小天狗と敦盛

りべろ

第1話

 地面を擦るように踏み出す独特の歩みごとに、銀の花かんざしがシャラリと音を立てる。夏の夜に、幾重にも重ねた着物をまとい、通りを練り歩く花魁おいらんは、一粒の汗も浮いていない。ひっきりなしに掛けられる声にも、眉一つ動かさず、一歩ずつ前を見据えて練り歩く。


 堂々とした花魁とは対照的に、幼さの残る禿かむろは大きな目を、あちらこちらと動かして、落ち着きがない。とはいえ、花魁に野次を飛ばす輩に、そんな禿の様子など眼中にない。


 行列に群がり野次を飛ばす男共のほとんどが、花魁どころか、女郎の一人も買うこともない。甘いのは上辺ばかりのここ吉原で、実際に花魁を買うことのできる者など、江戸中探してもほんの一握りである。


 それでもいつかは、と夢見つつ、今日も彼らは花魁を憧憬の眼差しで眺めて、やんややんやと囃し立てる。その様子を横目に眺めて、浮かない顔の男が人混みに背を向けた。日野の豪農の息子、土方歳三、数えで二十七の青年である。



「はぁ…やってらんねぇ…ったく…」


 歳三にとって通い慣れた吉原だが、今日は少し目的が違う。馴染みの店にも顔を出しただけで、そこいらの店を覗いてはまた別の店へと渡り歩いて行く。花魁道中を冷やかす気すら起こらない。



「やっぱり、断りゃよかった…」


 引き結んだ口からは、先ほどからぼやきしか出てこない。それもこれも全て、夕刻の近藤の呟きに端を発する。





「おい、歳ぃ~。八郎さん、どうしたんだろうなぁ」

「俺が知るかよ」


 八郎とは心形刀流伊庭道場の息子、伊庭の小天狗こと、伊庭八郎の事である。異名が付くほどの剣の腕前だが、意外にも剣を手にしてまだ数年しか経っていない。これぞまさに天武の才である。


 そんな八郎と、たまたま出張稽古をしていた近藤が出会ったのが、数ヶ月前。




『伊庭殿! ぜひ、うちの道場にも来てくださいよ』


 年は若いが、相手は有名道場の嫡男。れっきとした幕臣の息子とあれば、田舎道場と揶揄やゆされるこちらとはまるで格が違う。腹の底が見えぬ内は…と、歳三があえて八郎と距離を取っている間に、近藤は実にあっさりと声を掛けていた。


 一言二言、にこやかに言葉を交わしていたものの、すぐに別れたのを見て、単なる社交辞令に終わったのだろうと歳三は思っていた。


 ところが数日後、八郎は本当に試衛館へやって来た。しかも、その日から三日と空けず、通って来るようになったのだ。


 剣の腕は確かだが、出自の違いからも、初めのうちは単なる冷やかしだと思っていた。それが一月経っても相変わらず居た。稽古が終われば誰とでも屈託なく話す八郎に、歳三もそろそろ態度をやわらげるべきかと思い始めていた。


 彼が、ある日ぱたりと姿を見せなくなった。なんの前触れもなく、いきなりの音信不通である。そのまま七日経ち、十日経ち、気付けば半月が経っていた。


 凝り固まった考えを改めようと、思っていた矢先だっただけに、歳三の落胆は大きかった。傍目はためには傍観者を決め込んでいるが、そこは気心しれた仲間のこと。それこそ、気付かぬふりをしてくれていた。


 もっとも、近藤だけは最初から歳三と八郎は馬が合うと勝手に決めつけていた。それをいちいち訂正するのも面倒で、放っておいたのだが…。


 その余波が、思わぬ形で降りかかってきた。





「…でだなぁ! お前ちぃと様子見に行ってはくれまいか」

「はぁ、なんで俺が。そんなこたぁ、総司や平助に頼めばいいじゃねえか。年も近いんだからよ」

「いやいや、俺はお前が適任だと思う。…この前、新八がだな…、いやいや、それよりもだ、歳!」

「あぁ?」


 急に声をひそめて口元に手をやり、近藤が手招きをする。歳三はいぶかしげに眉をひそめつつ、素直に耳を寄せた。


「実はなぁ、八郎さん、伊庭道場にも顔を出してないようでな、昼にあちらさんから相談されてしまったのだ」

「伊庭の道場がうちに?」

「そうなんだ、歳ぃ。こちらもどうしたらいいもんか弱りきってなぁ。しかも内容がだ…」

「なんだってんだよ」


 いい大人が、しかもガタイの良い男が二人。膝突き合わせるような近い距離から、さらに近藤が歳三を手招く。仕方なく鼻が触れそうなくらいに顔を寄せると、口元に手の平を立てて歳三の耳元で囁いた。


