果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~
戌島 百花
第1話 気になるあの人
「結婚しましょう」
その一言を、どれだけの女性が憧れているだろう。まして目の前でその言葉を発したのは軍人将校、眉目秀麗、性格良好と目を疑うような好条件の男性である。
しかし場所は険しい顔をした人々が並ぶ会議室であり、その男性以外は敵意や疑心を抱いた視線を私に降り注いでいる。
私は体を縮こませ、まな板の上の鯉のようにその言葉を聞いた。彼だけは私に同情的な表情をしつつ言葉を続ける。
「さもなくば、命の保証は出来ません」
こうして私の運命は、背筋も凍るような冷たい空気の中で決められたのだった。
このアビークという国は、つい数年前まで戦争状態にあった。こちらは小さな海洋国家であるのに対し、相手は大陸北部に広大な土地を持つ大国オルテガである。
負けるのを悟りつつもこのまま占領されてしまうよりは、といった気持ちで振り上げた拳は、意外な事に彼方の急所に当たったらしい。
小さな勝利を積み重ね、兵を次々と送り出し、近隣地域の支配権の条約を殆ど対等に締結する事に成功した。これは国力から考えると実質、勝利と言っても過言ではない。
政府も新聞も、この予想外の結果を華美な言葉を並べて祝えと煽る。そうしなければあまりの犠牲の多さに前に向けない、世間の悲しみが垣間見えた。
そんな複雑な雰囲気の中、兄弟のいない一人娘の私は悲劇に直面する事もなく、多少呑気に喫茶店で給仕の仕事をしているのだった。
「いらっしゃいませ」
ドアベルの音に視線を向けると、軍服姿の青年が入ってくる所だった。
艶めく金髪、背筋の伸びた軍人らしい動作、整った顔立ち。街中でも思わず振り返ってしまうような美青年の彼は、この喫茶店の常連客である。
給仕である私はいつもの場所へと案内し、腰を落ち着けたのを見計らって注文を取りに行った。
「お決まりでしょうか?」
「ええ。珈琲をお願いします」
いつもとても丁寧に対応してくれる。しかし、彼は全く必要以上に会話をしようとしないので、頭を下げると邪魔にならないように直ぐに厨房へと伝えに行った。
厨房付近で待機している同僚の給仕とすれ違った時、うっとりするような溜息が聞こえた。勿論、彼に聞こえないように配慮はされている。
軍服につけられた星の階級を見分ける知識はないが、数回出くわした他の軍人との会話から察するに恐らく将校である。
軍人とはいえ、喫茶店のような気を抜く場所では普通は背を曲げて好きなように寛ぐものだが、彼に限ってはそんな素振りを見た事がない。
どんな時でも皇帝と共にいる時のような優雅な立ち振る舞いに、彼が極上の男性的魅力を有している事は女性であれば誰しもが認める事実だった。
来てくれる度に、喫茶店の女性達の胸が躍ってしまうのは仕方がない。
かく言う私も彼の事が気になる内の一人である。しかしその理由は、彼の眉目秀麗な容姿はあくまで理由の一つに過ぎない。
それよりも更に重大で、好奇心を抑えきれない魅力が私には見えていた。
……今日もやっぱり、光ってる。
そう、目を凝らすと彼の周りに数センチほどの白い光の帯がうっすら見えるのである。最初見た時は、目がおかしくなったかと思った。
慌てて同僚の人にも確認したのだが『貴女、それは恋よ』なんて見当はずれな意見を貰ってしまう始末。
他の人には見えないらしいのを確認しただけで、原因は全く分からなかった。
今日もまた、彼の周りには光が煌めいていて、窓際でもないのに淡く輪郭を浮き上がらせている。
ううーん、これは一体何だろう?
