるとは珍しいこともあるな。

 アイツは一晩飲み明かしたとしても、翌朝には酔いの欠片も見せずに出撃ができる酒豪だ。過去、任務に支障が出るような飲酒の姿を見た記憶も噂も聞いたことがない。

 大酒飲みの姿を思い出し、何があったのだろうかと首を傾げると、分隊長が俺を呼んだ。


「モーリス、午後の補充確認は、人手足りますよね?」

「そうですね、問題はないかと」

「では、申し訳ないのですがサリーの様子を見てきてもらえませんか? 私を部屋には入れたくないようでしたので」

「俺が行っても門前払いかもしれませんよ。副長も頑固ですからね」

「……付き合いの長いモーリスであれば、サリーも心を開くかと思います」


 自分はまだ付き合いが浅いからと曖昧に笑う分隊長は席を立つと、紙幣を取り出してテーブルにそっと置いた。


「何も食べていないと思うので、何か、果物でも買って行ってあげてください」


 紙幣の額は見舞い品を買うには十分すぎるように思いながら、彼女の気質を考えると釣りなど受け取らないことも容易に想像できた。

 心の中でやれやれと呟き、紙幣を手に取る。


「分かりました。では、おつりは少将ちゃんへのおやつ購入に当てますね。お疲れでしょう?」


 分隊に配るくらい買える釣り銭が出そうだから、皆で食べれるものを買っても良いかと問えば、彼女は「ありがとうございます」と返してきた。

 お任せあれとおどけて投げキッスをすると、やっと安心した笑みを見せ、分隊長は踵を返した。

 立ち去る後ろ姿についついため息がこぼれる。


「世も末とは言うが……」


 配属が決まった先の分隊長が、己の妹よりも若い少女だと知った時の衝撃は今でも覚えている。

 飛び級をした上、早々に前線での激戦と戦友との死別を経験。普通ならドロップアウトするだろうに、気丈にも前線復帰を希望。そんな彼女を助けてほしいと望まれ、ここに来たのは半年前だ。


「あんな小さい肩に、世間はどんだけのもん背負わせるんだか」


 彼女の昇任が決まった年、数十年に一人の逸材だとか噂されたのをふと思い出した。その言葉を分隊長はどう受け止めてきたのか。


 伸びすぎた前髪をかき上げ、窓の外に視線を向ける。

 いつの間にか空には雲が広がっていた。今日の天気予報はさて雨だったか。そんなことを思いながら定食に箸を伸ばして再び食べ始めた。




 季節の果物を入れた紙袋を片手に宿舎を訪れた。

 飾り気のないスチール製のドアからは、どんよりとした空気がだだ洩れだ。その前に立ち、幾度呼び鈴を鳴らそうがノックをしようが返事はない。


「副長、いるんですよね。いい加減、出てきてもらえますか? サリー副長」


 何度か丁寧に尋ねてノックをくり返すも反応はない。そんな状況が五分も過ぎればいい加減、苛立ちが募るというものだ。

 人当たりの良い笑顔を誰もいない廊下で維持するのもバカらしくなり、深々と息を吐いた。


「いい加減にしろよ」


 柔和な声音は作り物だったのか。周囲に人がいればそう思われるくらいには、低く怒気をはらんだ声を溢した。


「分隊長の優しさを俺は無駄にしたくないんだ。さっさとこのドアを開けろ。聞こえてるだろ」


 眉間に力がこもり、苛立ちがつま先に溜まる。

 ドアをガンッと蹴り上げて「俺が大人しい内にここを開けろ」と声をかけるが、扉の向こうにいるはずの住人は、やはり無言だ。


「あー、やだやだ。酒に飲まれてぐだぐだで少将ちゃんに迷惑かけるとか。なーにが、あたしが少将ちゃんを一人前にする、だ? 酒に溺れて迷惑かけてちゃ、世話ないよな!」


 靴底の跡がドアにつくほど何度も蹴り上げると、ガサガサの声が「煩いわね」と返ってきた。どうやらドアを挟んだすぐそこにいるらしい。


「聞いてんなら、開けろ」

「いやよ」

「開けろ」

「放っといて」


 生憎だが、時間をかけて頑固者を説き伏せるほどの優しさを、俺は持ち合わせちゃいない。

 苛立ちが極限に達して、ぷつりといった。


「いい加減にしろ、マナト! 若いやつに迷惑かけてんじゃねぇ。お前が泣こうが吐こうが俺には関係ねぇが、いい歳して私情を持ち込むな。何年軍人やってんだ!」


 ひと際激しくドアに蹴り上げて「聞いてんのか、マナト!」と怒鳴れば、鈍い音を立ててドアがうっすら開いた。すかさずその隙間に足を差し込んで開ければ、憂鬱そうな二日酔いの顔と対面することになった。


「本名で呼ばないでよ」


 力なくそう言い、うっすらと無精ひげを見せる顔をそむけた。

 いつもなら丁寧に巻かれている豊かなピンクブロンドの髪はぐしゃぐしゃだ。アイシャドウもつけ睫毛もそのままの眼は、泣きはらしたのがよく分かるほど腫れぼったい。

 いつも身綺麗にしている副長らしくない姿を、うちの隊のやつらが見たら、なんていうだろうか。


「こんなんで、出れるわけないでしょ」

「そこは同意してやるが……」


 のそのそと部屋に戻る後ろ姿は、いつもの自信に満ちた立ち姿からかけ離れていた。こんな憔悴しきった姿を見るのはいつぶりだろうか。

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