国王の招待 1
刺青屋水月の若き店主は、年末年始にかかる長期休暇を謳歌していた。自営業故に休みは好きなタイミングで取れるのだが、少年は割と真面目な方だったので、特別な理由がない限りは自分で決めた定休日を守っていたし、客の都合で休みが潰れることもあるため、ここまで纏まった休みというのは案外珍しいものなのだ。
しかし、謳歌していると言っても大したことはしていない。他人と関わらなくて良い時間があるということが大事なのであって、別にしたいことがある訳ではないのだ。ただ、なんとなく趣味の絵を描いてみたり、刺繍を嗜んでみたり、お気に入りの蝶の標本を眺めてみたり。そんなことをして一日を過ごしていた。少年は器用だったので、こういった時間がかかる細かい作業が好きだった。
(そういえば、年末ってことは、あの人の誕生日ももうすぐなんだ)
ロステアール・クレウ・グランダ陛下。グランデル国王が一年の終わりと始まりのときに産まれたことは有名だ。つまり、あと二日ほどで彼の王の生誕祭が開かれるのだ。
(生誕祭とか、そういう人の多そうなところは嫌だけど、でも、正装をしたあの人はとても綺麗なんだろうなぁ)
傭兵が着るような服を着ていてもあれだけ美しかったのだ。国王に相応しい衣装を身に纏った王は、きっと少年が想像する以上に美しいのだろう。
国王陛下の生誕祭などという場には、頼まれたって行きたくない少年だったが、それでも、生誕祭の場にいる王の姿はひと目見てみたかった。
そんなことを考えながら、そろそろ寝るかと眼帯を外しかけたしたところで、何かが窓を叩く音が聞こえた。
(何の音……?)
なにせここは二階である。だから最初は気のせいか、風で飛んできた小枝でもぶつかったのだろうと思ったのだが、それにしてはどうにも規則的に聞こえる。恐る恐る窓際に近寄った少年は、少しだけカーテンをずらして、空いた隙間からそっと窓の外を窺ってみた。
「っ!?」
思わず声なき声を上げて、少年が目を丸くする。
驚愕の表情を浮かべる少年の視線の先で、呑気にひらひらと手を振っていたのは、グランデル国王だった。
「あ、貴方、なんでここに!?」
慌てて窓を開けながら少年が少し大きめの声を上げると、その唇に王の指先が触れた。
「しーっ、騒ぐのは良くない。何せ着のみ着のままで来てしまった上、今回は目くらましがかかっておらんのだ。見つかっては面倒なことになる」
そう言った王の姿を少年が見れば、なるほど、赤の生地に金で凝った衣装が施された、いかにも高価そうな服装をしている。これは確かに、見つかると大変面倒なことだろう。
「と、というか、ここ、二階なんですけど……」
風霊魔法か何かで宙にでも浮いているのだろうかと下を見れば、王は見覚えのある赤い獣に跨っていた。
「……お、王獣……?」
事態を飲み込めないまま呟けば、その声が聞こえたのか、赤の王獣グレンは少年の方を見て、何故か盛大に尻尾を振ってきた。
「王獣などという総称ではなく、グレンと呼んでやってくれ。その方がこれも喜ぶ」
「え、いや、そういう問題じゃないと思うんですが、あの、」
混乱しすぎて何を言えば良いのか全く分からなくなってしまった。というか、今目の前の王が王獣をこれ呼ばわりした気がするのだが、良いのかそれは。
「と、取り敢えず、外じゃ冷えるでしょうから、その、狭い家ですけど、中に入りますか……?」
自分で言いながら何を言っているのだろうと思ったが、他に言葉が見つからなかったのだから仕方がない。
「それは魅力的なお誘いだが、実はあまりゆっくりはしていられんのだ。今頃家臣が皆血眼で私を探しているだろうからな。早く帰ってやらねば」
「はあ、そうですか」
そりゃまあそうだろう。生誕祭を二日後に控えた国王本人が王宮を抜け出して隣国に来ているなど、聞いたことがない。
しかし、どうにも気が抜ける国王陛下だ。相手が国王であると判っているのに、少年がそこまで緊張感を持てずにいるのは、この寝ぼけた熊のような雰囲気がさせているのだろうか。
