第3話 危機的状況
馬車が止まっても、目深にかぶらされた帽子を脱がされる事は無かった。だから自分が何処にいるのか全く分からない。
人目を避けるように足早に歩かされ、何処かの建物に入ったようだった。
その建物の中では何人かすれ違ったようだが、私をつれる青白い光の男を特に咎める事は無い。
恐らく彼らの組織の建物なのだろう。私の味方になりそうな人は誰もいなかった。
そして漸く帽子を外されたと思ったら、そこは小さな密閉した空間だった。
小さな机と椅子が向かい合うように二つ。それ以外には何もない。
窓もなく、内側から鍵もかからない。極めてシンプルで、生活感のない部屋だった。嫌な事に、この部屋の用途が分かってしまった。
尋問部屋だ。
男は私の頭から取った帽子を自分の頭に戻すと、どっかと椅子の一つに腰を下ろした。これまで突き付けて来ていた銃を腰にしまってくれた事だけが唯一の良い事だろうか。
「座れ」
威圧的な命令口調に逆らう事など到底考えられず、大人しく身を縮こませながら向かいの椅子に座った。
「これからお前の尋問を行う。お前の質問は受け付けない。俺の質問に答えろ。いいな」
眼光鋭く、睨みつけられる。今までの恐怖で十分に怯え切っていたので、喉もひりついて満足に動かせない。必死で頷いて抵抗の意思がない事を示した。
「名前は」
「……ク、クラリスです」
「姓から!」
直ぐに机を強く拳で叩かれ、驚いて小さく椅子の上で跳ねてしまう。
「キーリー・クラリスです!」
男は私の怯えた様子に鼻を鳴らし、馬鹿にしたような顔をした。まるで何もかも演技だと思っているかのようだった。
「職業は」
「喫茶店の店員です」
「出身は」
「ゾナーク地区です」
「何の為にあの場所にいた。何の為に俺をつけて来た。目的は何だ」
一瞬なんと答えたらいいのか迷う。光って見えると言って、信じてもらえないと思ったからだ。けれどその躊躇を悪い方に解釈したらしく、男はまた激しく机を叩いた。
「答えろ!」
「親に焼き菓子を買えって言われていたんです!」
どうやら沈黙は事態を悪化させると気づき、男の質問になるべく素早く回答する。
「それで、光って見えたから好奇心で後をつけました。本当にそれだけなんです!」
「光って? 何をふざけた事を言っている」
何も信じていない声色で、少し苛立ち混じりに男は言った。
「本当なんです。今も、貴方の事が少し青白く光って見えるんです! それで服や顔が変わっても、その光を目印にして後をつけたんです。何で光って見えるのか知りたかったから!」
必死に負けじと強く主張した。これを信じてもらえなければ、いい方向に転がる事は無いだろうと分かったからだ。
じっと彼の目を見つめ返していると、男は何かを思ったらしく顔色を苦いものに変えた。
「光って見える? 判別する方法を見つけたのか? そんな馬鹿な。研究施設は……、いや、いつから俺達に気が付いた? 何処の部隊だ?」
男はぶつぶつと私には分からない質問をする。
「なんの事ですか?」
「答えろ! 何処の部隊の所属かと聞いている!」
「分からないんです! 部隊って何の事ですか!?」
「ただの人間が、俺達の判別がつくわけがないだろう! 何の機械だ? それとも特化した訓練を?」
「分からないんです!」
「いい加減にしろ!!」
何もかも話が通じなかった。男の質問が何も分からないのに、何かを決めつけてくるからまともに答える事が出来ない。男の眉が吊り上がり、段々と苛立っていくのが分かった。
「最重要機密だぞ! 嘘を吐くならまともな嘘を吐け。今まで、俺達の判別がついた人間は誰もいなかった。分かるか? 誰もだ! 国家規模でなければ、俺達に接触さえ出来ない筈だ!」
「私、本当に……」
男の望む答えを言う事など出来やしなかった。そしてそれが男の逆鱗に触れた。
大腿の上に拳を握って置いていた私の左手を掴むと、机の上に引き出して強く押し付ける。
そして見せつけるようにしまっていた銃を再び取り出し、安全装置を外して私の左手に突き付けた。
まさか、撃つつもり……!?
今までも血の気が引いて青くなっていた顔が、更に超えて白くなる。恐怖で歯がガチガチと音を鳴らし、その瞬間を目撃したくない一心で強く目を閉じて顔を逸らす。
「止めて、止めて! お願い!」
「言え!」
言えって! 何を!?
