第16話



 その日の午後遅く、歳三らは小石川の茶屋にいた。奥の座敷に陣取り、衝立に身を隠すように静かにその時を待っていた。


 日差しが弱くなり、店の中に行灯が灯った頃、四人組が店に入ってきた。


「──来た。あいつらだろ?」

「ああ、間違いねえ。最初に入って来た方の二人だ」


 声を潜めて左之助と歳三が言葉を交わす。その横で八郎と総司は小さく頷きあって、それぞれ隙間から顔を確認する。


「他の連れは、どうする」

「その内、ばらけるだろ」

「狙うは二人のみ、だな」

「ああ。俺は、取られたもんを返してもらうだけだ」

「あれ? 借りは返すって言ってませんでした?」

「もちろん返す」


 総司がからかい交じりに言うと、歳三が不敵に笑って即答する。それ以降会話は途切れた。反対に、入店したばかりの奴らは、否応なしに目立っていた。それというのも、御品書きのほとんどを注文したからだ。


 注文を受けた売り子はもちろん、隣合わせた客も、何事かとそちらを指さしては顔を覗かせている。まさに店中の視線を浴びているのに、彼らに隠す素振りはない。むしろ見てくれと言わんばかりの態度だった。そしてその行動こそ、歳三が狙った彼らのを探し当てる旗印だった。





『……じゃあ、急に羽振りが良くなった番太(番所に詰める使用人。多くはその日暮らしの町人)の事、探ればいいんだな』


 左之助がまず歳三に頼まれた事は、茶屋周辺の聞き込みだった。顔が広く人当たりの良い左之助が適任と言える。


『ああ。小石川界隈に絞っていい』

『ふむ。だけど、そんな目立つ行動するのか?』


 左之助が眉をひそめて聞くが、歳三の答えに迷いはなかった。


『する。あぶく銭って奴は、手にしたら必ず使う。それが人様に言えねえ金なら尚さらだ。金の使い道なんざ、飲むか女か打つかしかない。今は博打ばくちの取り締まりが厳しくなってっからな。手っ取り早く使うなら、飲み食いだな』

『誰かさんみたいに、女ってことないんですか』


 横から総司が無表情で口を挟んだ。思わず居を正したのは、八郎だ。それをちらと見て、歳三がさらに言葉を紡ぐ。


『なくもないが、吉原で豪遊するにはちいと足らねえ。女は高くつく』

『……よくご存じで』


 その言葉に総司が白い目を向けるが、視線を無視して話を続けた。


『とにかく、非日常を満喫するとしたら、残るは飲み食いだろ。それにだ』


 歳三がぐっと身体を乗り出した。


『奴らは番所勤めと言っても、立場は低い。番人が私財で雇った使いっぱしりに過ぎない。つまり、番人に飼われてる犬だ』

『はは、犬か。そりゃいいな』

『確かに、キャンキャン、吠えてましたね…』


 ぼそりと呟いたのは八郎だ。歳三が思わず小さく笑う。



『奴ら、俺の懐まさぐって、手にした財布の重さに目の色変えやがった。その時、番人は後ろを向いてたし指示だけするとすぐに出てったから、財布の中身までは知らないだろう』 

『素知らぬ振りをして、中身を抜いたって訳か』

『言うに事かいてあいつら、この金は盗んだ金だの、なんだのって、好き勝手叩きやがった。……その借りは、返さねえとな』

『…こりゃ、土方さんが暴走しないよう、見張ってねえとなぁ』


 左之助が明るく笑う。眉をしかめていた八郎も、その声に少し表情を緩めた。総司は半分近く背を向けて、甘味を口に放り込んでいる。


『おそらく、番所の上役辺りがあちらさんの誰かと懇意、もしくは、弱みを握られてる…って所だろうけど、番所の奴らにしてみりゃあくまで他人事だ。又聞きの又聞きでしかない番太ならなおのことだろ』

