不審な訪問者 1

 円卓の連合国がひとつ、金の王国、ギルディスティアフォンガルド王国。赤の王国の隣に位置するこの国の首都ギルドレッドでは、レンガ造りの趣深い建造物や出店が並び、実に多国籍の人々で溢れ返っている。それもその筈、この国は様々な土地から流れきた移民により作られた、新参の国家なのだ。しかし、その規模は円卓の中でも大きく、最大規模を誇る銀の王国に次ぐ程だった。

 そんな首都の中心からは少し外れた一角に、こぢんまりとした店があった。中心地程の賑わいは見せないものの、それでも首都だ。人の通りは多く、立ち並ぶ店も人の出入りがそこそこ激しいようであった。しかし、どうにもその店は賑わっているようには見えない。理由は単純である。その店『水月』は、個人経営の刺青師の店だったのだ。

 店の玄関を潜ってすぐの応接間を越えたところにある小部屋。畳張りのそこでは、敷かれた布団に横たわる客に、刺青師が刺青を施している最中だった。驚くべきは、その刺青師が十五歳ほどの子供であるところだろう。

 客の背に丁寧に墨を刺す少年の額を、波うつようなくせ毛の黒髪が撫でる。少しばかり伸ばし過ぎと言える長さだ。前髪も長く、時折その視界を遮って作業の邪魔をしているのではないかと思えるほどだったが、少年が気にした様子はなかった。もともと視界が悪いことには慣れているのかもしれない。何故なら少年は、片目だったからだ。と言っても、片方の目が潰れているとかそういうことではなく、ただ単に右側の目が黒い眼帯で隠されているというだけの話だったが。

「痛みは、大丈夫ですか?」

 作業の手を止めずに少年がそう問う。幼い顔立ちに似合いの、少々高めの声だった。

「ああ、鏡哉くんは上手いからな。さすがに痛くない、とは言えないけど」

「それなら良いのですが」

 少し笑みを含んだ言葉に対し、僅かばかりの嬉しさを滲ませて微笑んだその顔は、なるほどとても子供らしい。自分の仕事の腕を褒められたのが、嬉しかったのだろう。

 その後も、時折世間話のようなものを交わすくらいで、二人の間にはこれといって目立った会話はなかった。そうして今日の分の彫りを済ませ、少年が一息つく。

「今日はここまでです。腫れが引いた頃に、また来てください。続きを彫りますので」

「ああ、ありがとよ。次もよろしくな」

 起き上がって身支度を整えた客が、愛想良く笑いかける。そんな彼に若い店主は笑みを返したがしかし、先程見せた年相応のそれとは似ても似つかない、どことなく不自然さを感じさせるものだった。心からの笑顔というよりも、どこか人工めいた風な。例えるならば、そう、白熱電球の明りのような、白々と明るくあたたかみのない何か。

 しかし客の方は少年の表情に対し、特に目立った反応を示すことはなかった。本気で店主の微笑みに潜む違和に気づいていないのか、気づいてはいるが別段気にも留めないだけなのか。前者は勿論のこと、後者である可能性も大いにある。何故なら、鏡哉と呼ばれたこの少年がなんとなく気味が悪い造り物の笑みを浮かべるのは、いつものことだからだ。

 造り物じみた笑みを貼りつけたまま、少年は小部屋のドアを開け、どうぞ、と言って客を通し、自分も部屋の外へ出た。そして、応接間で二言三言とりとめもない言葉を交わして、客を見送った。

 取り敢えず、今日の予約分の仕事はこれで終わりだ。そろそろ夕方に差し掛かった頃なので、跳び込みさえなければ、店を閉める時間までのんびりと時を過ごすだけである。そして大体はそうなるものだったのだが、今日は違ったようだ。

 不意に、カランカラン、という鈴の音が響いた。玄関の扉についている鈴の音だ。そしてそれは、玄関の扉が開いたこと、すなわち、新たな客人の訪れを意味する。

 少年が扉の方へと視線をやれば、果たして、大柄な男がゆっくりと店内に入ってきたところだった。粗末な訳ではないが、決して高級でもない、比較的質素な服に身を包んだ男の身体は、服の上からでも鍛えられていることが伺えた。

 店内を見回すようにしながら入って来た彼は、少年に気づくと、やけに人懐こい笑みを浮かべた。対する少年も、常の微笑みを顔に浮かべる。

「やあ、こんにちは」

「こんにちは」

 立派な体躯からは想像しにくい、低くも優しい声だった。

 しかし、よく判らない男だ。がたいが良いことや背が高いことは把握できるし、年齢が恐らく三十に満たないくらいであろうことも予想がつくのだが、どうしてか、容姿に関するそれ以上の情報が入ってこない。顔を見ているのに、その顔に薄膜でも掛かっているような、不思議な感じだった。それでいて仕草や表情は霞なく伝わってくるのだから、何処となく不気味である。

「店主殿はお留守かな? もし遠出ではないのであれば、少し店内で待たせて貰いたいのだが」

「……ああ、いえ、……僕が、店主です」

 その言葉に、男は素直に驚いた表情を見せた。

「お前のような子供がか?」

「はい」

 侮るような物言いに少し引っ掛かりを覚える少年ではあったが、そんな素振りは見せず、にこりと笑みを顔に貼りつけ続ける。だが、何か思う所があったのか、男はすぐに軽く頭を下げた。

