第43話 勉強とお泊まりと動悸と告白

 目を閉じて僕を見上げる先生を見つめる。

 これはどうすればいいのかな? この時点でもう既に静かだから、このままでいいよね。


「…………」


 だからずっと見つめる。


「…………」


 またまだ。


「…………なんで?」


 目を開けた先生が少し拗ねたようにそう言った。頬は少し膨れて目はジト目。なんでって言われてもねぇ……。


「何がですか?」

「ちゅうは?」

「だって今静かですし。それにほら」

「んにゅ!」


 僕は右手で先生の口元を押さえた。


「両手も使えますからね。だからする必要がないんです」

「ん〜〜〜〜! ぷはっ! ひ、必要とか不必要とか言わないでよぉ……。ファーストキスだったのに……。でも、好きな人と出来たからそれでも嬉しいけどぉ……」

「大丈夫ですよ。僕もさっきのがファーストキ……ん? いや、違うな」


 そうだった。僕のファーストキスは藤宮さんの妹に奪われてたんだったや。忘れてた忘れてた。


「……え? ちょっと待って。赤坂くん初めてじゃないの!? ずるい! 誰? 誰としたの? いつも一緒にいる三人の誰か!?」

「違いますよ。あの頭おかしい三人なわけないじゃないですか。まぁ、事故みたいなものでしたから気にしないでください。ていうかずるいってなんですか。ずるいって」

「ずるいったらずるいの! もう一回する! だからうるさくしちゃうから! わー! わー!」

「うるさっ……。だからさっきから言ってますよね? 両手が使えるんですってば──ん?」


 いきなり騒ぎ出した先生を抑えるために手を上げようとすると、その手は先生によってしっかりと掴まれていた。


「使えなくしちゃうから。赤坂くんおっぱい好きだもんね? だから私のおっぱいに触れさせればきっと離せなくなっちゃうハズ! ……こ、こうやっ……こう……うぅ……」


 先生は僕の手を掴んだままで自分の胸に近付けるけど、後少しのところでその手は止まり、うーうー唸っている。


「ほら、恥ずかしいんだったら無理しないで下さいよ。顔真っ赤じゃないですか。それに少し震えてますよ。さっきのことがあったから、まだそういうことは怖いんじゃないですか?」

「う、うん……。やめとく……」


 そして解放される僕の手。先生の手、冷たかったな。


「じゃあ僕はそろそろ行きますね」

「……え? 帰っちゃうの?」

「だってもうお礼も言ってもらいましたし、時間も時間ですから」

「あ……うん。そうだよね。そっか。もうこんな時間なんだ」


 先生は壁にかけてあるキャラ物の時計をチラッと見て、また僕に視線を戻した。ちなみに今の時間は9時半。


「ごめんね? 引き止めちゃって。じゃあ……えっと、気をつけてね? あ、それか車で送って行こっか?」

「大丈夫ですよ。それに先生は今日はもう外に出ない方がいいです」

「そ、そっか。うん、わかった……。じゃあ……また」

「はい。お邪魔しました」


 そう言って僕が部屋を出ようとした時、ベランダの方からカタッ、と小さな物音。音の大きさ的におそらく風か何かだろうね。


「っ!」


 だけどその音に必要以上に怯えた先生が僕の腕に抱きつこうとして──その手を自分で引き戻した。


「先生?」

「き、きっと風だよ。うん。どうしたの? 私は大丈夫だよ? ほら、早く行かないと遅くなっちゃう。先生の言う事は聞かなきゃダメだよ? ってこんな時間まで生徒を自分の部屋に引き止めといて説得力ないけどね……へへ」


 震える体を自分の腕で抱きしめながらそんな事言う方が説得力無いと思うんだよなぁ。まったく。

 だけど先生がそう言うのなら僕は言う通りにするね。


「わかりました。じゃ、また」

「うん。バイバイ…………あ」


 そして、ドアは閉められた。さて──





 それから数十分後、僕は目の前のドアの横にあるインターホンを押す。もしかしたら寝てるかもしれないけど、それならそれで──って思ったけど、ドアの向こうから慌てるような物音がしたからどうやら起きてるみたいだね。これで買ったものが無駄にならなくて済んだや。


