第43話 始まりの始まり
4月も下旬になると、日中は少しずつポカポカと暖かくなってくる。
「いい天気だな~」
3限の数Iの授業が終わり、10分の休み時間。浅輪春奈は窓際の席から晴れ渡った空を見上げた。
「そろそろ、飛行機が出発するころかな」
自転車競技部の面々は、全国高校自転車競技会に出場するため、福岡に飛び立つ頃だ。彼らは公休扱いになっている。
春奈の恩人でもあり、親友と言ってもいい関係にある青山冬希は、朝方は学校の部室に必要なものを取りに来ており、背中越しに「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」とスーパーに醤油でも買いに行くような口調で学校のバスに乗り込み、空港へ向かって行った。
冬希がどんな心情だったか、春奈にははかり知ることは出来なかった。だが、その背中が「戦いに向かう男の背中」というものだという事を、春奈は知った。
中学の頃は、馬術競技にのめりこみ、殆ど男子とまともに話すことも無かった春奈にとって、冬希と過ごした時間は、全てが新鮮だった。冬希の存在自体が、色々と新しいことを教えてくれる。興味は尽きなかった。
首席で入学した春奈は、現在の生徒会長に、将来の生徒会役員候補として、生徒会の手伝いをしてほしいとお願いをされていた。一旦回答は保留にしているが、内心ではもう断ることは決めている。
女癖が悪いとの噂のイケメン生徒会長。噂のことはどうでもいいが、今思い出すと、彼の背中は、今朝の冬希の背中に比べると色々と物足りない気がした。それに何よりも生徒会の活動自体にそれほど興味を持つことが出来なかった。人にも活動にも興味が持てないのだから、手伝いをする理由は何もない。
興味のない生徒会の話は頭の隅に追いやって、また冬希のことを考える。
最終日は、応援に行くねというと、4日目ぐらいで帰ってくるかも知れないから、期待しないでと言っていた。なぜ4日目なのかはわからないが、予約した飛行機のチケットが無駄にならないことを祈りたい。
「飛行機、落ちないよね」
物騒なことをつぶやくと同時に、次の授業の教師が、教室に入ってきた。
もう一人、羽田空港から福岡へ飛び立つ冬希に思いをはせる少女が居た。
冬希と同じ中学出身で、同じ神崎高校に通う、荒木真理だ。
真理は、中学の卒業式以降、冬希と話が出来ていなかった。卒業式の日に啖呵を切ってしまったため、真理から話しかけづらくなってしまったのだ。
真理は、高校に入ってから吹奏楽部に入部した。ファゴットという楽器を担当することになったが、まだ殆どまともに吹けない。
同じ新入部員でも、中学の頃から楽器をやっていた子は、既に上手だ。焦りもある。
そして、入学以降、一度も声を掛けに来ない、冬希にも不満があった。一度も話さないまま、冬希は自転車競技部で活躍し、全国大会に行くことになっている。これでは、活躍してるから擦り寄っているように、周囲に思われてしまいそうだ。
冬希自身は、そんな目で真理を見たりはしない。そういう男だ。それは真理にもわかっていた。だが、周囲の印象を考えると、一層冬希に話しかけづらくなってしまった。
「はぁ、意地なんて張るもんじゃないね・・・」
今頃は飛行機の上で、暢気な顔で居眠りでもしているのだろうか。真理は、冬希のたれ目がちの顔を思い浮かべた。
冬希が置かれた環境は、真理が想像しているより大変なものだった。
飛行機に搭乗後、ずっと先輩の柊が腕にしがみついている。柊は涙目で顔面は蒼白だ。
羽田空港に着いた冬希たちは、特に出発式とか、見送りとかなく、そのままJALの飛行機に搭乗した。
座席は、柊の隣だったが、乗る前から「落ちないよな!?落ちないよな!?」と怯えている。兄の潤曰、毎回飛行機に乗る時はこんな感じらしい。いつもは、潤が隣でなだめていたようだが、今回は、窓際が冬希で、その隣が柊。前の席が船津と郷田、後ろの席が潤という並びになっている。
神崎理事長は、県庁への陳情があるということで、第1ステージは現地に来られないという事だった。学校内でTVで見てるからと言っていた。
他のお客さんの目もあるので、機内で「落ちる、落ちる」というのは何とかやめさせたが、ずっと怯えたままだった。
おかげで、冬希は福岡空港に着陸するまで、腕を柊に掴まれたまま、一睡もせずに宥め続けることになった。
空港に到着すると、地下鉄に乗って唐人町で降りて、歩いてホテルヒルトン福岡シーホークにチェックインした。ホテルは、大会主催者側が確保したものだ。
自転車は既にホテルに届いており、前後のホイールをつけて、直ぐにコースの下見に出かけた。と言っても、ゴール付近の博多駅あたりまでだ。
コースの全容を走るには時間が足りない。走るコースは、主催者が配布したDVDに車で撮影した車載映像が入っていたので、それで確認することになる。
ゴール付近を確認した後、ホテルに戻って休む。船津と郷田が同室で、平良兄弟と冬希が同室という部屋割りだ。
夕暮れになってくると、ホテルからの景色の綺麗さに驚かされる。海とドーム球場、福岡PayPayドームが静かに光をたたえている。
「見ろ冬希!風呂から景色が一望できるぞ!」
柊が素っ裸ではしゃいでいる。本番前に風邪をひかれては困るので、はいはい、とタオルをかけて体を拭いてやる。お母さんか。
全員風呂に入った後、船津と郷田の部屋に3人で行き、TVで各県のチームのチームプレゼンテーションを見る。神崎高校は学校で撮ったもので、キャプテンとして船津が、ステージ1勝をチームの目標として話していた。
他の学校のチームジャージなどを頭に入れていく。ルールで決まっているため各チーム、5人同じジャージを適用しているはずだが、1名だけ違うジャージを着ている選手がいるチームがあった。佐賀県だ。
「この人だけ、なんで違うジャージなんですか?」
「全日本選手権の優勝者は、ナショナルチャンピオンジャージの着用が許されるんだ」
「だからジャージが日の丸なんですね」
どうやら、この坂東という選手は、日本で一番速い選手という事になるらしい。去年の全国高校自転車競技会優勝者の、静岡の尾崎選手とどっちが速いのだろうか。
一通りチームプレゼンテーションも見終わると時間は21時になっており、その場で解散になった。
「明日は、朝から第一ステージのスタート地点のある佐賀空港に、大会側の用意した車で移動だ。夜更かしせずにゆっくり寝るように」
船津のキャプテンらしい一言で、部屋に戻り、全員大人しく就寝することとなった。
柊が枕投げをやろうなどと言い出すかと思ったら、特にそんなことも無く、おとなしく寝ている。飛行機に乗ったので、疲れたのかもしれない。
冬希は、眠くなるまで、自室の窓から夜景を見続けていた。
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