今まで生きてきて、こんな恐怖を味わった事は無い。心臓は破裂しそうに脈を打ち、額からは冷や汗がどっと噴き出している。現実を認識したくない。
もうただ恐慌し、涙を流して少女のように泣きわめいた。
「お願い! 私の話を信じて!」
「強情な……」
いよいよ男がその引き金に力をこめようとした時、場違いに丁寧なノックが部屋に響いた。音の聞こえた扉に向かって、男が苛立った顔を向ける。
「今尋問中だ! 後にしろ!」
怒鳴りつけたその声に対し、酷く冷静な声が返ってきた。
「私です。ロードリックです。入りますよ、ブルーノ」
ブルーノと呼ばれた男の剣呑な空気が、一瞬で変わったのが分かった。驚き、狼狽えている。まるで恐ろしい教師を目の前にした生徒のようだった。
「は、……はい!」
ブルーノは上ずった声で慌てて私の手を放し、銃を即座にしまうと扉を開けて向こう側の人物を迎え入れる。
私は涙でぼやける視界で、扉の方を向く。そこに立っていた人物が誰だか判別がついた時、驚いて目を見開いた。
「常連さん……」
そこに立っていたのは、あの白く光る喫茶店の青年軍人だった。彼はあの店に来る時と同じように軍服を羽織っており、私を見て顔色を変えることなく静かに室内に足を踏み入れた。
「ロードリック様、危険です。どうか外へ。この女、明らかに私を識別して尾行してきました」
ブルーノの心からの心配を、ロードリックさんは片手をあげる事で黙らせる。明らかに上下関係があるのが見て取れた。おろおろと隣で気をもむブルーノに対し、冷静に懐からいつもの手帳を取り出した。
私はどうやら空気が変わったのを察し、机の上で硬直していた自分の手を胸に寄せて労わる。強く掴まれた場所が酷く痛んだが、風穴が空かなかっただけマシだ。
白く光る常連さんが現れたという事は、この場所はきっと光る人達の本拠地なのだろう。
彼の光る性質は遺伝ではないかと考えてもいたが、どうやらこの分ではその説は否定されそうだ。しかし最早、この謎に対して追求しようなどという気力は持てなかった。
唯々自分の身に起きている事が恐ろしく、身を縮めて新しく増えた人物が運命を変えてくれる事を願った。
ロードリックさんは私からの祈りの視線と、ブルーノからの心配の視線を受けながら手帳のある頁を開いて指で固定させる。そしてそこに書かれている文章を淡々と読み上げた。
「キーリー・クラリス。年齢一八歳。陸軍キーナ支部近くの喫茶店レテの店員。勤務態度は遅刻もなく真面目。アララト中学校卒。卒業時の成績は優。父親はキーリー・テッド。母親はキーリー・セシリー。宝石業を営んでいる。兄弟はおらず、実子ではなく養子であるが、家族関係は極めて良好。恋人はおらず、頻繁に連絡を取る友人は七名。いずれも全く裏がなさそうな一般市民です」
それは私の詳細な個人情報だった。私とブルーノの驚きの表情を受け、ある程度の所で切り上げて手帳を懐にしまう。
「何処まで探っても平凡な個人情報しか出てきませんでした。ブルーノ、恐らく彼女の言っている事は正しい」
ブルーノは予想外の人物からの情報に、口を二三度開閉させた後、掠れた声でロードリックさんに尋ねた。
「ロードリック様。この女……いえ、この方の事をご存じで?」
ブルーノは私と彼を見比べて、知り合いだとしたらまずい事をしたと思ったらしい。
「彼女は私の行きつけの喫茶店の店員です。そしてどの姿で行っても見分けられるようでしたので、最近調査をしていました」
「そ、そうでしたか」
そこまで親しい仲ではないのを知り、ほっとしたようだった。そんなブルーノに対し、ロードリックさんは相変わらずの淡々とした丁寧さで言った。
「とはいえ、クラリスさんの特殊性は見過ごせません。議会を開くように通達を」
「はい、承りました」
ブルーノは急ぎ足でこの部屋を出て行った。私はどうやら尋問は受けずに済むようだったが、状況が好転したのか悪化したのか判別がつかない。
怯えながら残ったロードリックさんを見上げていると、彼は腰をかがめて私と視線を合わせてくれた。その行動に気づかいを感じ、少し緊張感が和らぐ。
「どこか、痛みますか?」
「……いえ」
「ブルーノが貴女に失礼をしました。けれどどうか、許してやって下さい。彼は、私達は、常に命の危険と隣り合わせの任務に就いている。仲間以外は誰も信じる事が出来ないのです」
彼が私の事を一個人として尊重してくれているのを感じた。だから私はずっと疑問に思っていた事を聞いてみる。
「貴方達は、一体何者なのですか?」
ロードリックさんは一瞬黙って迷いを見せたが、私を誤魔化す事が出来ないのを悟り、覚悟を決めて口を開いてくれた。
「我々は人間ではありません。姿を変える事が出来る能力を使い、この国の諜報部隊として活動しています」
「人間じゃあ、ない……」
呆然と呟いた。薄々ただならぬ存在だとは思っていたが、本人から事実として言われた衝撃は思った以上のものだった。
この世界には髪の色が違う人間がいる。目の色が違う人間がいる。けれども、人間ではない生き物が人間に混じっているなどと、一体誰が信じるだろう。
改めて目の前の人物を観察してみる。金の睫毛が瞬きをし、その目は青く湖畔のようである。肌は女性のようにきめ細やかで、稀に見る美しい青年であるのは間違いない。
けれど人間から逸脱しているかと問われれば、それは違った。現に私は今まで彼が人間であるのを疑った事はなかった。
「私は人間ではない一族を、首長として纏めています。クラリスさんの能力は、我々の存亡をも左右する。これから議会を開き、どうすべきか皆で話し合わねばなりません」
言われた深刻な事態に、冷静を努めながら頷く。
「出来る限り悪くはならないように、努力をします」
確約されなかった事に泣きたくなる。けれどこれは、虎の尾を踏んだ私への罰なのだ。
ロードリックさんがこうして気にかけてくれている事だって、奇跡に近い事なのだと自覚していた。
「ありがとう、ございます。……よろしくお願いします」
眦から涙が一粒零れ落ちていく。深々と頭を下げる私を、ロードリックさんは同情的な眼差しで見つめていたのだった。
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