「女だ、お・ん・な」

「女ぁ?」

「しーっ、声がでかいぞ!」

「汚ねぇなっ、つば飛ばすなよ!」

「そんなことより! 歳ぃ!」

「あぁ?」


 歳三は顔にかかったつばきを袖で拭いながら、不機嫌そのものの顔で近藤を見やる。すると、今度は顔の前でぱんっと手を合わせてきた。俄然、嫌な予感がする。


「後生だ! 八郎さんを探し出して、剣の道へ引き戻して来てくれ!」

「御免こうむる」


 歳三は即答すると、さっさと立ち上がって近藤に背を向けた。案の定、面倒臭いことこの上ない内容だった。


 後生だなどと抜かし始めたら、ろくな内容じゃないのはすでに何度も経験済みだ。そもそも、後生というからには一度でなければおかしい話だが、すでに何度も聞いている。



(誰がやるかっ)


 話は終わりとでも言うように、縁側で立ち上がった所で後ろ手をむんずと近藤に掴まれた。そのままぐいと後ろ向きに引き倒されて、強引に元の位置に座らされた。地味に尻が痛い。


「なんだよ! 俺じゃなくても若ぇ奴らに頼みゃいいじゃねえか!」

「まあ、待て待て! 歳を男と見込んで頼んでるんだ」


 近藤も道場の行く末を左右する一大事と、八郎を繋ぎ止めるのに必死なのはわかる。どうせ、道場に箔がつくとか、連れ戻して本家道場に恩に着せるとか、姑息な事を考えているのだろう。こう見えて、この男は中々の策士なのだ。


 しかし、こうと言い出したら絶対に引かない性格なのも、歳三はよく知っている。うんざりするほど押し問答を繰り返した後、結局根負けしたのは歳三の方だった。まさに近藤の粘り勝ちである。




───かくして、押し切られる形だったが、引き受けてしまった以上、捨て置くわけにもいかず歳三は吉原に居た。


 ここで〝何度か見かけた〟という新八の話を聞いての事だが、どうしてもここへ来るといつもの店へ足が向きそうになる。それでなくても、しばらく誰かさんの不在の余波と、でしばらくご無沙汰なのだ。



「くそっ、どこにしけこんでやがる、あいつは!」


 歳三は頭をがしがし掻いて、しばらく往来の真ん中で仁王立ちして腕組みをして考え込んだ。ふいっと顔をあげると、踵を返して入ったばかりの大門を出て行った。




 半刻ほど後、歳三は馴染みの店に居た。いつもの花魁を指名して線香一本分だけを払い、部屋を取った。花魁相手に線香を切るなど、歳三以外ありえない。手代てだいも相手が歳三と知ると、言うだけ無駄とばかりに、通してくれた。


 もちろん、今晩も食事は頼まない。いつもなら持ち込む手土産と称した飯も今日は無い。


 今日の軍資金は、あくまで八郎を見つけるための金だ。贅沢できるほどの額はない。事と次第によってはすぐ出る羽目になる。


 しばらくして、慌てた足音が近付いてきたかと思うと、すぐさま勢いよく襖が開いた。



「歳さん!」

「おう」

「……なによぉ、さっき来てすぐに帰っちゃったって…」

「そうそう。ちょいとやっかいな頼まれ事があってな。まだお役目中だ」

「もう…、久しぶりに来てくれたのかと思えば、こっちの気も知らないで……。どうせそれが片付かないと、遊べないとか言うんでしょ?」

「よくわかってんじゃねえか」

「本当、酷い男。……それで? 吉原なんかで仕事って、一体何なの?」

「なあに、お前らの色恋話を聞かせてもらいてえだけさ」

「え?」


 不思議そうに首をかしげる女の細いうなじに手を伸ばし、そっと内緒話をするように耳元に唇を寄せ、そのまま耳の後ろに吸いついた。


「きゃっ! と、歳さん、話は?!」

「それもあるが、こっちが先だ」


 この女の弱いところは全て知っている。すぐにろくな言葉を紡げなくなった。そのままじゃれあうように、白粉の匂いのするやわ肌をたっぷり楽しんだ後、歳三はようやく女を解放した。





