私は、自分の子供達には、<批判>や<感想>や<罵倒>や<侮辱>の違いをちゃんと分かってもらいたいと思ってて、ことある毎に子供達と話し合ってる
私は、自分の子供達には、<批判>や<感想>や<罵倒>や<侮辱>の違いをちゃんと分かってもらいたいと思ってて、ことある毎に子供達と話し合ってる。
<批判>は、大事なことだと思う。何一つ批判がない世界とか、ただのディストピアだろうなとは私も思う。
でもね、<罵倒>や<侮辱>と<批判>の区別も付けられないのは、子供のうちはまだしも、大人になってまでそれってどうなの? とは思うかな。
<イキリ○○太郎>とか<チー牛>とか<ヒキニート>とか<ま~ん>とか、それって対象を貶し侮蔑するために使う単語だよね? 相手を罵倒し、侮辱するために使ってるよね?
むしろそれ以外で使う理由ある?
つまり、そういう<蔑称>を使うってのは、相手を<侮辱>することが目的になってるってこと。
<批判>にかこつけて相手を蔑みたいだけだってのが見え透いてんのよ。
もし本当に<批判>だっていうなら、ちゃんと言葉を選ぶべきじゃないの? そんな蔑称を使わなきゃ批判もできないってんなら、それはあんまりにも『語彙が不足してる』ってもんじゃないの?
それ、子供はともかく大人としちゃ自慢できることじゃないよね?
とは言え、私自身、エキサイトしちゃったらついつい『クソが!』みたいなことを口走っちゃうからあんまり他人のことは言えないんだけどさ。
だけど、生身で自分の口で喋ってるのと違って、コメントとして文章でってことなら、読み返す時間ぐらいあるでしょ? 読み返してみて、自分の書いたコメントが相手を侮辱する意図のものになってないかどうかぐらい考えるべきじゃないの?
大人ならね。
私の場合は、それなりにいい歳した大人だっていうのもあるけど、加えて<親>だからさ、自分の子供達にその違いを教えなきゃいけないと思ってる。
普段、『躾、躾』五月蝿い人はそれこそちゃんと自分の子供に教えなきゃいけないんじゃないの?
<批判>や<感想>や<罵倒>や<侮辱>の違いを。
蔑称使って他人を侮辱するとか、完全に、
『躾ができてない』
ってやつじゃん。
そして、蔑称使って他人を侮辱してるような人は、
『自分の親は子供の躾一つできない人間です』
って公言してるのと同じだよ? もし自分の親を尊敬してるなら、自分で自分の親を貶めてどうすんの? 何がしたいの?
私の場合はむしろ積極的に自分の親の評価なんか落としてやりたいっていう願望はあるけどさ。
それ考えたら、ここまで言われても蔑称を使うのをやめない人って、自分の親を尊敬してない、むしろ親の評価を落としたい人なんだろうなって気がするよ。
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