第182話 高校総体自転車ロード 第2ステージ(銚子大橋〜大洗港)④

 ゴールまで残り10kmを切り、息切れし始めたスプリンターチームのアシスト達に代わって、再び総合有力チームがメイン集団を牽引して逃げ集団を追い始めた。

 逃げ集団を追い始めたというか、ゴール前3km地点を目指してのリスク回避のためのポジション争いを始め、一層ペースが上がったという状況だ。

 ゴール前3km地点を通過すると、その後の落車やメカトラブルなどによる遅れでのタイム差はカウントされずに、メイン集団と同タイムでのゴールが認められる。

 なので、総合優勝を狙う選手を抱えるチームは、早く3km地点へ辿り着きたいと思うし、3kmまでは落車による遅れでも、総合成績でタイム差が発生してしまうため、落車に巻き込まれにくい、メイン集団の前方に位置したいと思っている。

 慶安大附属の露崎を守るために、植原、阿部が、清須高校の岡田を守るために山賀、赤井が、洲海高校の尾崎を守るために丹羽、千秋が、神崎高校の船津を守るために郷田、冬希が、福岡産業の近田を守るために舞川、立花が、それぞれ自分のリーダーが集団前方を確保できるように、位置取り争いを始めた。

 先頭を牽引するのは清須高校の山賀で、岡田は最も安全なメイン集団の2番手の位置に収まっている。2番手なら、先頭の山賀が落車しない限りは、岡田は巻き込まれることはない。逆に岡田が巻き込まれるということは、その後ろの選手達全員が巻き込まれることになる。

 神崎高校は、メイン集団のペースが落ちた場合、そのタイミングで郷田が先頭に出て逃げ集団を捕まえ、カーブの多い大洗市街地にメイン集団のトップで突入するという計画を立てていた。完全に冬希のステージ優勝狙いの作戦だ。

 冬希は、露崎が勝たなければ、別に坂東が勝ってもいいのではないかということに気がついたが、郷田に今更

「あ、やっぱ勝たなくていいっす」

 とも言えず、ゴールに向けて集中力を高めていた。

 

 ゴールまで残り5kmを通過するタイミングで、逃げていた4名のうち、秋葉と小玉をメイン集団は吸収し、残り3km地点で、四王天を吸収した。逃げている選手の残りは、坂東のみとなった。


 ゴールまで残り3kmの標識を通過すると、清須高校と洲海高校はメイン集団の中を下がっていく。先頭を牽引していた清須高校が下がったことで、一時的にメイン集団のペースが下がった。

「よし、行くぞ」

 郷田は振り向きながら冬希に声をかけ、メイン集団の先頭に出た。

 冬希が続き、総合有力勢では慶安大附属の露崎、阿部、植原がメイン集団前方に残っている。

 スプリンターチームも前方に上がってきて、慶安大附属の後ろにつけている。

 郷田は、澱みのないペースでメイン集団を牽引し、他校に仕掛ける隙を与えない。

 例えば、郷田が時速50kmで牽引し続ければ、他校は時速50km以上で仕掛けなければならなくなる。

 郷田のハイペースの引きが、他校の仕掛けを難しくしていた。

「あいつ、すげえな」

 露崎が感嘆の声を上げる。

 しかし、郷田とてハイペースでの牽引には限界がある。まずは、ゴール前1.5km付近から入る大洗市街地まで先頭で突入することが目的で、それまでは他チームに先頭を奪われるわけには行かなかった。

 一旦市街地に入ってしまえば、コーナーの連続で最短で走り抜けようとしたら、ラインは一本になる。後ろから抜くのは難しくなる。

 

 ゴールまで残り1.5kmで、国道51号線を降りて、県道106号線を直角に右折する。メイン集団はついに、大洗市街地に突入した。

 郷田は、最短のラインで曲がっていく、冬希、露崎の順で続き、会津若松の日向、松平、函館第一の土方と、メイン集団は1列棒状でコーナーを回っていく。

 このタイミングで、郷田は一瞬前方を走る坂東の後ろ姿を見た。前の目標を見つけた郷田のペースが上がる。

 コーナーの連続するコースは、スピードに乗れない分、逃げている選手の方が有利と言われる。

 逃げる元全日本チャンピオンと、追う新全日本チャンピオンの戦いは、スピード、技術共に拮抗していたが、拮抗していなかったのは、ここまで走ってくるのに使った体力で、ずっと逃げ続けてきた坂東よりかは、郷田の方がまだフレッシュな脚を持っており、徐々に差は詰まってきている。

 メイン集団は、郷田を先頭に大貫商店街に向かって直角にカーブを曲がった。

 ここから1kmの直線があり、その先に某戦車道アニメで戦車が突っ込んだ割烹旅館がある。

 大洗市街地の中で、1番長い直線であり、郷田は後続に頭を抑えられないように、ペースを上げた。冬希も離れないようについていく。

 スプリンターチームのアシスト達も、直角カーブからの立ち上がりで集団が伸びきっているのと郷田のハイペースでの牽引で、前に追いつくどころではない。自分のポジションを維持するので精一杯だった。