『──…なあ。確か土佐の殿様って…』

『ああ。奴は今、謹慎中だ』


 一層ひそめたその言葉に、一様に頷いた。


『大っぴらに出来ないのは、あいつらの方さ。──…まあ、何にせよ、まずは金だ。あの場には番太が二人、番人が一人。門番もいたが、まぁあれはいい』

『じゃあ、狙うは三人か?』

『いや、番太二人だ。番人は後で痛い目見るだろうしな』


 実の所、これはかなり回りくどい手法である。番所勤めの番太とくれば、地元で尋ねて歩けば話が早い。だがそれでは、人伝手にこちらが探っている事が相手に伝わりかねない。特に近所付き合いがある長屋暮らしの町人は情が絡みやすく、厄介だからだ。


 その点、人の出入りが多い茶屋なら、袖触れ合うだけの相手に興味を持っても、深追いはしない。あくまでこちらの行動を気取られないための安全策ということになる。


 これが、快気祝いの席で交わされた会話の一部である。それからたった一日で、左之助は番太を探り当てたことになる。まさにお手柄である。


 そのまま、どんどん酒を注文する輩を盗み見しつつ、歳三らは静かに茶ばかりを飲み、その時が来るのを待った。




 それはすっかり月が中天に昇った頃に訪れた。散々飲んで食べて騒いだ連中は、歳三の読み通り、番太二人が残りの二人の分の勘定を済ませるべく席を立った。


 だが、この期に及んで勘定を出し渋っていたのには、いかんせん閉口してしまった。貧乏癖が抜けきらないといった所だろうが、飛び出したくなるのを堪えるのに苦労した。


 どうにか勘定を終えて出て行くのを座席で見届けると、歳三らはおもむろに腰を上げた。静かに後を追うと、二つ向こうの通りで彼らが別れたのが見えた。



「番太の二人も別れましたね。一人ずつなのは好都合ですけど、どうします?」

「問題ない。こっちも別れよう」


 すぐに歳三と総司、左之助と八郎に別れると、全員顔を隠す布を巻きつけた。金は返してもらうが、こちらの正体を知られる訳にはいかない。


互いに目だけで頷き合って、それぞれ番太の後を追って闇に姿を消した──。



◇  ◇  ◇



「お前ら起きろー、朝餉だ」

「…んあ?」


 雑魚寝する大部屋で、夜具からはみ出した足を蹴り飛ばして、新八が皆を起こして回っている。歳三たちが明け方にそっと戻ってきたことを、彼は知らない。


「あ~…、もう朝か…」

「うるせえなぁ、朝から元気だな、あいつは」

「…………」

「あ、おい、総司、寝るなっ。起きろ!」


 一周して戻って来た新八が総司を起こす様子を、うっすらと目を開けて、歳三は見るともなしに見ていた。天井を見上げて、昨夜の事を思い返していた。




 昨晩の首尾は上々だった。闇の中から現れた彼らのただならぬ雰囲気に恐れをなしたのか、番太は腰を抜かしてしまった。侍の真似事をしていても、帯刀を許されていない以上、彼らに太刀打ちする術はない。


 早々に持っていた金を取り返したものの、当然ながら派手な飲み食いの分、ずいぶんと目減りしていた。


『どうか、命だけはっ…!』

『いいから、他に何かないんですか。随分と豪遊してましたよね。……金目のものですよ、ほら早く出して下さい』

『ひぃっ、出します出します!』


 総司が番太の首に刀を突き付けると、番太は自身の財布を差し出してきた。多少の重みはあるものの、減った分に足りるとは思えない。とはいえ、深追いは禁物である。


 歳三は念には念を入れて一切声を上げず、無言を貫いた。おかげで、こちらの正体にはまるで気がついた様子はなかった。


 ただ、気が付いたところで、それこそ自ら詰める番所に訴え出ようにも、分不相応な金の出所をつつかれて困るのはこいつらの方だ。これが表に出る可能性は限りなく低い。


 同様に八郎が急襲役、左之助が交渉役に徹した方も、首尾よく収まった。こちらの足らず分は綺麗な細工の根付と煙草入れだった。二束三文の価値かもしれないが、ないよりましとありがたく頂戴してきた。


