第3話
今の会話を聞かれてしまっただろうか。
僕は気恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じた。だが彼女はそれを気にした様子もなく、少年の手を引いて店の奥へと入ってくる。そして彼女は、息を整えて口を開いた。
「遅れてごめん。学校出る時に祥子がいたから、気付かれないように遠回りしてきたんだよ」
桃の口の動きに合わせて、胸元の赤いリボンタイが揺れる。よくよく見れば、衣替えを終えてからそう間も経っていない季節だというのに、白いブラウスの襟元にはほんのりと汗が滲んでいる。
おそらく、今まで外にいた証拠だろうと、僕は少し安心した。この分だと先程の会話は聞かれていないだろう。
だがその心配がとけた今、僕が何より一番気になることは、彼女の手を握って離さない少年のことである。
身長からいって、少なくとも小学校四、五年生といったところだろうか。加えて、カーゴパンツと安全ピンで名札をとめたTシャツ、そして黒いランドセル。服装だけを取ってみれば、どこにでもいる小学生のように見える。しかし表情を見れば、少し大き目のサングラスが顔の三分の一を覆うようにそれを隠している。
小学校を卒業してからは、特に小学生との関わりを持つことはなかったが、数年で通学にサングラスを掛ける生徒まで出てきたのだろうか。今では小学生との関わりは、近所の年下の子供や友達の弟、妹が精々だから僕には何とも確認のしようがなかった。
さらに僕の中に疑問は湧いてくる。この
その憶測に基づいて、僕は、
「なあ、紅野さん、一つ聞いてもいいですか?」
と、かしこまった口調で問い掛けた。
「何?」
「その子供、どうしたんだ」
「……回り道した途中で見つけたんだよ」
犬や猫を見つけたみたいに軽く言うが、それではいまいち答えになっていない。
僕は一つ溜息を吐く。
「そうじゃなくて僕は、どうしてそいつをここに連れて来たのか、って理由を聞いてるんだ」
「うん、だってこの子私のこと見て逃げたから」
「逃げた?」
ということは、やはり僕の推測通り、彼は彼女の異形の姿を目にする条件を持ち合わせていたことになる。
しかし、そうすると、なぜ彼は大人しく桃の後について来たのだろうか。僕が彼女のその姿を見た時は、僕の方から話し掛けたから問題なかっただろう。だが逃げたということは、少年が一度はその姿に恐怖を抱いたことになる。それでも今の彼の様子からは、その恐怖が窺えなかった。彼は一頻り店内を見渡した後、空いた方の手でずり落ちそうになるサングラスを抑えて、少し高い位置にある桃の顔を見上げていた。
「うん、逃げたところをすんでのところで捕まえて、慌てて持ってたサングラスを付けさせたんだよ」
なるほど、少年がつけている大き目のサングラスは桃が掛けさせたものなのか。けれど、サングラスと少年の落ち着きとがどう関係しているのかはわからない。桃の言葉の意味するところを考えあぐねて、司さんに助けを求める視線をやると、彼は苦笑を浮かて、
「なあ、亮、お前、眩しい時ってどうする?」
と言った。それが何の意味を持つのか桃の言葉以上に謎であったが、取り敢えず僕は無難な答えを返す。
「目をつぶったり、光を遮ってみたりですね」
「まあ、それと同じってこった」
「いや、全然説明になってないんですが」
「お前も〝鬼〟が強い色を纏っているのは知ってるだろ」
僕はこくりと頷く。
同じ言葉を、確かに以前桃から聞いたことがある。その時受けた説明によると、色というのは一種の『気』なのだそうだ。もちろん、鬼に限らず人もまたそれらを纏っている。だが、絶対的な量は鬼が最も多く、彼女が異形の姿に見えるのは僕らが纏う気が乱れた結果、鬼の強い気を変な方向に屈折させたり反射させたりするからだそうだった。その一連の内容を思い出して、僕はなんとなく彼の説明したいことがわかったような気がした。
それが正しいのだとすると、サングラスは――
「入ってくる色の絶対量を減らせば、少しはそれらによる現象を軽減できるってことですか?」
「そういうこったな。まあ、それができるのは、まだ軽度な相手だけなんだが」
そうか、道理でこれまで度々桃の仕事に立ちあっていたが、一度としてサングラスを使ったところを見たことがなかったわけだ。
だが、いくら軽度と言っても、
「そいつが欠落者だってことに変わりはないよな」
僕が思わず口にした言葉に、少年はびくんっと肩を震わせて、桃の背に隠れてしまった。
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