「もう…、歳さんの馬鹿」

「男はみんな馬鹿なんだよ」


 歳三は艶やかに光る唇を手の甲で乱暴に拭って、おもむろに煙草盆を引き寄せた。慣れた仕草で煙管に煙草を詰めていく。女は乱れた襟を軽く直してから、歳三の背中に頬を寄せて、ゆっくり息を吐いた。



「…それで? 何を聞きたいの?」


 ぷかりと紫煙をくゆらせて、歳三はもう一息深く煙を吸い込んだ。


 こうした場所に据えられた煙草は、ほとんどが不味くて吸えた代物ではないが、この女の支度部屋だけは違う。女が店の男衆に頼んでわざわざ取り寄せている品だ。花魁を買うのは安くないが、歳三はこの女のこういう所も気に入っている。


 三口ほどたしなんだ後、景気よく灰を落とした。小気味いい音が部屋に響いて消える。深く息を吐き出すと、背中から女の膝へ頭を落として寝転がった。歳三は、女の膝に頭を乗せて言った。



「───居続けの男を探してる」


 歳三は結局、線香をもう一本足して、二本燃え尽きるまでをそこで過ごしてから、ぶらりと夜の町へ出た。ただ話をしていただけ…な訳がない。


 足した線香の分、しっぽりと楽しんでいる間に、女たちに話を回してもらって、出がけにまとめた内容を確認して出て来たのだ。


 歳三は近藤を策士と言うが、歳三こそ本物の策士である。この男は昔から人を使うのがやたら上手かった。


 馴染み以外の浮気には手厳しい吉原で、歳三は少しだけ特別だった。さすがに別の女に手は出せないが、歳三が声を掛ければ、大抵の者が頬を染めて少なからず好意を示してくれる。


 金の切れ目が縁の切れ目…とならない所が歳三の魅力だろう。それは女に限らず、男衆にもある程度の人脈ができるほどには気に入られている。型にはまらず、無鉄砲なのにどこか憎めない。そんな歳三を揶揄するあだ名があった。


 ひってん敦盛あつもり。同じ二つ名でも、八郎とはまるで方向性の違うそれは、多分に皮肉も含まれている。だが、同時に人に好かれた歳三らしい名と言える。(ひってん=文無し、敦盛=美男子の例え)


 その歳三が珍しく人探しをしている。それも、何やらお役目の匂いをさせているとなれば、好奇心も相まってくるわ総出で協力してくれた。そのおかげで、粗方絞り込みが出来た。噂を探るなら、発信元の女に聞くのが一番である。


 とはいえ、すでに日付が変わった。件の店は、明日、また出直しだ。少し冷たい夜風が、火照った頬に心地良い。



「酔い醒ましに歩くか」


 籠を拾う金もないくせに、つい言い訳がましく呟いてしまう。当然辺りに人影はない。己への言い訳だ。人知れず、口元に苦い笑みが浮かんだ。







 歳三が吉原大門を出て行く頃、その後ろ姿を見つめる人物が居た。今回の騒動の発端、八郎である。



「あれは──」

「ん…、何か、言いしんした?」


 八郎の背後から、まだ年若い女の声がかかる。稲本楼の女郎だ。余談だが、後に四代目小稲こいなを襲名する女である。ねやから身体を起こしているものの、すでに瞼が閉じかけている。



「いや、何でもないよ。いいから、お休み」

「あい。八郎さんも……一緒に」

「私はもう少し、夜風に当たってからにするよ。先にお休み」

「お風邪など…、召されんしん、よう……」


 女はすべて言い切る前に、寝入ってしまった。二階の窓枠に腰かけたまま、しばらく女を見つめて、八郎はもう一度大門を見た。すでに見知った背中はそこになかった。



「………」


 八郎は柱にもたれて、暗い空を見上げた。視線の先には、欠け始めた月が浮かんでいた。





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