「ど、どうして……」


 勢いよくドアが開けられ、そこから出てきたのは目を真っ赤にした和野先生。頬には涙が流れた跡が残ってるし、むしろ今でも目には涙が溜まっているし、足には力が入っていないみたいだね。


「お邪魔しますね。ご飯食べましたか?」

「え、あの、まだだけど……え?」


 僕は部屋の中に入るとドアを閉めてカギもしっかりかけた。そしてそのまま進んで乙女全開ファンシールームに入ると、僕が部屋を出る前と何も変わっていない。あえて言えば布団が少し乱れてるくらいかな? 多分潜ってたんだろうね。


「コンビニで色々買ってきたんで好きなの選んで下さい。あ、シーザーサラダは僕のです。それ好きなので」

「うん。わかった……じゃなくて! なんで? 帰ったんじゃなかったの?」

「僕はとは言いましたけど、とは言ってませんよ? そうそう、母さんにはさっき電話して、【勉強合宿してくる】ってちゃんと言ってあるのでご心配なく。だから勉強道具も用意してきましたよ。とは言っても、コンビニなんでクロスワードですけどね。だから今日は泊まります。だからってなにもしないでくださいね?」


 僕はそう言って袋からクロスワードの本を出して先生に見せた。これも一応勉強になるでしょ。考える力を伸ばす的なね。

 なのに先生は本を取って見もせずに床に落とし、そのまま両手で僕の手を掴むと、自分の胸に押し付けるように抱きしめた。え、めちゃくちゃ柔らかいんですけど。


「ありがと……。赤坂くんホントにありがと……。一人になったらホントに凄く怖くて……怖くて寂しくて……。なにもしなくても傍にいてくれるだけでいいの。それだけで……」


 そしてそのまま涙を流す先生。

 まぁ、僕が部屋を出る時の様子から察するにそうだろうとは思ったけどね。本当はあのまま入れれば良かったんだろうけど、お腹空いてたからしょうがない。

 そして先生。手を動かすのやめてくれません? さっきからずっと先生が泣きじゃくる度に僕の手がフニョンフニョン沈むんですよ。


「先生。胸」

「え……あ、あっ! これはその……」

「さっきはあんなに恥ずかしがってたはずなのに」

「こ、これはっ! こ、故意にじゃないからノーカンだもんっ!」


 泣いてたはずなのに今度は顔を真っ赤にして僕から距離をとる先生。ノーカンって……。


「思ったより柔らかかったです」

「きゃぁーーっ! 言わないで! 恥ずかしいから言わないでっ! ほ、ほら! なにか飲み物持ってくるから赤坂くんはソファーに座って待ってて! もうっ! いい雰囲気だったのに赤坂くんはいつもそう! ほんとにもうっ! 胸触られるのも初めてだったのにもうっ!」


 なんで僕が怒られるんだろう? 納得がいかないや。勉強する為のクロスワードの本も見てくれなかったし。まぁ、さっきより元気にはなったからそれはそれでいいのかもね。


 ──あ、そうだ。もう一つ言うことがあったんだ。


「先生」

「ん? なぁに?」


 キッチンらしき場所から顔だけ出して首を傾げながら僕を見る和野先生。フードの耳もペタンと横に倒れた。


「勉強でちょっと教えてほしい事があったんです」

「いいけど……私の科目?」

「ですね。実験ですから先生の科目になると思います」

「……ん? 実験?」

「はい。【気になる人が不安で落ち込んで寂しがってる時にどうすればその不安を取り除けるか】って実験と、【その気持ちの届け方】って実験です。よろしくお願いしますね」

「……………………ふぇ?」


 さて、僕はどの弁当にしようかな? 先生はいつまでそこで固まってるんだろう。早く飲み物持ってきてくれないかな。

 どうしてかはわからないけど、顔が熱いし、凄い喉も乾いてるし、動悸も早いから多分脱水症状だと思うんだよね。


 だから、後ろから抱きしめてくるのはやめてくれないかな。


「赤坂くん、好き……大好き……。私、貴方のことが本当に好き……」


 知ってますよ。

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