「申し訳ない。店主殿を軽んじる気はなかったのだが、さすがに驚いてしまった。しかしその若さで店主とは。見たところ、まだ十五歳ほどのようだが」

 もしかすると十五にも満たないかもしれない、という思いを隠すこともなく男がそう言えば、少年はやはり白熱電球の笑みのまま口を開く。

「十七です。お察しの通り、若輩の身ですね」

 柔らかく言い、決して表には出さないものの、やはり少年は気分を害されたようだった。そしてそれを見透かしたかのように、男が再び頭を下げる。

「度々申し訳ない」

「いえ、そんな。お気になさらず。よくあることですし。そんなことよりも、この店に来たということは、刺青のお話でしょう? どうぞそこのソファにお掛けになってください。今お茶を用意しますので」

 しかし、ソファを示してからお茶の準備に行こうとした少年を、男の声が引き止めた。

「いや、そうではないのだ」

「……はい?」

 そうではない、と言うが、ここは刺青の店だ。それ以外の用事とは、一体何だと言うのだろうか。

「店主殿に尋ねたいことがあってな」

「僕に、尋ねたいこと?」

「ああ」

 ひとつ頷いた男が、訝しげな表情を浮かべた少年を見つめ、話を続ける。

「少々不躾な質問になってしまうのだが、……刺青師の元を尋ねる客となると、堅気ではない者もそこそこ来るのだろう?」

 本当に不躾な質問だ、と少年は思った。だが、まあその程度の質問であれば、答えない必要はどこにもないだろう。

「そうですね。中にはそういったお客様もいらっしゃいます。僕はそういった方も、僕の腕を求めて来てくださっている以上はお客様だと思っているので、お断りするようなことはありませんけれど」

「なるほど。では、もうひとつ。先に言い訳をすると、これは店主殿を子供と侮っての質問では決してないのだが。……そういった顧客について、知っていることを教えて頂くことはできないだろうか」

 酷く真剣な声で言われた言葉に、しかし少年は苦笑するしかなかった。

「そう、言われましても……。お客様の情報を、今会ったばかりの貴方にお教えする訳にはいきません」

「やはりそうか。いや、それこそ正しい店主の有り方だな。……では、会ったばかりでなければ良いのか? 例えば、私が店主殿と友好を深めた暁には教えてくれると?」

 男の言葉に、少年は少しおかしそうに笑って見せた。

「面白いことをおっしゃいますね」

「そうだろうか。これでも一応本気のつもりだったのだが」

「ご冗談がお好きなようです」

 にこりと少年は笑みを深めたが、それはただ笑顔の形をとっているだけだ。寧ろ先程よりも熱の無い明るさを増したそれは、彼の言外の意図を伝えるに充分だった。隠すつもりがないのかと思うほど強く示された、直接的ではないが明確な拒絶の意思。男の存在を自身からシャットアウトしようというそれを、男は違わず感じ取った。そこに立ちはだかるのは、通常であればこれ以上は無理だと判断させるほどの強固な壁だ。だがしかし、

「今は互いに互いの人となりを知らぬからな。その反応も、致し方ないことだろう」

 緩やかな微笑みを象った男は、どうやら壁を壁とも思っていないらしい。変わらず人懐こい表情をしたままの彼に、少年は内心で戸惑った。

 これ以上ないほどに穏便に拒絶を示した筈だ。相手がよほど愚鈍でない限り、大抵はこれで引き下がる。そして、返答の言葉を聞く限り、今目の前にいる男が愚かであるとは思えなかった。恐らく、彼は少年の拒絶を正確に理解し、その上で尚も歩み寄ろうとしている。正直に言って、少年からすれば心底迷惑な話だった。

 鏡哉という少年は、もうずっと、他者との深い関わりを厭い、拒否し続けてきた。かつての絶望が、悲嘆が、恐怖が。例えその記憶からおざなりに拭い去られたものだったとしても。それでも、どうしたってこびりつく残滓が、少年の歩みを止めさせ、停滞を生み、いっそ孤独なほどに強固な殻の中へと押し留めてしまうのだ。しかし少年がそれを憂いたことはない。憂いなど、忘れてしまえばいいものなのだから。

 こと記憶という領域において特化した能力を所持する彼は、しかしそれを意図的に発動させることができないが故に、突如現れた大柄な男の存在に、もしかすると僅かながらの怯えを孕んだのかもしれない。

「長ければこの町にひと月ほど滞在する予定なのだが、またお邪魔しても良いだろうか? この店は居心地が良い」

 男の申し出に、少年は白熱電球の明るさを絶やさずに微笑んで見せた。

「それでは、次はお客様として来てくださると嬉しいです」

「ふむ」

 応接間に飾られた刺青のデザイン画をぐるりと眺めてから、男はにこりと笑みを浮かべた。

「どうやら店主殿の腕は素晴らしいようだ。では、次は客として、デザインを考えて貰うところから始めるとしよう。そのついでに、私のつまらない世間話にも付き合ってくれ」

「それは有難うございます。お待ちしております」

 敢えて後半の話題には触れず、緩やかな微笑みを浮かべた少年だったが、その笑みは相変わらず人工めいた不気味なものだった。造り物のようなそれに気付いているだろうに、気にした素振りも見せない男は、ああそう言えば、と言って少年に向き直り、優雅に一礼してみせる。

「申し遅れた。私の名はロスト。刺青が完成するまでの間、よろしく頼む」

 これが、天ヶ谷鏡哉と不思議な男との出会いだった。

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