第8話 賢者タイムの聖女様


 * * * * * *


 真っ赤な夕日が浮かんでいる。

 辺り一面が黄金に輝いている花畑。その中を、シャノンは走っていた。


 甘い香りのするその空気を肺いっぱいに吸うと、心から踊りたくなる。


『そんなに急ぐと、転ぶよ。シャノン』


 と、そう言ったのは、後ろから歩いてくる騎士の服の青年。まるで、自分を守護する騎士のようだった。


 二人は時間を忘れたように花畑の中を歩き、二人だけの空間を目一杯過ごした。


 近くの花に蜂が飛んできて、蜜を啜り、蜂蜜を作ろうと頑張っている。


 そして、その横で彼は言った。


『……俺も、シャノンの蜜が吸いたい』


『!』


 シャノンの蕾だった花びらが、今まさに開花しようとしていた!



 * * * * * * *



「だめだ……。末期かもしれない……。妄想が、止まらない……」


 明け方。

 シャノンは一人で勝手に、ムラムラしていた。


 枕を抱きしめて、ベッドの上で息を荒くしながら、肌をほんのりと紅潮させていた。

 どうしてシャノンがそんなあられもない姿になっているのか……。


 正直に言うと、エッチな夢を見てしまったからだ!!


 ついつい、初恋の彼との情事について、妄想に耽ってしまっていた。


 彼と再会して、すでに数十日。

 彼とはいまだに、会うことはできていない。その間、服装も美容も見た目もきちんとして、あとは会うだけだけどそれが一番難しい。

 会えないから、彼のことを思い続ける。思い続けていると、無性にたまらなくなる夜が出てくる。

 最近はストレスも感じている。

 だからそれを発散するために、一人、彼との逢瀬を脳内で妄想していた。これはこれで充実した毎日であった。


「でも、今の私、気持ち悪くないかな……」


 ふと、我に返りそんなことも思う。


 これが俗に言う賢者タイムかもしれない。


 聖女の自分が賢者とはこれ如何に……と思いもするが、そういう話でもない。結構マジめな悩みだったりする。


 一応……会おうと思えば会えるのだ。


「最終手段で、騎士団に傘を返しに行くのもありだけど……」


 彼は騎士だ。


 部屋の隅に立てかけられている傘は、その彼が、先日貸してくれたものだ。

 シャノンは未だに借りっぱなしで返していない。

 だから、これを返すという名目で、騎士団の詰所に持っていけば、恐らく騎士団に所属しているであろう彼に会える可能性は一気に跳ね上がるのだ。


「でも、そろそろ、本当にどうにかしないと、私の命の方が先に尽きるかも……」


 どちらにしても、このままではいけない。


 終わりも、もう、すぐそばまでやってきていた。




 * * * * * *




 そして、それから数日後のことだった。

 その日、シャノンは思い切って、彼の傘を返すために騎士団の詰所を尋ねる事にした。


 化粧もバッチリ。洋服もオーケー。


「ふんす!」


 気合も十分。シャノン、一世一代の特攻である。


 とりあえず気分を落ち着かせるために、朝一から、日課になっているカフェでのお茶を楽しんで、それからいよいよ本拠地へと乗り込もうと思っていた。


 ……だが、しかし。

 出会いというのはやはり突然のものだった。


「あっ……」


 カフェの店内で、運ばれてきたカップに口をつけようとした瞬間だった。

 店内に入ってきた二人組の男女の姿が自然に目に入ってしまった。


 それはカップルだった。


 そして、シャノンは……見てしまった。


「……彼だ」


 私服姿の彼がいる。


 彼だ。


 シャノンの初恋の彼だ。


 その隣には……一人の女の子の姿がある。


 それは、人懐っこそうな笑顔が可愛らしい女の子だった。


 そんな彼女は、彼の腕を抱きしめ、彼も彼女の肩を抱き寄せていた。


 ……カップルだ。


 まごう事なき、恋人である。


 つまり……いたのだ。


 彼にも、特定の相手が。一瞬、見間違いかと思いたかったものの、自分が彼の姿を見間違えることはない。彼は彼女と、本日、今この時、おしゃれなカフェに二人でやってきたのだ。


 休日のデートだろうか。


 それは、別に珍しくもないことで、みんながやっていること。


 女友達だろうか。


 ……いや、そうではない気がする。あれは、恋人たちが発する特有の空気だ。


 つまり、恐らくデートをしているのだろう。カップルで。


 それを、今日この時、たまたまシャノンが目にしてしまっただけのことであり、前々からあの二人はこの店でデートをしていたのかもしれない。


「…………」


 気づけば、シャノンは咄嗟に隠れていた。


 近くにあったメニュー表で顔を隠して、静かに息を止めて、気づかれないようにした。


 見てしまった瞬間、なぜか消えてしまいたい気持ちになった。

 知ってしまった瞬間、なぜか悪いことをしてしまったような、そんな叱られた際に感じる気持ちにもなってしまった。




 その後、シャノンは、二人が店を出るまで、息を止め続けていた。


 注文していた飲み物は、とっくに冷めてしまっていた。


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