第35話 冬希と春奈

 入学して数日は、冬希にも平穏な日々は続いた。

 自宅から35km弱を自転車で通う。交通費もかからないし、自転車の練習にもなる。

 学校につくと、職員室へ部室の鍵を取りに行き、自転車を部室の中の自転車ラックに架ける。その後、部室棟のシャワールームで汗を流して制服に着替え、教室へ向かう。

 始業は8時半だが、余裕をもって、8時前には教室に入っている。

 

 冬希は、入学式の一件があり、名が知られていたのもあって、すぐに周囲に打ち解けることが出来た。

 情報システム科、通称「情シス」は、大学に行けるだけの学力がありながら、高卒で就職できるだけのスキルを身に着ける必要に迫られている、いわば苦労人が多かった。

 自分が苦労している人間は、他人を思いやれる者も多い。そういった連中と冬希は馬が合った。


「あの、青山くん居ますか?」

「え、は、はい!」

 教室の入り口付近で声がする。冬希がそちらを見ると、入学式で冬希を新入生代表に巻き込んだ、浅輪春奈が居た。

 声を掛けられた冬希のクラスメイトが、しどろもどろになっているが、その気持ちもわかる。

 綺麗だ。と意識していなければ思わず口にしていただろう。

 それだけ周囲を引き付けるだけの美しさが春奈にはあった。


 クラスメイトに呼ばれる前に、冬希は教室の入り口に向かった。

「えっと、入学式ぶり・・・」

 出来るだけ自然を装おうとするが、動揺は隠せない。

「うん、特に予定が無ければ、今日の昼休み、一緒にお昼食べない?」

「予定・・・ないな」

 クラスの7~8人で集まって一緒にご飯を食べているが、特に約束をしているわけではない。誰かがいない時でも、特に探したりせずに残りのメンバーで食べに行く。そういう気楽さがあった。


「今日、お弁当?」

「いや、弁当箱に食べ物を詰めてきた」

「それ、お弁当って言わない?」

「お弁当というのはおこがましいってレベルのものだからね」

 冬希は苦笑いする。青山家では、一週間分の弁当のおかずを母親が日曜日に作り、毎朝自分でそれを弁当箱に詰めて、学校や職場にもっていく。なので、弁当のメニューは一週間同じものになるのだ。

 ちなみに今週はチンジャオロースだ。


「ボクもお弁当なんだけど、じゃあ、どこで食べようか」

 学校には食堂があり、持ち込みを禁止されていないが、それほど席に余裕があるわけではないので、混雑するお昼時は学食を食べる生徒を優先させるべきという、暗黙のルールがあった。

「いい場所がある。昇降口で待ち合わせよう」

 わざわざ昼食に誘うということは、何か話したいことがあるのかもしれない。少し人気が無いほうが良いかもと、冬希は思った。

「うん、じゃあ昼休みに」

 春奈は、ひらひらと手を振りながら自分の教室に戻っていった。


 昼休みになり、冬希は春奈と連れ立って、学校のすぐ外にある川沿いのベンチにやってきた。

 夏は暑くて虫が多いだろうし、冬は寒くて凍えるのだろうが、4月は外で食べるのには最高の陽気だった。

 特に、何を話すでもなく、それぞれ弁当を平らげる。

 先に食べ終わった冬希は、晴れ渡った空を見上げる。気持ちいい。こんな時に自転車で走ると最高なのだ。

 

「入学式の時は、ありがとう」

 可愛らしい弁当箱に入った慎ましい弁当を食べ終わった春奈が言った。

「別に何もしてないよ。しいて言うなら自分の名前を言っただけだし・・・」

 皮肉のつもりだったが、思い出して自爆する。あれは恥ずかしかった。

「キミが来なかったら、ボクはきっとあのまま逃げ出してたと思うんだ。そうしたら、きっと高校3年間、色々なものから逃げ回ってた。本当に辛いことになってた」

 そうかもしれない、と冬希は思った。きっと春奈は、逃げた自分を責め続けただろう。

「その割には、堂々としてたと思うよ」

 彼女の声は、とても直前まで逃げ出そうとしていた人のものとは思えないほど、迷いなく澄んでいた。

「なんかちょっと、注目されるのが嫌になってたんだよ」

 春奈は、ぽつり、ポツリと話してくれた。


「ボクは、乗馬をやってたんだよ。2年間ぐらいだけど。たまたま家族で行ったレストランで、体験乗馬の券を貰って、馬に乗ったんだ。インストラクターの人に曳いてもらってその辺を一周って感じだったけど」

 冬希は、黙って話を聞く。

「なんか、すごく目がきれいで可愛くって、そこからスポーツ少年団で、馬のお世話を手伝いながら、週末に乗馬の練習ができるって聞いて、毎週通ったんだ」

 懐かしむような目で春奈は続ける。

「すぐに障害を跳ぶ大会とかにも出るようになって、大人が出る大会でも入賞したんだよ」

「すごいな・・・」

 柔道で万年一回戦負けだった冬希は素直に感心した。

「でも、それって、お馬さんが頑張ってくれてただけだったんだ」

 スポーツ少年団の全国大会に春奈が出場したが、そこはいつも乗馬クラブで一緒に練習してきた馬ではなく、貸与馬といって、大会側が用意した馬の中から抽選で選ばれた馬に乗る大会だった。

 自分の実力を過信していた春奈は、12個あるうちの最初の障害で落馬し、膝のケガを負った。

 馬は無事だったが、多くの観客の前で、周囲から期待され、色々準備をしてもらい送り出されたにもかかわらず、1つも障害を跳ぶことなく、スタートして数秒で落馬し、運び出され、恥ずかしさのあまり涙が止まらなかった。

「それ以来、馬には乗ってないんだ。膝のケガはもう治ってるはずなんだけど、なんか怖くて」

「うん、歩いてる姿は、おかしなところもないし、普通だよ」

 普通に美しい、と心の中で付け加える。

「ふとした時に、力が入らなくなるんだよ」

 少し寂しそうにうつむく。


 冬希は、しばらく考え込むと、言った。

「俺、自転車競技部なんだけど、ロードバイクって、リハビリに使われるぐらい、膝に負担がかからないらしいんだ。乗ってみない?」

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