高貴な方でありそうな気はするし、威厳だって感じるには感じるのだが、どうにもそれらは、こちらの緊張を煽るような種類のものではないのだ。金の国の王と会話をしている最中のこの王にはもっと恐れ多いようなものを感じたのだが、話し相手が違うだけでこうも変わるものなのだろうか。
「そんな訳なので、急いで戻ろう」
「あ、はい。どうぞお気をつけて」
何しに来たんだこの人。そう思った少年だったが、もしかするとあの事件の関連でやり残したことがまだあったのかもしれないと思い直す。きっとそうだ。それ以外に、わざわざ臣下に迷惑をかけてまでこの国にやってくる理由など浮かばない。
取り敢えず形式的に一礼して旅路の無事を願う台詞を返してから、少年は窓を締めようと手を伸ばした。こんな夜中に訪ねてくるものだから、冷たい風が部屋に入ってきてすっかり身体が冷えてしまった。これは布団に入る前にホットミルクでも飲んだ方が良いかもしれないなぁ、などと考えていると、窓に伸ばした手を握られた。
予期しない接触に盛大に肩を跳ねさせた少年が王を見れば、何故だか王がにっこり笑っている。いや、記憶にあるこの人は大体いつもにこやかだったけれど。
(あ、やっぱりこの人、とってもきれい……)
優しげな金の瞳に見つめられて、少年がとろんと表情を蕩けさせる。その様を見て笑みを深めた王が風霊の名を呼べば、少年の身体がふわりと浮いた。
「へっ!? あ、あの!?」
優しい風に攫われ、少年の身体はあれよあれよという間に窓の外へ押し出されてしまう。思わず自分の手を握る王の手に縋れば、そのまま引き寄せられて、少年の身体は王の足の間にすっぽりと収まってしまった。
「それでは帰ろうか。長居して誰かに見つかっては大変だからな」
「え、ちょっ、帰るって何処へ!?」
僕の家はここなんですけれど、と思った少年が慌てて言えば、王はきょとんとした顔をした。
「何処って、グランデル王城に決まっているだろう? ははは、キョウヤはときどき抜けているな。いや、そういうところも大変愛らしい」
王の指先が少年の暗い紫の髪を掬い上げ、そこに唇が落とされる。
(ひ、ひぇっ)
「風霊、キョウヤの家の戸締りと火の元その他の処理を頼んだぞ」
王の命を受け、風霊が内側から窓と鍵を閉め、灯りを落としていく。そして、少年が何かを言う前に、王獣は空を駆け出してしまった。
(た、高いし速い……!)
あのときはそれどころでなかったからそこまでの恐怖心はなかったが、こうして改めて王獣の背に乗ると、その高度と速度に背筋がぞわぞわとしてくる。落ちるのが怖くてほとんど無意識に王の胸に縋れば、何を思ったのか王は少年を片腕で抱き締めて髪にキスを落としてきた。
(ひぇぇぇ)
帰りたい。とても帰りたい。
心の底からそう思った少年は、勇気を出して国王陛下に進言しようと決意した。こうしている間にも、王獣はどんどん赤の王国へと進んでしまうのだ。帰して貰うのならば早い方が良い。というか、そもそもどうしてこうなったのだろうか。
「あ、あの、僕、なんでグランデル王国に行くのでしょうか?」
背後の王を振り返って見上げれば、彼はやはりきょとんとした顔をした。
「うん? 私の生誕祭があるからだろう?」
駄目だ、会話が成立しない。だが、だからといってここで諦める訳にはいかないのだ。
「えっと、貴方の生誕祭があるのは知っているんですが、どうして僕がグランデル王国に行くのでしょうか?」
「私を祝ってくれるのだろう?」
これはもう諦めても良いのではないだろうか。そんな考えが一瞬だけ頭を過ぎった少年だったが、もう少しだけ頑張ることにする。
「ええと、なんで僕が貴方の、」
生誕を祝うのでしょうか、と続く筈の言葉が紡がれることはなかった。何故なら、見上げた王がとても幸せそうな微笑みを浮かべていたのだ。
きらきら、ぱちぱち。金色の瞳の中で、炎が揺れて煌めいている。こんな、この世の何よりも美しいものを見せられてしまったら、もう少年は頷くしかないではないか。
「…………はい」
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