原初の大魔法 2
ドラゴンの背負う渦がどんどんその大きさを増していく。それに比例して空気全体が重々しい何かを孕み、恐怖からか思わず王の服の裾を掴んだ少年は、ふと、この重い雰囲気にそぐわない優しい風を頬に感じた。
「やれやれ、ようやく準備が整ったか。……良いか、火霊。できる限り手加減はするのだぞ?」
ふぅ、と息を吐き出した王を少年が見上げれば、王の瞳の中の炎が、何故か一層その輝きを増していて。その美しさに、また少年は惚けてしまう。
「帝国の魔導師よ!」
王の凛とした低い声が、空気を震わせた。
「よくぞ魔導の道をここまで極めた。そこに至るまでの努力と執念、察するに余りある。そして認めよう。貴公のその魔導は、ロイツェンシュテッド帝国は、疑いようもなく、円卓の連合国にとっての脅威足り得る」
王を中心に、ぶわりと風が巻き起こる。熱を孕んだそれは、まるで歓喜に踊り狂うように王と少年の髪を揺らした。
「故に、私もこの魔法を以て貴公を排除しよう!」
デイガーの魔導は、確かに脅威的だ。ひとたび発動すれば、いかにグランデル王と言えど、対処には労を要する。増してやこの街や金の国の民を守りながらとなれば、それはもう不可能だ。だからこそ、この魔導の欠点、すなわち、発動までに時間を要する点を叩くしかない。
「――赤より赤き紅蓮の覇者よ」
魔法が何故、魔術よりも、魔導よりも、優れているとされているのか。
「全てを滅ぼす破壊の御手よ」
簡単な話だ。魔法は魔術を凌駕する現象を引き起こすことができ、魔導のような複雑性もない、簡素な体系で構成されている。それ故に、魔法は時に言葉ひとつで驚異的な威力を発することができるのだ。そう、つまりは、何よりも速く、何よりも強大。それだけのことだった。
「汝が子らの声を聴き 祈りの唄に答えるならば」
王の周囲から、炎が噴き上がる。それは、圧倒的な魔力の奔流だった。始まりの四大国の王が持つ、莫大な力の顕現だった。
「我に抗う全ての愚者に 滅びの道を歩ません」
朗々たる王の詠唱に、デイガーが目を見開く。彼はこの魔法を知っていた。そうだ、知らないはずがない。この魔法こそ、五年前の大陸間戦争において大量の帝国軍を焼き払った業火にして、原初の大魔法がひとつ。
「ば、馬鹿な!? そんなものを使えば、この首都も無事では済まないはずだ!」
だからこそデイガーは、グランデル王がその手段を取ることはないだろうと、そう確信していた。しかし、
「麗しき 青き衣の乙女も殺し――!」
王の詠唱は止まらない。その身から迸る魔力はいよいよその勢いを増し、デイガーの目に、そして、少年の異端ではない左目にさえ、炎のように爛々と輝く魔力の奔流が見てとれる。魔法適性のない人間までもが見ることができるほどの密度の高い魔力を、惜しげもなく溢れさせ、緋色を纏う炎の王は、高らかにその勝利を叫んだ。
「――――“
瞬間。王の全身から噴き上がった魔力の濁流が炎となってドラゴンへと放たれた。凄まじい熱量を伴い吹き荒れるそれは、まさに炎の嵐そのもの。ドラゴンが展開した空間の渦のことごとくを容易く破り、炎が波のように竜へと押し寄せる。強固な鱗を焼き溶かされ、ドラゴンが苦痛に濡れた悲鳴を上げた。
逃げ場などないとでも言うかのようにドラゴンの全身を覆い尽くした炎が、次いでみるみる内に球体のような形になって僅かに縮み、そして、中心から全方位に向かって大きく弾け爆発する寸前、
突如、炎の塊の真上から水の大瀑布が降り注いだ。落ちていく水は、王の炎に勝るとも劣らない威力を以て、炎を覆い尽くしていく。だが、王の炎がそれに掻き消されることはなかった。炎の極限魔法の真骨頂である大爆発こそ未遂に終わったものの、鎮火される様子のない炎は中心のドラゴンを焼きながら、水の壁をも食い破らんと激しく燃え、水はそれを仕留めようと更にその質量を増していく。炎と水のせめぎ合いにより、竜の悲鳴を掻き消してじゅうじゅうと水が蒸発する音が響き、周囲には熱を孕んだ水蒸気がもうもうと立ち込めた。
火と水のぶつかり合いが続いたのは、どれほどだっただろうか。不意に眉根を寄せた王がさっと右腕を振るのと同時に、王の身体から迸っていた魔力が徐々に収まっていき、同時に水に覆われた炎もその勢いを徐々に弱めていった。それに数拍遅れて、炎を覆っていた水までもが急速に炎への拘束を緩める。そして徐々に薄く広がっていった水は、小さな音を立てて小刻みに弾け、つかの間の雨となって首都に降り注いだのであった。
未だ水蒸気の霧がうっすらと覆う空を見つめ、雨に濡れた王が呟く。
「……逃がしたか」
王の視線の先、徐々に薄れていく霧の向こうには、漆黒の竜の姿もデイガーの姿もなかった。
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