第8話 これが最強主人公

 どうしよう。バレたかな? バレてないよね? でも彩音さんはいつも僕を睨むような目で見てくる。きっとこんな変な格好をしてるから不審者だと思って警戒してるんだよね? きっとそうだ。

 でも待てよ? さっきの二人の反応だと、今の僕は彩音さんが寝盗ったと言われている怜央きゅんに少しは似ているはず。それなのに睨まれているのはどうして?


「………っ! …………っ!」


 ひぃっ! 彩音さん彩音さん! すんごい唇噛み締めてるよ! 歯ぎしりでもしそうなくらいだよ! 目が怖いよ彩音さん!


 あまりの迫力に視線を下に逸らすと、今度は鬱血しそうな程に手を握りしめているのが見えた。

 な、殴られちゃうの? どうして!?


 あ、わかった! 自分の好きな人の真似をされているのが気に入らないんだ。きっとそうだ。だから憎くて仕方がないんだね?

 なんてことだ。そこまで彼の事を想っているなんて僕は完全に失恋決定じゃないか。この恋が叶うなんて思ってなかったけど、ここまで来ると流石に辛いよ。


 だってほら、あまりの怒りと憎しみで彩音さんの足が震えてるじゃないか。太ももを擦り合わせているように見えるくらいに。

 少し前屈みになっているのも、きっといつでも踏み込んで僕にその握り締めた拳を叩きつけるためなんだ。


 ……よし、逃げよう。それしか僕に出来ることはないんだ。でも、ダメ元で一言謝ってからにしよう。何も言わないよりはマシなはずだからね。念のため声色と口調を変えるのも忘れずに──


「ごめんな」

「!?」


 僕はそれだけ言って廊下を駆け抜けて視聴覚室に向かう。中に入るとすぐに鍵をしめてイカれた制服を脱ぎ捨てて渡瀬さん達が放置していった空の可愛らしいカバンに詰め込むと自分の制服を着て外に出た。


「うん。誰もいないし誰にも見られてないね。すぐに帰ろう。そしてここ一時間くらいの記憶を消そう」


 僕は何事も無かったのように歩く。荷物が増えたけど構わず構わず歩く。僕が持つには似合わないカバンだけど、きっと誰も気にしないだろう。


「あ」


 なんてことだ。てっきりいなくなったと思ったのに、彩音さんがまださっきの所にいるじゃないか。しかも足がガクガクして息も荒いし顔も赤いし目は潤んでいる。床には水滴もある。きっと涙の跡だ。

 そっか。怒りで泣くほどに好きなんだね。やっとわかった。これが本当の愛なのか。僕は今までそんな風になったことが無い。つまり、まだ真実の愛を知らないって事なんだな。

 さて、この状況で僕が出来ることはなんだ?


 変装していたことをあやまる? それはダメだ。正体が僕だって知ったら絶望するかもしれない。ならどうする?


 そして、悩んで悩んで悩みまくって出した答えはコレ。


「えと……渡瀬さん大丈夫? 具合でも悪い?」


 しらばっくれて心配そうに声をかけた。あわよくば【嫌いなクラスメイト】から、【心配してくれる優しいクラスメイト】まで昇格出来たらラッキーだと思ったからね。

 真実の愛? そんなの僕は知らないもの。

 あと、話した事ないから名前では呼べないね。妹の渡瀬美織さんと一緒になっちゃうけど、ここには彩音さんしかいないからいっか。


「…………」


 う〜ん。返事がない。彩音さんは壁にもたれ掛かりながら僕をずっと睨んでくるだけ。

 ツラそうなのにそこは変わらないのかー。残念。

 でもこれどうしようかな? 放課後で人もいないし、保健室ももう開いてないよね。保健の先生もいるかわからないしなぁ。

 しょうがない。こんなに嫌われてるならもうどうにでもなれだ。


 僕は意を決して彩音さんの肩に手を回す。とりあえず教室にさえ連れていけば後は自分でなんとかしてくれると思うし。


「っ! さわら……ないでっ!」


 しかしすぐに振り払われてしまった。ショック。


「あ、ごめん……。だよね。嫌だよね」

「ち、ちがっ!? そう……じゃ、なくて……ふぁっ! くぅっ……」


 彩音さんは僕から視線を外して膝から崩れ落ちる。肩もカタカタと震えている。

 ねぇ、くぅっ……って何? もしかして屈辱って言おうとしたとか? もしそうなら仕方がないね。


「じゃあ僕は行くね。無理はしないでね」


 そう言って僕は立ち去る。呼び止める声も、「あっ……」っていう思わせぶりな声も聞こえなかったのでそのままスタスタと下駄箱へ。

 靴を履き替え、校門を抜ける前にちょっと女子テニス部のスカートが揺れる姿を堪能し、体育館の下の小さな窓から女子バレー部のジャンプで揺れる胸を目に焼き付けて帰ろうとすると、野球部の練習を見ながら談笑している渡瀬さんと藤宮さんを見つけた。

 よし、ついでにこのバッグを渡して帰ろう。


「二人とも」

「っ! 怜──なんだ。赤坂くんじゃない」

「期待させないでよね。怜央きゅんの制服着てないんだから」


 なんてひどい言い草だ。声をかけないでバッグだけそっと置いて帰れば良かった。


「これ、制服と入ってたバッグ。忘れてたよ」

「忘れたんじゃないわ。赤坂くんに預けたのよ」

「ボク達がまた見たくなったら、すぐに着てもらえるようにね」

「え、嫌だよ」

「「え……」」


 いや、なんでそんなにビックリした顔をしているの? こっちがビックリなんだけどな。


 と、そこでグラウンドの方からカキーンと甲高い音。それと同時に僕達がいる方へと野球ボールが飛んできた。

 う〜ん。このままだと三人の誰かにぶつかっちゃうね。避けても校舎にぶつかりそうだし。硬球だから痛いだろうなぁ。掴むにしても両手塞がってるし。

 何かいい物は……っと。あ、あった。


 僕は斜め後ろに少し太めの木があるのを確認すると二人の前に立つ。

 そして飛んで来た硬球の、軌道を変えて後ろの木にぶつける。

 すると木に当たったことによって勢いが弱まり、コロコロと転がって僕の足元までくる。それをつま先を上手く使って足の甲に乗せると、グラウンドに向かって蹴り飛ばす。


 これでよし。


「危なかったね」

「…………え、あ、うん……」

「…………ほえ?」

「じゃあ僕は帰るから。はいバッグ。もう着ないからね。バイバイ」


 さて、帰ろう帰ろう。兄ちゃん達まだ家にいるかな?



 ◇◇◇



 さて、ここは拓真が居なくなったあとの廊下。そこでは彩音が、拓真に触れられた肩に手を当てながら小さく呟く。


「拓真くんに抱きしめられちゃった……」


 そして彩音の痙攣は止まらない。




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