デート? 1

 コンコンと扉を叩く音に、若き店主は小さく溜息をついた。一日は始まったばかりだというのに、既に気が重い。

 今日は店はお休みだ。そして、男との約束の日でもある。よって、今扉を叩いたのは間違いなくあの、ロストとかいう男だろう。

 もう一度だけ溜息を吐き出した少年は、顔に笑みを貼り付けて扉を開けた。

「おはようございます。お早いですね」

「ああ、早くお前に会いたくてな」

「そうですか」

 訳の判らない戯言は流しておくことにする。

 しかし、朝から出かけるとは、一体どこに行く気なのだろう。余り遠いところは困ると言ったはずだが。

「それでは行こうか」

「あ、あの、行くって、どこへ行くんでしょうか」

「それを言ってしまってはサプライズ性が薄れてしまうではないか。なに、お前が嫌がるような場所には連れて行かんよ。安心してくれ」

 別にサプライズ性なんて求めていないし、もっと言うと、出かける先が不明なまま連れ回されるのは心許なくてあまり好ましくなかったのだが、これは貰った染料へのお礼だ。可能な限り相手の機嫌を損ねないように振舞うべきだろう。

 そう思って大人しく従った少年が連れてこられたのは、少年の店よりずっと都市の中心に近い場所にある、錬金術系統の店が多く立ち並んだ商店街だった。そういえば、この通りにある店の品物はどれも精巧な造りのものばかりで、少年はその美しい造形にちょっと心惹かれたりもしていたのだった。ただ、錬金術による生産品は魔術機構を持っているものばかりで、製作が非常に難しいため、高価な品が多い。そのため、店の方もそれに見合った高級な外装や内装をしている場合がほとんどだ。男に連れて来られたこの通りは特に、ギルガルド内でも貴族御用達と言われるような店が多く並ぶ場所で、とてもではないが少年が立ち入れるような雰囲気ではなかった。故に、一度店の中を見てみたいと思いつつも、みすぼらしい自分では足を踏み入れようという考えすら浮かばなかったのだ。

 魔術にも錬金術にも詳しくない少年は、これ以上のことなど知る由もないが、錬金術とは、物と魔術を繋ぐ要となる技法である。現象を引き起こす魔術式を核とし、その式を形ある物に繋ぎとめる。その後様々な技術を駆使して、魔術師の手を離れた後も作動する品物を作るわけだが、魔術師の中でもこの段階、すなわち錬金魔術師にまで至れる者は決して多くない。更にここギルガルド王国以外の国では、魔法適正者が多いため魔術と錬金術があまり栄えていないことも相まって、錬金術商品は非常に高価なのである。

 つまり、この商店街の店々は、広大なリアンジュナイル大陸でも数少ない錬金魔術師によって作られた品物を並べているのだ。

 しかし、それを知っているのか知らないのかは判らないが、半歩前を歩く男に躊躇う様子はなく、少年は困惑してしまった。改めて見た男は、そりゃ体格や纏う風格のようなものはなんだかとてもすごそうに思えるけれども、服装は平民層の傭兵のもので、とてもではないが高級店に入るのに向いている格好だとは思えない。これではつまみ出されてしまうのがオチではないだろうか。

 少年の心配はやはり的中したようで、取りあえず適当に眺めてみようかと言った男が立ち並ぶ店の一軒に入ったところで、警備員らしき男たち三人に囲まれてしまった。一緒にいる彼ほどではないが背が高く体格も良い大人に囲まれて、少年は思わず首を竦める。威圧感のある大人は苦手なのだ。

「お客様、何の御用でしょうか」

「お客様に対する態度ではないな。この子が怯える。やめてもらおうか」

 少年を守るように背に隠した男が言うが、警備員たちは飽くまでも場違いな平民層を追い出す姿勢をやめようとはしなかった。

 だが、こういう対応になるのも仕方がない。高級店というのは、商品の良し悪しは勿論のこと、貴族への商売である以上信頼で成り立っているところがある。そんな店にとって、窃盗や強盗は金銭以上の損失をもたらすことになるのだ。故に、店にふさわしくないだろう客を入口の時点で追い返すのは重要かつ妥当な判断である。