そんな理由で、私は周りの乙女達に混じって彼に熱心な視線を送ってしまうのだった。
「お待たせしました」
淹れたての珈琲を机に置く。彼は少し視線を私に向け、社交辞令の薄い笑みを一瞬浮かべた。
「ありがとう」
私は一礼して下がり、また離れた所からこっそりと観察させていただく。
角砂糖は二つ。混ぜるものの、いつも彼は直ぐには口をつけない。腕を組んで考えを纏めるような仕草をし、数分経って熱さが落ち着いてから啜るのだ。
そして一気に半分ほど飲むと、懐から小さな手帳を取り出して書き留める作業をする。
それが簡単に済めば窓の外を眺めながら最後まで飲み干すし、上手く纏まらない様子の時は眉間に皺を寄せて珈琲の事など忘れてしまう。
珈琲を飲み終わった後はテーブルを人差し指で数度軽く叩く。今日はどうやら、上手くいった日だったようだ。
いつもと同じ行動。私はすっかり覚えてしまった。
「……やっぱり、同じよね」
誰にも気付かれないようにぽつりと呟く。同じなのは、毎回の彼の行動という意味だけではなかった。
実はもう一人彼と同じように白く光る常連客がいるのである。
その人は老紳士で、新聞を片手にふらりと立ち寄る。そして珈琲を一杯注文すると、角砂糖を二つ投入し、以降も全く青年軍人と同じ行動をとるのである。
ここで休憩していく時間も約三十分と大体同じ。この奇妙な一致は一体何を意味しているのだろうか。
私だけの彼の不思議を楽しみつつ、彼の視線の先を追う。窓の外には手を繋いで歩く親子連れの姿があった。
もしかして、家族なのかしら。
天啓のようにその仮説が脳裏に浮かんだ。目の前の光る彼と、老紳士。二人は家族なのかもしれない。
そうだとすれば二つの謎に説明がつくのである。光って見えるのは遺伝した体質で、行動がよく似ているのも共に暮らす家族であれば説明がつく。
そうだ、そうに違いない。
私はこの数か月、光る彼を目撃してから悩んでいた謎が解けてとてもすっきりした晴れやかな気持ちになる。
依然としてどうして光るのか、何故私にしか見えないのかという疑問は残るが、ともかく光る体質の人物が二人いる事には説明がついたのである。
給仕を何てことないふりをして続けつつも、自分の考えの正しさを何度も確かめ、悦に浸る。
もし光るのが私以外にも見えたなら、誰かにこの仮説を説き肯定してもらいたい気分だった。
けれど誰にもそれを実行できず、吐き出しようもない興奮が渦巻いて胸を騒めかせる。
そうしている内に、彼が片手を上げて給仕を呼んでいる姿が見えた。時間的に会計だろう。直ぐに席へと向かう。
「会計を」
「はい、五ベルになります」
真面目な給仕の顔をして、彼の手から硬貨を受け取る。彼は荷物を纏め、席を立ち上がろうとした。
「あの、」
それは思わず出てしまった声だった。自分でも驚いて、口を急いで押さえた程である。
ずっと悶々と悩んでいた謎が解けた喜びが、私の真面目な仮面を剥いでしまったらしかった。
高級志向の喫茶店であるだけに、給仕にはそれなりの礼節が求められている。明らかな逸脱行為で、後で怒られるのは間違いがなかった。
後悔したが今更声をなかった事には出来ない。私の前には驚いた顔を向ける彼の姿があった。
「なんですか?」
気分を害した訳ではなさそうだった。
どうせ後で怒られるならば聞いてしまおう。意を決して口を開く。
「ご家族でこの店を利用されてますか?」
彼は表情の読めない真顔になって、私の失礼な質問に答えてくれた。
「いいえ」
どうやら仮説は間違いだったようだ。その事実に打ちひしがれ、自分のしでかした事が恥ずかしくなり顔を赤くして頭を下げた。
「勘違いでした。申し訳ございません」
頭を上げると、彼は何故だかじっと私の顔を見ていた。無礼者だと思っているのだろうか。
戸惑う程の時間の後、ようやく視線を外される。
「お仕事頑張って下さい」
彼は相変わらずの礼儀正しさで私にそう言い、荷物を片手に持って店を出て行った。
やらかしてしまった。
落ち込みながら厨房に視線を向けると、張り付けた笑みの先輩が私を見ている。
これからお叱りがあるのを覚悟し、重い足取りで厨房の奥へ歩き出すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます