第30話 伝えられない言葉
眩しい日差しが閉じた目に当たって意識が浮上する。
こんなに明るいのは、寝坊したからだろうか。しかし遅くまで寝た割には体が重くて動かない。
何でこんなに疲れているんだろう。
うっすらと瞼を開けて、目に映る景色がいつもと違う事に気が付く。
ホテルにでも泊まっていたっけ……?
霞がかかった頭でぼんやりと現状を把握しようとすると、甘い声が耳をくすぐった。
「クラリス」
一気に意識が浮上して、自分の現状を把握する。
私は上掛けの中で生まれたままの姿で丸まっており、声の方向に目を向ければ既に着替えを済ませたロードリックがベッドの端に座って微笑みながら私を見ていた。
「体は大丈夫ですか?」
夢じゃなかった。
本当に私、昨日この人と。
色々と自分に刺激の強すぎる記憶が思い出され、顔が沸騰したように熱くなる。
恥ずかしさの余り頭から上掛けを被って、ロードリックの砂糖のように甘い表情から逃げ出した。
けれどその稚拙な逃亡は、あっけなく捲られる事で阻止される。恨みがましい視線を向けたものの、過去最高に機嫌のよさそうなロードリックには笑われるばかりで効果が無かった。
「逃げないでください。医者は必要ですか?」
「……いえ、大丈夫です……」
「分かりました」
とんでもない沼に腰まで浸かってしまった気がする。此処から抜け出す事が出来るだろうか。
ロードリックが幸せそうにしているのを見て、心に抱えた氷が大きくなった。
彼が私をどれほど求めているか思い知ってしまったばかりに、切なさが私の心臓を締め上げる。
「クラリス?……どうしてそんな顔を?」
泣きそうな顔でもしてしまっただろうか。私は頭を横に振って、誤魔化す笑みを浮かべた。
「いいえ。何でもありません」
ロードリックは口元を引き締め、問いただしたいような顔をする。けれど私が顔を背けて拒否する姿勢を取れば、それ以上何も聞いてはこなかった。
けれど両手を寝台について、私を中に閉じ込める。そして低い声で誘惑するかのように囁かれた。
「愛しています」
答えずに顔を背け続けていると、片手で無理矢理ロードリックの顔を見させられた。少し眉を寄せて、困った顔をしている。
「愛しています」
私は繰り返された言葉にも返事をせず、頑なに口を開こうとしない。
ロードリックは切なそうに目を細めて、無防備な私の両手に自分の両手を絡ませた。
「……愛しています」
三度目も沈黙で答えた。意味はロードリックにも伝わっただろう。
「同じ言葉を返してはくれないのですね」
彼は堪えるように一度強く瞼を瞑ると、捕らえていた私の手を放して言った。
「今はそれでいいでしょう。貴女が同情、諦観、義務で私の傍にいるのだとしても、離れないのであれば」
「……すみません」
「謝らないでください。私は諦めるつもりなど微塵もないのですから」
ロードリックは立ち上がると、外出の支度をし始める。
忙しい彼がこの時間まで部屋から出なかった事はなく、私の為に待っていてくれたのだろう。
きっちりとした軍服に彼が包まれていくのに、私がこんな姿のままでいるのが如何にも今の状況を表しているようで、落ち着かなかった。
服を着ようにも少し離れた所にあり、この状態で取りに行くのが恥ずかしすぎて動けない。彼が出て行ってから支度を整えるしかなさそうだと、上掛けの中に沈みながら考える。
「そうそう。随分遅くなってしまいましたが、貴族の奥方と会う算段をつけておきました。今度の朧会に共に行きましょう」
「朧会?」
「一部の皇族、貴族だけが所属する親睦会です。我々との交流を持つ側面もありまして、所属する会員は天来衆を認識しています」
「凄い……方々ですね……」
それはひょっとして、この国で一番高貴な方々の集いではないだろうか。
私如きが行ってもいいような場ではなさそうである。しかし貴族の奥方に会いたいと言ったのは私からで、今更怖気づいたとは言えない。
手を握りしめ、しなければならない憂鬱な未来への覚悟を決めていると、ロードリックが言った。
「……クラリスの設定は、貴女のご両親へしたものを踏襲しています。朧会においてクラリスは私に惚れられ、強引に娶られた哀れな一般市民です。礼儀作法などはお気になさらず。あちらも承知の上で許可を出していますので」
それは多分、私の恥をロードリックが被ってくれるという事なのだろう。
「それに、所属会員は少ないので親族会の雰囲気に似ています。多少の無礼は気にもされません」
そうロードリックは言ってくれるが、とても真に受けることは出来なかった。ザラさんに参加までに、どうにか作法を叩き込んでもらわなければならない。
「そう固くならずとも大丈夫ですよ。朧会で問題を起こし、出入り禁止にでもなれば不都合になるのは彼方です。面と向かって争うような事はしないでしょう。利用価値でしか人を判断しない者もいますが、人柄を重視する者も当然います。クラリスなら、どなたかには気に入られると思いますよ」
「……ありがとうございます。頑張ります」
固い表情が解けない私の頭をロードリックは優しく撫でた。
「大丈夫ですよ。『人間』の貴女の方が、私より余程彼らと近しくなれますから」
「あ……」
そうか。私はロードリックをあちら側の人だと思っていたけれど、ロードリックにとってはどちらも違うのか。
それはとても、寂しい孤独のように思えた。
身支度を終えたロードリックは最後に制帽を深く被り、扉に手をかけながら私に言った。
「それでは、行って参ります」
「……どうか、お気をつけて。お帰りをお待ちしております」
愛を返せない分、せめて妻らしい言葉を送る。
ロードリックは百の言葉よりも雄弁な愛おしさの溢れる微笑みを浮かべ、扉の向こうへと姿を消した。
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