「悪いが、私とこの子はれっきとした客だ」

 そう言って男が懐から出した紙を警備員たちに見せると、途端に警備員の顔色が青ざめる。

「た、大変失礼致しました。ロンター公縁のお方でしたか」

 言葉と共に深々と下げられた頭に、少年は何が起こったのか全く理解ができなかった。

(ロンター公って誰だろう)

 まあどこかの貴族か何かなのだろう。そして、この男はその貴族の知り合いか何かなのだろう。なるほど、それならまあ。滲み出る気品のようなものの理由にもなるし、納得がいく。貴族の知り合いがどうして傭兵をしているのかまでは判らないけれど。

 困惑するも、男に促されて商品に目をやれば、美しい細工にため息が出てしまう。ゆっくり見れば良い、という男の言葉に甘えてひとつひとつを丁寧に見ていると、店員らしき女性から触っても構わないと言われ、びっくりして少し肩が跳ねてしまった。勿論、こんなに綺麗で高価な物に触れるなんて恐れ多いと固辞したが。

 男は男で、こういう類の物はすぐ壊してしまうからと遠慮をしていたのだが、品物に夢中の少年の耳には入っていないようだった。

 その後も商店街内の色々な店を見て回ったが、追い出されかけたのは最初の一軒のときだけだった。恐らく、ロンター公とやらの関係者が来ているという話が伝わったのだろう。どこに入ってもやたらと歓迎されてしまって、少年にとっては、それはそれで肩身が狭い思いだった。しかし並ぶ商品たちは、その肩身の狭さを忘れさせてしまうほどに美しく、結局二人はすべての店に足を運んでしまい、最後の店を出るころにはすっかり昼を回ってしまっていた。

 それに気づいた途端、少年のお腹が控え目に鳴る。その小さな音が聞こえてしまったらしく、少し笑った男から遅めの昼食にしようかという提案を受け、頷いた。どこへ行くのかは知らないが、お腹が減っているのは事実だ。でも、できれば人があまり多くない場所がいいな、と思いつつ男に連れて来られたのは、これまた高級料亭だった。確かに人は多くない。しかし、これはこれでとても居心地が悪い。

 最早値段を見るのも恐れ多くて、結局食事の間中視線を落としっぱなしだった少年だが、それでも男が頼んでくれた料理はどれも美味しかった。正直、緊張しすぎてあまり味を覚えていないが。

「次は、そうだな。少し買い物に付き合ってはくれんか?」

「買い物、ですか?」

「この後行く場所のことを考えると、買っておいた方が良いものがあるのだ」

「はあ。構いませんが」

 一体どこに行く気なんだこいつは、と思いつつそう返せば、ありがとう、と微笑まれた。

 そのまま男に連れられ、やってきたのは案の定貴族向けの服飾店だった。例によって例のごとく一度追い出されそうになったが、男の出した紙切れ一枚で店員の態度が一変する。段々それにも慣れてきた少年が、一体何を買いたいのだろうかと静かに店内を眺めていたところ、店員と何かを話している男の口からいきなり自分の名が出てきて、驚いて男の方を振り返った。

「キョウヤに似合う服や靴を一式頼む。上等なものを用意してやってくれ」

「え、あ、あの、」

「ああ、私からのプレゼントだ。デートにプレゼントは付き物だろう? 本当はテディベアが良いのだろうが、それはまた次の機会にしよう」

 色々とツッコミどころは満載だったというのに、何故か少年の口から出た言葉は、

「……なんで、テディベア……?」

 混乱しすぎて最もどうでも良い部分に言及してしまったが、混乱していたのだから仕方がない。

「うん? 贈り物と言えばテディベアなのだろう? 大きければ大きいほど喜ばれるそうだな」

「……はあ」

 思えばここで明確に否定しなかったことが、未来永劫ちょっと困った事態を引き起こす結果になるのだが、それはもっと後の話である。

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