 事が済むと番太に当て身を食らわせて、早々にその場を後にした。歳三も借りを返すと言っていた割に、地面に転がすだけで足早に背を向けた。


 辺りに人気がなくなると、総司は何が可笑しいのか、クスクスと笑いだした。


「意外と簡単でしたね、物取りごっこ」

「馬鹿言うな。こんな後味悪い事、二度とごめんだ」

「嫌だな、僕だってしませんよ」

「当たり前だ」


 しかめ面をしていた歳三も、最後にはほだされたのか、笑いが込み上げて来た。闇の中をくつくつ笑いながら、二人は走り抜けていった。


 万が一を考えて、道場と逆方向で落ち合うことになっていた。さらにそこから大回りをして、彼らが試衛館に帰り着いたのは、丑の刻も過ぎた頃だった。


 皆を起こさぬよう布団に潜り込み、ようやく眠りに着いたのは夜明けが近かった。




 抵抗むなしく新八に荒っぽく起こされた後、板場で朝餉を腹に入れると、朝稽古に向かう面々と別れ、四人は部屋に戻って来た。眠くないといえば嘘になるが、ここで惰眠だみんをむさぼるほど馬鹿ではない。


「それで、次は?」

「ひとまず、町へ行ってくる」

「刀、ですね」

「ああ。いい加減、あの親父さん待ちくたびれてるだろう」

「金物屋の兄ちゃんも、心配してたぞ」

「いつかの礼もあるし、ついでに顔を出してくる」

「──俺も行きます」


 そう言ったのは八郎だ。伺いを立てるでもなく言い切られたその言葉にも、嫌悪感はもうない。


 実のところ、愛刀を質出しするのに金子が幾分足りなかった。使い込まれていたので当然である。その足らずを三人が出すからと申し出て来た。


 最初は固辞していた歳三だが、『獲物がないことには始まらないだろう』と三人に強引に押し切られ、さらにしっかり証文まで用意して『あくまで貸し』であると言われては、結局歳三が頭を下げて受け取るしかなかった。


「……好きにしろ」


 八郎に口では冷たく返しながら、以前とはまるで違う己の受け止め方に、口元に苦笑が浮かんでいた。二人は手早く準備を済ませ、試衛館を後にした。



◇  ◇  ◇



 その頃、浅草門前で金物屋の店先に座り、呑気に茶をすすっているのは、質屋店主と金物屋の若い男だ。


「今日も暇ですねー…」

「そうさな。お前さん、金物屋なんぞ辞めて、わしの質屋継がねえか」

「何言ってるんですかー、親父さん所だって閑古鳥じゃないですか」

「まあ、そこは若いもんが盛り立ててくれ」

「無茶言わないでくださいよー」


 あれ以来すっかり茶飲み仲間と化した二人は、暇を見つけてはこうして顔をつき合わせている。


 歳三とすれ違った日の翌日。左之助が店を訪ねてきて、しばらく来られない旨を伝えた。持って行けと再度差し出された刀は、歳三の意志を尊重しやはり受け取らなかった。今思えば、歳三は最初から、泣き寝入りするつもりなどなかったのだ。


 己の金を取り戻し、正規の方法で愛刀を取り戻す。そこにこだわる背景は、歳三の意地である。言葉にこそしていないが、その思いで今も動いている。


 そしてそれを信じて、気長に歳三の来訪を待っているこの二人もまた、いわば同志と言えるかもしれない。


「怪我は良くなったかなぁー」

「元から鍛えとるお方じゃ。すぐ元気になっとるじゃろう」

「そうですねー。……それにしても、暇だなぁ」

「ええ若いもんが、だらしないのぉ」


 二人はまた茶をすすって通りを眺める。どこかの客引きの声が静かなこの通りまで響いていた。それらを遠くに聞きながら、最後の一口をすすった時、二人の前に影が落ちた。


「──…向かいの質屋店主は、お前かや」

「…わしに、何か用ですかな?」


 顔を上げた二人の前に、黒ずくめの男が立っていた。



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