天使ノ館

聖河リョウ

第1話 花売り少年

 窓から差し込む陽光も小鳥の囀りも何もかもが煩わしい。

 教会の鐘の音が昼時を告げる。少年は毛布を頭から被り、二度寝を決め込んだ。

 給仕たちの足音があわただしく廊下を駆けていく。

 夜な夜な鳥の仮面を被った客人を迎える花の間は、今頃洒落たカフェか社交場に姿を変えているのだろう。昼間の館の顔を少年は知らない。花売りが息を吹き返すのは夜だけだ。日没後の静寂。濃紺の空に浮かぶ歪な月を好んで眺めた。

「ルシアン」

 シリルの澄んだ声音が少年の鼓膜を震わせる。

「ルシアン、起きてくれ」

「厭だ。……まだ、眠い」

「ヨアンが目覚めないんだ」

 ヨアンはシリルの同室者だ。館に来てまだ日が浅く、初物を好む客に人気が高い。淡い碧色の睛は凍りついた冬の湖に似ていた。

「どうせ仮病だろう。あいつ、臆病なんだ。この前も客に酷いことをされて泣いていた。そのうち棄てられるさ」

 花売りの未来は館の主人の一声で決まる。

 塵の掃溜めのような禽舎では花売りなど所詮使い捨ての道具だ。粗相をした者、命に従わない者は容赦なく切り捨てられる。着の身着のまま追い出される同僚の叫びをルシアンは何度も耳にした。

「仮病ではないと思う。……とにかく様子がおかしいんだよ。何度呼びかけても答えない」

「……マスターに相談したら」

「商談中だ。取り合ってもらえない」

 少年は舌打ちし、ゆっくりと身を起こした。陽光に晒された毛先が蜜色に光る。シリルを見据える双眸は春の空の蒼。生白い指先が友のリボンタイを解き、シャツの第一釦を外した。

 秘め事の痕が残る首筋に軽く歯を立て、ルシアンはシリルの動揺を愉しんだ。

「止してくれ」

 冷たい指が鎖骨をなぞり、柔らかな唇が耳を食む。ルシアンの戯れは其れだけでは止まらない。平静でいられない箇所を撫でられた時にはシリルは友を突き飛ばしていた。

 毛布を手繰り寄せ、ルシアンが意地悪く口端をあげる。

「いつもしていることじゃないか」

「……好きで、此処にいるわけじゃない」

 シリルの瞳から零れた涙がカランと音をたてて床に落ちる。ルシアンはそっと友を抱き寄せ、甘い蜜に舌を這わせた。

「泣くなよ、シリル。君の感情が昂るほどハニーカルサイトは糖度を増す。客人に齧られて指先を失ってもいいのか」

 ユニフス領で爆発的に流行した鉱玉病は海を越え、ラル・パブテスマ中を蝕んでいる。

 身体に寄生した鉱石は全身を巡り、やがて宿主の心臓を結晶化させて命を奪う。鉱石化した身体の重さに耐え切れず、事切れる者も多かった。

 治療法は未だ見つかっていない。病の進行を遅らせる薬はラル・パブテスマの掃き溜めで生きる少年たちの手には届かない。

 シリルも典型的な鉱玉病罹患者だった。彼に寄生したハニーカルサイトは蜜のように甘い。寝過ごして朝食を逃すことの多いルシアンは、シリルの指先を舐めて空腹を満たした。

「君の秘密を知っているのが僕でよかったな。マスターや客人に気づかれてみろ。一夜にしてバラバラにされちまう。あいつら、甘いモノが好物だからな」

 シリルはシャツの袖で涙をぬぐい小さく頷いた。

「……悪かったよ。君を傷つけるつもりはなかった。ヨアンの様子を見に行こう」

 寝台を抜け出し、ルシアンは軽く伸びをする。白肌に刻まれた痕を晒したまま扉へ向かおうとする少年をシリルが止めた。

「ルシアン」

「何、」

「……服を着てくれ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る