 だが、そんなメイン集団の中で、一人だけ余裕のある男が、露崎だった。

 露崎は、例の旅館のある方向への左カーブで、前の冬希に並ぶと、50メートル先の右への直角カーブへ入るタイミングで、冬希を外側から抜きにかかった。

 冬希は、無茶だと思った。

 冬希がコーナーリングの途中、内側で抵抗すれば、露崎は外側に弾き出されて、大きく膨らんだ結果、商店街の店に突っ込むことになる。

 だが、冬希は、抵抗することを選ばず、外側から抜きにかかった露崎を先に行かせ、その後ろについた。

 冬希は、自転車ロードレースを始めてから、過去一度も他人の進路を妨害したり、相手を押し出したり、体をぶつけたりしたことがなかった。それは、そういった行為は自分にも落車のリスクがあると思っているからだった。

 少しでも危険がある行為はしない。仮に抵抗したところで、今度は露崎が危険に晒される。そこまでして勝ちたいとは、冬希はどうしても思えなかった。安全面を重視した結果、冬希は露崎に先行を許し、これで冬希は露崎を抜かなければならなくなった。

 郷田、露崎、冬希、日向、松平、土方と続き、その後ろのメイン集団まではごちゃごちゃした状況のまま、150mほど進んだ後、また右カーブを回る。

 坂東とはそれほど離れていないはずだが、コーナーが多く、見通しが悪いので、坂東との差がどれほどのものか、郷田にも露崎にも冬希にもわかっていなかった。


 200メートルほど走り、S字カーブを曲がりきって県道2号線に出ると、いよいよ最後の直線600mだ。

 順位は変わらず、郷田、露崎、冬希、そして後続が続く。

 県道2号線に出たタイミングで、3人は、ようやく坂東の姿をはっきりと捉えた。

 200mほど先を走っている。しかし、もう走りに力はない。ここまで逃げ続けて、流石にもう脚は残っていないように見える。

 ただ、残り600mある中で、200m先を行っている坂東を捉えるのは簡単なことではない。

 郷田は残る力を使って、メイン集団を牽引する。そして残り450mで、露崎は郷田を抜いて先頭に出た。

 冬希は、露崎の背後につけて、必死に食らいついていく。それを見た郷田が足を緩め、下がっていく。

 露崎は、坂東との差を測りながら加速していき、残り200mで坂東を抜いた。


 冬希は、ここからだ、と全神経を集中させた。露崎の動きを、一瞬たりとも見逃すまいと、露崎の後ろ姿を凝視している。

 過去の露崎のレースの動画を繰り返し見た冬希は、露崎の毎回行う動きについて分析を行った。

 露崎は、ゴール前になると、走行ラインをコース中央に移す。

 実際に目の前の露崎も、走行ラインを中央に移しつつある。冬希は、それに対して露崎の左後ろに位置をずらした。

 露崎は、右の脇の下から、後続の位置を確認する。

 この時、冬希は左後ろに位置を変えているため、露崎の位置からは見えておらず、露崎の目には、抜いた坂東と下がっていく郷田の姿、そして遅れているメイン集団の選手達が見えていた。

 冬希は、露崎が左脇の間から後方を確認するために、視線を移す一瞬を利用して、先ほどまで露崎が見ていた右側後方から一気にスプリントを開始した。

 

 露崎の死角からスプリントを開始した冬希に対して、露崎は本当に一瞬だけ気付くのが遅れた。左後方を確認しているときには、すでに冬希は右側から露崎を抜いていた。

 それでも、見えていないはずの露崎が冬希の仕掛けに気付いたのは、右側から感じた小さな空気の揺れだった。

 冬希は、露崎を抜く際に、もう少し露崎から離れて抜くべきだった。近すぎたために、冬希が期待したより早く、露崎に気付かれてしまった。

 露崎は、爆発的な加速で、冬希を追う。

 ゴール前は大歓声だ。

 冬希のリードは自転車2台分ぐらいだったが、1.5台分、1台分と徐々に差が詰まってくる。

 冬希は、スプリンタースイッチでギアを上げ、さらにスピードを上げる。

 冬希は焦った。何が光速スプリンターだ。光より速いものは存在しないはずではないのか、不甲斐ない、もっと頑張れ、自分を叱咤しながら、全力でスプリントを続ける。

 露崎は徐々に迫っている。昨日見た、ゴール直前の本気のスプリントと同じく、下ハンドルを持ち、腰を上げて姿勢を低くしている。


 普通の状態では、冬希は露崎を振り切れなかっただろう。

 だが、インターハイに入ってから、冬希の調子は今までにないほど良かった。

 そして、坂東がゴール前200mまで逃げ粘ったおかげで、露崎が後続を振り返るタイミング、つまり冬希がスプリントを開始するタイミングを遅らせることができた。

 残り150m、冬希は、なんとかスプリントを持続することができた。


 相手の死角に入ってからの不意打ちで、一回しか通用しないだろう。

 卑怯との誹りを受けるかもしれない。

 だが、今日は、露崎に勝たせるわけには行かなかった。

 露崎は、諦めて体を起こした。

 冬希は、ゴールの先50mまでスプリントをするつもりで踏み続けた。

 

 神崎高校の青山冬希は、慶安大附属の露崎隆弘にホイール半分ほどの差をつけて、高校総体自転車ロードの第2ステージのステージ優勝を決めるゴールラインを通過した。

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